Re: 大力大べえ

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昔、秩父の日野沢(ひのさわ)のある村に、ものすごい力持ちの大べえ(だいべえ)という若者がいた。 働き者の大べえは、自分の小さな畑の仕事が終わると、他の村人たちの畑仕事な...…全文を見る

Re: 大力大べえ

投稿者:ゲスト 投稿日時 2015/11/16 19:30
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下記の通り 地域の人々にとっては、城峯山の大山祇大神様(=天狗様) は 平将門 であったようです。昔は 平将門を公にお祭りすることは大変憚られていたようです。
そんな謂れを 大べえさんも知らないはずはなく、城峯山の天狗様を貶すような事を言っていたので、地元の人々に諫められていたのではないかと推測します。
きっと、地元の人々にとって大変に大切な「城峯山の神(=平将門)」を貶めるような事を言うことを、戒めた昔話だと思います。

門平にまつわる将門伝説。
【産湯沢の井】皆野町上日野沢字門平
皆野町営バスで「東門平」下車。目の前の「門平の高札場跡」を過ぎると、右の山麓に「産湯沢の井」があります。説明板に、次のようにありました。
《天慶三年(940)、藤原秀郷の軍勢に敗れた平将門は天然の要塞、城峯山に立てこもって再挙をはかろうとここまで落ちのびてきたといいます。これに従う弟・将平も疲れ果て一歩も進めなくなったとき、こんこんとわき出る泉を発見し、この水でのどをうるおし傷をあらったところ、たちどころにして傷が癒え元気を取り戻したといいます。門平耕地ではそこに井戸を掘り霊験あらたかな泉であると日々大切に使ってきました。この泉で産湯を使った子供は必ず丈夫に育つといわれ「産湯沢の井」と村人から呼ばれてきました。》

【御厨三郎門平】皆野町上日野沢字門平
地名の門平とは、この地に構えた「城の防ぎ門」に由来しています。また、この集落では「平」姓の墓が多いです。この地の古い伝えによれば、文明年間(1469~)にここを領地にしたのは、相馬小四郎左衛門とその弟・御厨三郎門平といいます。門平は大山社を崇め、城峰に城を築いて居住しました。そしてこの地を開発して、門平耕地としました。

【白馬を飼わない話】皆野町上日野沢字門平
門平では、白馬を飼わなかったといいます。それは、将門が白馬を用いていたからだといいます。

【大山神社】皆野町上日野沢字門平
西門平バス停の先に、城峰山登山口があります。登山道を少し入ったところに、「大山神社」があります。この社の御神体は大山津見神といいますが、束帯の乗馬姿は木像で袖に大きく九曜星の紋が彫られていることから、実際は平将門ではないかといわれています。

【鐘掛城】皆野町上日野沢
城峰山への登山道を登ると、最初の峰の「鐘掛城(標高1003m)」に着きます。将門の追討に秀郷がこの山に鐘を掛けて、これを打ち鳴らして合図にしたと伝えられています。山頂の説明板によると、城峰山の東の要で戦国時代の山城だという。
*ネットで「鐘掛城」で検索。

【王城(山)】神川町(旧神泉村)矢納
鐘掛城の山頂から北方の尾根上に「王城(山)」があります。奈良尾峠への道を下り、分岐で左の道を下っていくと舗装路に出ます。この舗装路を右に行くと、大きくヘアピンカーブするところに、北方に向かう林道がありこの林道に少し入った平らな場所(標高830m)が「王城」だと思われます。この城は、将門が築いたといわれています。また、神川町では鐘掛城のことを「王城」と呼んでいるともいわれています。
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