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No.0619
どんどこのあみださま
どんどこの阿弥陀様

放送回:0388-A  放送日:1983年04月16日(昭和58年04月16日)
演出:前田康成  文芸:沖島勲  美術:西村邦子  作画:前田康成
茨城県 ) 16154hit
みんなから愛され「おんぶのじっち」とよばれた男の話

昔、ある村に「どんどこ」とよばれる薄気味悪い杉木立があり、そこには古いお堂の跡がありました。そしてこの村には、炭焼きの男と幼い娘が住んでいて、男はいつも重荷を背負ってすっかり腰が曲がっていたので、みんなから”じっち”と呼ばれていました。

ある春の夜のこと、町に炭を売りに行っての帰り道のどんどこで、阿弥陀様がドサッとじっちの背中におぶさってきました。じっちが阿弥陀様が指さす方向へ歩いていると、いつの間にか阿弥陀様はいなくなっていました。

何日も続く不思議な出来事に「きっと昔どんどこにあったお堂の阿弥陀様だろう」と思った村人たちは、みんなで相談してお堂を建て直すことにしました。早速、朽ち果てていた古いお堂を片づけていると、がれきの下からあの阿弥陀様が出てきました。阿弥陀様を新しいお堂におまつりして、じっちは毎日手を合わせました。

何年もの年月がすぎ、じっちは本当のじっちになりました。娘も大人になり沢山の孫が産まれ、じっちは幸せでした。村の人たちは、この男をうやまい親しみを込めて「おんぶのじっち」とよんで、後々まで語り伝えました。

(紅子 2011-12-17 0:39)


ナレーション市原悦子
出典茨城県
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追加情報
講談社の300より書籍によると「茨城県のお話」
このお話の評価8.1111 8.11 (投票数 9) ⇒投票する
※掲載情報は 2011/12/17 0:39 時点のものです。内容(あらすじ・地図情報・その他)が変更になる場合もありますので、あらかじめご了承ください。
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ゲスト  投稿日時 2015/6/19 12:44
立の越の大権現様 「阿見の昔ばなし その8 阿見町」

現在は、静かな住宅地となっている立の越の権現山に、今から百年ぐらい前まで、熊野大権現(だいごんげん)様を祀った社(やしろ)が建っていました。
今から850年ほど前の日本では、地震などの天災地変がとても多く、村人たちはたいそう苦しんでいました。
そこで、くらしの平穏無事を願った人々は、あちらこちらに一斉に社を建てて、神様を祀りました。
歳月は過ぎて、立の越にも権現様が祀られました。
権現様に対する人々の信仰心は厚く、八里四方の村々から大勢の人たちがお参りに来るほどでした。
お参りする人々の行列は、社を中心にして「の」の字のように連なるほど多かったので、「ののびきにお参りの人が来た。」と言われていたそうです。
境内の入り口にあった椎の木は、子ども10人ぐらいで取り囲むほどの神木であり、内側は大きなうろになっていて、その中で子どもたちは遊んだそうです。
その後、権現様は神主がいなくなったので、社に納められていた品々は、中郷の阿弥神社に移され、社は取り払われてしまいました。
今は神社の鳥居の礎石が二個、阿弥神社の林の中に残っています。
また、取り払われた跡に小学校の前身校が建てられましたが、この小学校も別の所に新しく建て替えられました。
http://www.town.ami.lg.jp/0000000784.html
ゲスト  投稿日時 2015/6/19 12:19
ふるさとの昔ばなしシリーズ 石岡市 菖蒲沢の薬師様

 むかし、汲上村(現在の鉾田市・旧大洋村)に、貧しいけれども正直で働き者の漁師がおりました。
ある日、海に出て網で魚をとっていると、いつもとは違う強い手応えがありました。
ずっしりと重いので大物がかかったかと期待して引き上げると、それは50センチメートルほどの仏像だったのです。漁師は不思議に思いながらも仏像を家に持ち帰りました。
その晩のこと、漁師の夢の中にその仏像があらわれ、「私は、この世から病気をなくすため天竺からやって来た薬師如来である。ここは海に面した東の果て。もっと国中を見渡せる所に行きたい。すまぬが、西の方の高い山に連れて行ってもらえぬか。」というのです。
夜が明けると、漁師は夢の中でのお告げどおり、仏像を背負い西へ向かって歩き出しました。ところが、仏像は大きさの割にとても重く、あまりの重さにだんだん歩くのがつらくなってきたのです。
見かねた薬師様が、「私を背負って歩くのは大変であろう。歩かなくてもよいよう力を貸そう。」というと、急に漁師の体が軽くなり、フワリと宙に浮いたのです。そして、しばらく空を飛び続けて、筑波山の尾根のはずれ、菖蒲沢(石岡市・旧八郷町)近くの岩の上に着きました。
そこで漁師は、ちょっと一休みしようと思い、「よいとこさ。」といって腰をおろしました。すると、それを聞いた背中の薬師様が、「なるほど、よいところだ。では、ここにしよう。」といい、漁師の背中からその場所におり立ったのです。
漁師からこの話を聞いた村人たちはさっそくお堂を建て、薬師様をおまつりしたということです。その後、『菖蒲沢の薬師様』と親しまれ、多くの人々の信仰を集めました。
現在、菖蒲沢薬師如来堂は菖蒲沢公民館の先にある細い登山道を歩いて25分ほど進んだひっそりとした森の中に静かなたたずまいを見せています。お堂の中には二度の火災から焼失を免れた薬師如来像が納められています。
http://www.ibaraki-isuzu.co.jp/mukashibanashi/2011-10/index.html
ゲスト  投稿日時 2015/6/19 11:37
いい話ですね なごむなぁ
神仏との交流のお話好きです
仏様も祭り直されて安心感しました
じっちも仏様も頼りたくなるいい人ですね
beniko  投稿日時 2011/12/17 17:40
講談社の書籍には、茨城と明記がありました。場所の特定はできませんでしたが。
このお話がDVDに入ってないのが残念です、とっても素敵なじっちですのでアニメで見たいですねー。
ニャコディ  投稿日時 2011/12/17 0:55
このお話、なんとな~く見たことがある気がしますが、内容はすっかり忘れていました。また動画で見てみたいお話です。「どんどこ」「じっち」という呼び名も可愛らしいですし……(笑)。茨城県のお話なのですか?
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