Re: 三本足のからす

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ある年の夏、武蔵の国ではひどい暑さと日照りが続き、田畑の作物はみんな枯れてしまった。それもそのはず、どうした訳かこの年に限って空には太陽が2つも輝いていたのだ。焼けるよ...…全文を見る

Re: 三本足のからす

投稿者:ゲスト 投稿日時 2015/12/28 15:10
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瑞鳥から魔鳥になったカラス


 入間で射られた魔鳥は、白くて三本足で1丈5尺の巨大なカラスだという。世が世なら、その発見者は多大な恩賞を受け、発見した場所では税金が免除されるほどの喜びごとなのだが、結局魔鳥ということで退治されてしまった。
 世が世ならという時代、延喜式は、醍醐天皇8年の延喜5年(905)に着手し醍醐天皇30年の延長5年(927)に上梓され冷泉天皇の康和4年(967)に施行された格式である。格と式は、律令の細則であって、全50巻3300条になる政府官僚の運用マニュアルである。
 その第21巻治部省は、祥瑞から始まる。大瑞59 上瑞38 中瑞33 下瑞15が並べられる。唐の「開元7年令(玄宗皇帝719)」の丸写しだとか。その中から、青カラス(南海より輸す)赤カラス、三足烏(日の精也)これら上瑞。白カラス(太陽の精也)蒼カラス(烏にして蒼色。江海、洪波を揚げずして東海より輸す)、これら中瑞となっている。入間のカラスは、上瑞にしてかつ中瑞の、世の中善政、天人満足の瑞徴のはずなのだ。その瑞兆たるカラスの献上記録が「古事類苑」にまとめられている。延喜式を遡る300年前から始まる。
 別表の最初にあるのは、天武天皇6年(607)11月に筑紫の大宰(つくしのおおおみこともち)が赤いカラスを献上した。この時の恩賞は、太宰府で働いている人に禄物が配られ、カラスを捕まえた人は冠位五級を賜い、カラスの出た土地の郡司も爵位を増やし、その郡内の1年分の課役は免除され、さらに全国で大赦が行われた。中瑞の赤烏一羽でこの大喜びだったのに、入間の三足にして日の精、太陽の精たる白烏は哀れな最後を遂げたのであった。古事類苑のまとめでは、日本書紀から始まった六国史の最後の三代実録「清和、陽成、光孝」の887年までの記録である。
 江戸中期天明期(1781~1788)八代将軍吉宗の頃の話を、随筆集「甲子夜話」から一文。「天明の末か、京師の近鄙より白烏を獲て朝廷に献じたることあり。みな人祥瑞と言いける。然るに翌年、京都大火し、禁闕も炎上す。その後松平信濃守に会して聞きたるは、いわく 豊後高田の実家では、白烏を見ることあらば軽卒を使ってこれを逐い索め鳥銃を以て撃ち殺す。その故は、白烏は城枯らす(しろからす)の兆しとてその名を忌みてなり。野俗の習わしなりと言いて笑いたりしか。」
 「甲子夜話(かっしやわ)」は幕末文化天保の間肥前平戸隠居の殿様松浦静山による。
 いずれにしてもカラスをして崇鳥拜日のシンボルにした時代は終わったようである。
http://www.raifuku.net/dic/way/kurou/ku_121104.html
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