Re: とんぼのやどり木

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昔々、埼玉のある所に家来に無理難題ばかりを申し付ける殿様がいた。 家来の顔が怖いから取り替えて来いと言い、それが出来ないと知ると、今度は家来の眉毛を剃り落とし、顔に落書...…全文を見る

Re: とんぼのやどり木

投稿者:ゲスト 投稿日時 2016/1/15 12:34
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北秋津城
別  名 大堀山館
所 在 地 埼玉県所沢市北秋津
築城年代 鎌倉時代
 北秋津城の歴史はまったくわかっていない。北秋津城から西へ1キロ進むと所沢市久米であり、このあたりは村山党久米氏の本拠地であった。久米氏の居館が置かれた場所は詳らかではなく北秋津城が久米氏の居館であったと考える歴史家もいるようだが、僕の考えでは鎌倉街道が通う久米集落のどこかに久米氏の館は存在していたものと思う。柳瀬川沿いには滝の城や山口城といった城館が存在しているが、北秋津城も同様で柳瀬川に臨む高台に築かれている。
 北秋津城は所沢市によって発掘調査も行なわれており、その研究結果も小冊子として発行されているが城主を特定するまでには至っていないようだ。後北条氏の手が加わっているという説があり、山口城や根古屋城から滝の城への連絡用の城として利用していたのかもしれないが所沢市史では鎌倉時代以降の豪族の館と推測している。
 所沢駅の南東方向に位置する城で台地先端部を利用して築かれている。所沢駅からバスが出ているが徒歩でも15分程度である。城址とその周辺は民家であり真冬でも木立ちに遮られており旧所沢街道が城址を分断するように通っているが、当時は日月神社裏手の高台までを含む一帯が城域だったようだ。
 城址には土塁が残っているが民家に阻まれて近づくことができない。県道から眺めるのが唯一と言っていい撮影スポットだ。県道に面した小さな駐車場から土塁を見ることはできるが、遠くからの撮影ではただの雑木林であり近くからだと大きすぎて撮影できない。城址に面したマンションはシャトーという名前であり唯一城跡らしさを伝えるものとなっている。
 隣接する日月神社の案内板には『この土地の殿様がいつも領民に無理難題ばかりを吹きかけて困らせており、ある時に無理な願いを叶えた代わりに神罰によって声を失った』という民話が記されているが、その困った殿様が北秋津城の城主だったのかもしれない。また娘が通う小学校の校歌に『土のふるさと所沢 花のお城の窓あけて』という一節があるが、これは北秋津城のことを指しているのであろうか。自宅から自転車で5分足らずの場所で、よく利用する食料品店への途中にあることから、いちばん目にする機会の多い城址だが、遺構をはっきり目にすることができないのが残念だ。
 初めて訪れた日から随分と経つが、その当時はまだ東京都の住人だった僕が、北秋津城の近くで暮らし我が子が城跡の目と鼻の先にある学校に通うことになるとは夢にも思わなかった。
http://jyokakuzukan.la.coocan.jp/002saitama/002kitaakitsu/kitaakitsu.html

北秋津城の南西に位置する日月神社
境内にある御神木
この案内板にある殿様って北秋津城の殿様の事?
http://blogs.yahoo.co.jp/lunatic_rosier/61385167.html
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