権兵衛峠
権兵衛米の道
伊那米を木曽へ運搬する場合、塩尻峠や牛首峠を越えるルートでは、奈良井まではよいが、その先に鳥居峠がひかえ、日数や米価など、何かと不便であった。そこで、牛方行司古畑権兵衛が、2年の歳月をかけて伊那へ抜けるこの峠(海抜1523メートル)の道を開いた。
その後、伊那谷から米を木曽谷へ、木曽からは、漆器や曲げ物などの木工品が、伊那へ運ばれるようになり、その功績に因んで権兵衛峠と呼ばれるようになった。
信濃川水系と天竜川水系の分水嶺であるこの峠からの眺望は素晴らしく、眼下に伊那谷を望み、南アルプスの大パノラマも絶景である。また、春の芽吹き、夏の深い緑と渓流、秋の紅葉と四季折々に人々の目を楽しませてくれる。大自然も堪能できる「信濃路自然歩道権兵衛峠ルート」に指定されている。
権兵衛(ごんべえ)の生家
権兵衛生家
神谷の集落で、神谷峠を経て薮原へ通じる道が権兵衛街道から分岐しているが、今は通れない。この薮原道に入るすぐの道沿いに古畑権兵衛の生家がある。現在、古畑勝久氏の住宅になっているが、氏は権兵衛から数えて7・8代目くらいにあたるという。
権兵衛は、神谷に生まれた牛方行司(親方)で、伊那谷の米を牛の背に乗せて木曽へ運んで労賃を取って生計をたてていた。元禄のころ峠の開鑿を思い立ち、伊那や木曽の人々を説いて、姥神、鍋懸の二つの峠を越え、木曽町宮ノ越から伊那市坂下までの約36キロメートルの道を開いた。元禄9(1696)年に開通し、以来この街道の開鑿(かいさく)を首唱した権兵衛の名をとって権兵衛街道と言うようになった。
神谷(かみや)の集落
神谷集落
姥神峠から木曽側に下ると、神谷の集落に至る。この道は、かつての権兵衛街道であるが、現在は道が荒れており、途中で寸断されていて通ることはできない。権兵衛街道の新道(国道361号)神谷トンネル木曽側入口付近の、ループ橋に入るところが神谷集落への入り口である。現在は、木曽町日義神谷であるが、ここは街道を開いた、古畑権兵衛の生まれた所で、権兵衛街道の交通の盛んな当時、ここには牛方問屋があって伊那と木曽を結ぶ交通の中継地であった。神谷から薮原へ通ずる道が権兵衛街道から分岐している。
姥神(うばがみ)峠
姥神峠への道
この峠は木曽町の日義神谷の人々は羽淵峠といい、羽淵の人は神谷峠と呼んでいる。神谷は権兵衛街道を開鑿した古畑権兵衛の生地であり、その子孫も健在である。羽淵から峠への道は比較的よく整備されているが、神谷からの道は寸断されていて通れない。海抜1277メートルの峠からの眺望は素晴らしく、西方に御嶽山の秀麗な姿を遠望できる。かつて権兵衛街道が通じていた頃は、御嶽信仰の人々の通る峠でもあった。峠付近には御嶽遙拝所が設けられ、関連する石碑石仏がたくさんある。現在の姥神トンネルは、この峠の北側を貫いている。
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