Re: 大力大べえ

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昔、秩父の日野沢(ひのさわ)のある村に、ものすごい力持ちの大べえ(だいべえ)という若者がいた。 働き者の大べえは、自分の小さな畑の仕事が終わると、他の村人たちの畑仕事な...…全文を見る

Re: 大力大べえ

投稿者:ゲスト 投稿日時 2015/11/16 15:52
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城峰山・城峰神社 じょうみねさん・じょうみねじんじゃ
県立上武自然公園と西秩父自然公園の境に位置する標高1,038mの城峰山。山頂から360度の壮大なパノラマが広がり、眼下に北関東を一望し、赤城山や 浅間山、八ヶ岳を望むことができます。素朴な山野草が咲く春から、新緑の夏、紅葉の秋と、四季折々の美しさで登山者を迎えてくれます。
城峰神社
神山の中腹に社殿、頂上に奥宮が祀られています。日本武尊が東征の折、風光明媚な神山に登り、矢を納めて大山祇命を祀ったと伝えられています。矢納の地名はこれに由来するといわれています。
所在地 埼玉県児玉郡神川町矢納1273-2 (駐車場:有 ・ トイレ:有)
0274-52-4888(城峰神社)
http://www.kamikawa-kanko.com/miru/%e5%9f%8e%e5%b3%b0%e5%b1%b1/

城峯山(じょうみねさん)は、埼玉県秩父市、秩父郡皆野町と児玉郡神川町の境界にある標高1,037.7mの山である。しばしば「城峰山」とも書かれるが、国土地理院発行の地形図では城峯山と表記されている。
山頂には一等三角点と電波塔があり、この電波塔の下部が展望台となっている。この展望台からは360°全方位見渡すことができ、ハイキングの本などでも「眺望のよい山」として紹介されることが多い。
平将門伝説
平将門がこの山に立てこもったとき、愛妾の桔梗が敵方に密通したと疑い、将門は桔梗を斬り捨てた。そのため、今でも城峯山にはキキョウの花が咲かないのだという。
と言ったような伝説が残されている。
また、山頂下には追われた将門が隠れたと伝えられる岩がある。
ハイキングコース
皆野町の門平バス停から鐘掛城を経て城峯山に登り、神川町の登仙橋バス停に下る道が「関東ふれあいの道 将門伝説を探るみち」として整備されている。
秩父市の万福寺バス停から登る道もあり、ハイキングの本などではこのルートから門平バス停へ下るコースが紹介されていることが多い。
また山頂すぐ下の石間峠まで車道が通じており、そこまで自動車で行けば容易に山頂まで達することができる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9F%8E%E5%B3%AF%E5%B1%B1

城峰山 将門伝説の城峰神社
 秩父吉田町の城峰山の山頂近く、城峰神社には将門の伝説が伝わります。神社扁額には金文字で将門と大書され、伝説の謂れでは将門が関八州を平定した後下総に敗れ、将門の兵がこの石間ヶ岳に陣を張って城を築いたことから土地の人はこの山を城峰山と呼ぶようになったとか。
 下野国の豪族、藤原秀郷が兵を引き連れ現在の吉田小学校辺りに陣を張り、将門の軍とにらみあいを続けたところ、将門の愛妾、桔梗が山を抜け出して秀郷に内通したと疑いを抱き、桔梗の首をはねてしまったそうです。そのことから「城峰山に秋の草花は数々あれど桔梗だけは咲くことがない」と伝わるそうです。
 将門軍の誰がこの地に逃げたのかは定かでありませんが、伝説の話には何処かに真実もあったりします。ところが、城峰神社の祭神はなんと将門ではなく日本武尊と、藤原秀郷という事にはこれまた驚きです。社の左の大きな扁額にの「将門」は何を意味しているのでしょうか? また、中腹には平門と称する集落もあり、何か関連するのでしょうか?この方面にも将門の伝説は多いと聞きます。
 関八州の受領を任命し朝廷に反逆したとされて将門が討たれた年が940年で、それから944年の後1884年(明治17年)、生糸の相場を下落させた時の悪政に反発した秩父、群馬、信州の農民達が困民党を結成し、城峰山に打ち揚げた合図により、吉田町の椋神社に集結し武装蜂起したことから、一連の秩父事件が起こったのですから、反逆の運命の糸が何処かで繋がっていたのでしょうか。
http://www7a.biglobe.ne.jp/~kyukaidou-tougemichi/jyomine-san.htm
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