No.0806
ごんべえとうげ
権兵衛峠

放送回:0507-A  放送日:1985年08月03日(昭和60年08月03日)
演出:森川信英  文芸:沖島勲  美術:門屋達郎  作画:森川信英
写真あり / 長野県 ) 12037hit
あらすじ

昔、信州木曽の薮原(やぶはら)あたりは、山に囲まれて田んぼもなく、周りの峠道も危険だったため米を運び入れることも出来なかった。そこで村人たちは、山の段々畑でそば、キビ、いも、豆などを作って細々と暮らしていた。

さて、薮原からさらに山の奥に入った神谷(かみや)という所に、力持ち権兵衛という木こりが住んでいた。この権兵衛という男、そば2升をたいらげ、その力は10人力とも12人力とも言われ、木曽では名の知れた男だった。

ちょうどその頃、薮原では有名なそば食いの大坊主が来ていて、自分こそは信州一のそば食いだと豪語していた。負けん気が強い権兵衛は、この噂を聞いてじっとしていられず、そば食い坊主に勝負を挑んだ。権兵衛と大坊主のそば食い比べは、見物人を大勢集めて始まった。2人はすごい勢いでそばをたいらげるが、99杯目になったとき大坊主はその場に倒れこみ、腹が裂けて死んでしまった。

これを見た権兵衛は、自分のせいで取り返しのつかないことをしてしまったと後悔した。その後、権兵衛は心を入れ替え、自分を罪を償おうとした。そして考えたあげく、権兵衛は木こりをやめて、馬方になることにした。米の飯が食べられない薮原の村人のために、鍋掛峠(なべかけとうげ)を通って伊那から米を運ぼうというのだ。

そんなある日、権兵衛が険しい峠道を馬を引きながら歩いていると、突然崖崩れが起きて権兵衛の頭の上から大岩がたくさん降ってきた。権兵衛は、持ち前の大力で落ちてきた大岩を両手で受け止めてしまうが、後ろからついてきた馬は落石で谷底に落とされて死んでしまった。

大坊主に続き、心ならずとも馬まで死なせてしまった権兵衛は、人々が安心して峠を越えられるように、危険な峠道を広げて作り変えようと決心した。こうして、権兵衛はたった1人で険しい峠道を広げる工事に取りかかった。そんな権兵衛の話を聞いた薮原と伊那の人々も、次第に権兵衛の手助けをするため工事に加わるようになった。

こうして何年もの歳月が過ぎ、宮ノ越から鍋掛峠と越えて、伊那、高遠(たかとう)に通じる峠道は完成した。今まで米の飯がめったに食べられなかった薮原にも、伊那から米が運ばれて来るようになった。

そしてその後、鍋掛峠は権兵衛にちなんで権兵衛峠と呼ばれるようになったそうだ。

(投稿者: やっさん 投稿日時 2011-11-12 10:36)


ナレーション市原悦子
出典瀬川拓男(未来社刊)より
出典詳細信濃の民話(日本の民話01),信濃の民話編集委員会,未来社,1957年06月30日,原題「力もち権兵衛の話」,話「西筑摩郡木曽福島町の生駒勘七」,再話「瀬川拓男」
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場所について信州木曽の薮原周辺(地図は適当)
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地図:信州木曽の薮原周辺(地図は適当)
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※掲載情報は 2011/11/12 10:35 時点のものです。内容(あらすじ・地図情報・その他)が変更になる場合もありますので、あらかじめご了承ください。
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コメント一覧
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ゲスト  投稿日時 2015/8/27 21:23
権兵衛(ごんべえ)街道
権兵衛峠

権兵衛街道は、宮ノ越(木曽町日義)から姥神峠(1277メートル)を越えて川入の谷を抜け、権兵衛峠(1523メートル)を越えて伊那市坂下にたっする約36キロメートルの山道である。現在の権兵衛峠を越える道は、奈良井川から羽淵までの県道川入東線と羽淵から国道361号に変わっており、旧道を通る人はまれになってしまった。鉄道開通以前は、伊那の米を米穀の乏しい木曽に運ぶ幹線として、重要な機能を果たしていた。
姥神峠から権兵衛峠に通ずる山道は、古くからあったが、それはわずかに人だけが通う険しい踏立道であった。ある者が転倒し、鍋を欠いたという話しから「鍋懸峠」とも呼ばれていた。
1.奈良井ダム
2.奈良井川の上流
3.権兵衛の生家
4.神谷の集落
5.姥神峠
6.御嶽遙拝所
7.羽淵の集落
8.権兵衛トンネル
9.萱ヶ平の集落
10.権兵衛峠
11.ジャンボカラマツ
12.伊那用水路水枡跡
http://www.city.shiojiri.nagano.jp/tanoshimu/manabinomichi/gakusyugaide/manabugonbekaido.html
ゲスト  投稿日時 2015/8/27 21:12
権兵衛峠
権兵衛米の道
伊那米を木曽へ運搬する場合、塩尻峠や牛首峠を越えるルートでは、奈良井まではよいが、その先に鳥居峠がひかえ、日数や米価など、何かと不便であった。そこで、牛方行司古畑権兵衛が、2年の歳月をかけて伊那へ抜けるこの峠(海抜1523メートル)の道を開いた。
その後、伊那谷から米を木曽谷へ、木曽からは、漆器や曲げ物などの木工品が、伊那へ運ばれるようになり、その功績に因んで権兵衛峠と呼ばれるようになった。
信濃川水系と天竜川水系の分水嶺であるこの峠からの眺望は素晴らしく、眼下に伊那谷を望み、南アルプスの大パノラマも絶景である。また、春の芽吹き、夏の深い緑と渓流、秋の紅葉と四季折々に人々の目を楽しませてくれる。大自然も堪能できる「信濃路自然歩道権兵衛峠ルート」に指定されている。

権兵衛(ごんべえ)の生家
権兵衛生家
神谷の集落で、神谷峠を経て薮原へ通じる道が権兵衛街道から分岐しているが、今は通れない。この薮原道に入るすぐの道沿いに古畑権兵衛の生家がある。現在、古畑勝久氏の住宅になっているが、氏は権兵衛から数えて7・8代目くらいにあたるという。
権兵衛は、神谷に生まれた牛方行司(親方)で、伊那谷の米を牛の背に乗せて木曽へ運んで労賃を取って生計をたてていた。元禄のころ峠の開鑿を思い立ち、伊那や木曽の人々を説いて、姥神、鍋懸の二つの峠を越え、木曽町宮ノ越から伊那市坂下までの約36キロメートルの道を開いた。元禄9(1696)年に開通し、以来この街道の開鑿(かいさく)を首唱した権兵衛の名をとって権兵衛街道と言うようになった。

神谷(かみや)の集落
神谷集落
姥神峠から木曽側に下ると、神谷の集落に至る。この道は、かつての権兵衛街道であるが、現在は道が荒れており、途中で寸断されていて通ることはできない。権兵衛街道の新道(国道361号)神谷トンネル木曽側入口付近の、ループ橋に入るところが神谷集落への入り口である。現在は、木曽町日義神谷であるが、ここは街道を開いた、古畑権兵衛の生まれた所で、権兵衛街道の交通の盛んな当時、ここには牛方問屋があって伊那と木曽を結ぶ交通の中継地であった。神谷から薮原へ通ずる道が権兵衛街道から分岐している。

姥神(うばがみ)峠
姥神峠への道
この峠は木曽町の日義神谷の人々は羽淵峠といい、羽淵の人は神谷峠と呼んでいる。神谷は権兵衛街道を開鑿した古畑権兵衛の生地であり、その子孫も健在である。羽淵から峠への道は比較的よく整備されているが、神谷からの道は寸断されていて通れない。海抜1277メートルの峠からの眺望は素晴らしく、西方に御嶽山の秀麗な姿を遠望できる。かつて権兵衛街道が通じていた頃は、御嶽信仰の人々の通る峠でもあった。峠付近には御嶽遙拝所が設けられ、関連する石碑石仏がたくさんある。現在の姥神トンネルは、この峠の北側を貫いている。

http://www.city.shiojiri.nagano.jp/tanoshimu/manabinomichi/gakusyugaide/gonbekaido.html
ゲスト  投稿日時 2015/8/27 20:55
「薮原からさらに山の奥に入った神谷(かみや)という所に、力持ち権兵衛という木こりが住んでいた。」

神谷 は、木曽町の旧宮越村にあった。 姥神トンネル西側にある。

日義村(ひよしむら)は、長野県木曽郡にあった村である。(現在の木曽町)
村名の由来 朝日将軍木曾義仲が平家討伐の旗挙を行った地であることから義仲にちなんで「日義村」と命名。
1874年(明治7年)11月7日 - 筑摩県筑摩郡原野村・宮越村が合併して日義村となる。
2005年(平成17年)11月1日 - 木曽福島町・開田村・三岳村と合併して木曽町が発足。同日日義村廃止。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E7%BE%A9%E6%9D%91
ゲスト  投稿日時 2015/8/27 20:33
薮原宿 やぶはらじゅく
薮原宿は鳥居峠の麓の宿として、また高山へ向かう飛騨街道奈川道の追分の宿として、さらにはお六櫛の生産地としても栄えた宿場町であった。
しかし、明治期の大火で町並みの大半を焼失し、近年は建物の改修が進んだこと などから往時の面影は一部に残っているだけである。
http://home.b05.itscom.net/kaidou/nakasendo/4nagano2/35yabuhara.html
ゲスト  投稿日時 2015/8/27 20:29
薮原神社(木曽郡木祖村藪原)
ご祭神:伊弉冉尊・速玉男命・事解男命
由 来:天武天皇9年に、三野王が勅使として巡視を行った際に熊野から勧請したのが最初と言われている。 そのため、熊野社、熊野大権現、熊野大神宮とも呼ばれたという。
明治4年に藪原神社と改称され、木曽村薮原に建っている。
http://www.omiyasan.com/center/kiso-v/post-48.php
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