中神の神さん(奥越前の昔話)
むかしむかし、いつごろかわからんけど大昔、下打波の中神の草分けで、平兵衛っちうもんがおった。
大雨の降ったある時、平兵衛は「にごりがき」ちゅうて、濁り水の時に、大きな網で、魚をすくいに行ったんやと。
いつもはよう魚が捕れるのに、その日はあんまりとれなんだ。平兵衛さんは一所懸命すくっていたら、そのうちに一尺程の川木(かわもく)が網にかかったんやと。「なんじゃ、こんなもん」そう思うて平兵衛さんはその川木を川へ投げ返したそうや。そして川上へのぼって網を入れていたら、又さっきと同じ川木が網に入って来たそうな。「不思議な事があるもんやなー。」そう思ってよく見るとそれはなんと仏像やったと。驚いた平兵衛さんは、「どこから流れてござったか知らんが、もったいなや。」と、魚捕りをやめて家へ持って帰ったそうや。そして平兵衛さんは、自分の家のかもいにあげて祀ったそうな。
それからというものは、平兵衛さんの家は五穀がよう取れて、たいへん栄えたそうや。
いつの頃からか、その仏像は穀蔵菩薩と呼ばれるようになり、何代かあとには祠を作り村中で祀るようになった。お祭りの日を二月十三日と決め、その日は平兵衛さんの家いっぱいになるほど村中の人が集まり踊り明かしたそうや。
その神様は、今も村の神様として平兵衛さんの子孫の中神家に祀ってあるんにゃ。御神体の手が折れて添(そえ)がしてあるが、それは平兵衛さんが川へ投げた時、折れたもんやといわれている。
語り 勝矢 一政(下打波) ・ 調査 幅口 隆一
http://www.geocities.jp/bbqxy084/onosi_kankou_map/minwa/mukasibanasi6.html#6-40