Re: 三本足のからす

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ある年の夏、武蔵の国ではひどい暑さと日照りが続き、田畑の作物はみんな枯れてしまった。それもそのはず、どうした訳かこの年に限って空には太陽が2つも輝いていたのだ。焼けるよ...…全文を見る

Re: 三本足のからす

投稿者:ゲスト 投稿日時 2015/12/28 16:16
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【延喜式神名帳】出雲伊波比神社 武蔵国 入間郡鎮座
【現社名】出雲伊波比神社
【住所】埼玉県入間郡毛呂山町前久保 967
【祭神】大名牟遲神 天穗日命
毛呂小学校北接、臥龍山の頂に鎮座する。
古くは出雲臣(いずもおみ)が祭祀する社であったという。景行天皇53年に倭建命が東征凱旋の際に、景行天皇から賜った「比々羅木鉾(ひひらぎのほこ)」を神体として侍臣である武日命(タケヒ命=大伴武日)に命じて社殿を創建し、東北に向けて鎮座させたという。今も本殿内で鉾の先を東北にむけているという。
 当社は宝亀3年(772)12月の太政官府に朝廷の奉幣が絶えたのを怒り雷神を率いて入間郡の正倉を焼いたとされている。
本殿建築は流造一間社で屋根は桧皮葺形式、大永8年(享禄元年=1528年)9月15日に毛呂三河守藤原朝臣顕重が再建したもので、埼玉県内最古の室町期の神社建築であり、棟札二面とともに国指定重要文化財である。
 中世期には茂呂(毛呂)明神、飛来明神、八幡宮とも称されていた。ちなみに八幡宮は源頼義父子が当社を参詣後に凱旋し、八幡宮を相殿にまつったことに始まり、明治期まで二社併立していた。明治4年に八幡宮その他を合祀し明治6年に郷社列格。
http://www.geocities.jp/engisiki02/musashi/bun/mus170601-01.html

古式ゆかしい「やぶさめ」で有名な神社。毛呂山町のほぼ中央、小高い独立丘陵である臥龍山の上に位置しています。
神社に伝わる「臥龍山宮伝記」によると、景行天皇の53年に日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が東征を成し遂げ、がい旋した際、この地に立ち寄り、天皇から賜ったヒイラギの鉾をおさめ神宝とし、出雲の大己貴命(オオナムチノミコト)をまつったとされ、また、成務天皇の御代に武蔵国造兄多毛比命(エタモヒノミコト)が、出雲の天穂日命(アメノホヒノミコト)をまつり、大己貴命とともに出雲伊波比神としたとされています。
奈良時代の宝亀3年(772)の大政官符によると天平勝宝7年(755)に朝廷から幣帛(ヘイハク・神前に供えるもの)を受けたという記載があり、出雲伊波比神社が官弊社であったことが明らかにされました。
平安時代には、醍醐天皇の勅命で編さんされた延喜式神明帳のなかで武蔵国入間郡五座の筆頭にあげられており、古来より格式の高い神社であったことが解ります。鎌倉時代以降、武士の信仰も集め、源頼朝が畠山重忠に造営を命じ、また、大永7年(1527)の焼失後、翌亨祿元年(1528)には、毛呂顕繁が再建しました。
現在の本殿はこの再建時のもので一間社流造、県内最古の神社建築であり、棟札二面と併せて国の重要文化財に指定されています。
http://www.town.moroyama.saitama.jp/www/contents/1285113266909/

出雲伊波比神社 と言えば、毛呂山の方が有名なようです。       
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