No.1385
くらやみからうし
暗闇から牛

放送回:0880-A  放送日:1993年03月06日(平成05年03月06日)
演出:芝山努  文芸:沖島勲  美術:千葉秀雄  作画:柳田義明
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あらすじ

二人の絵描きが、江戸に向かって旅をしている途中で、あまりきれいではない宿に泊まる事になった。

部屋で休んでいると、他の旅人と相部屋を頼まれ、狭い部屋に旅の商人も泊まることになった。「わしらは、江戸ではちょっとは名の知れた絵描きじゃ」と偉そうに振る舞う二人の絵描きに、商人は名前をたずねた。一人は、葛飾一切(かつしかいっさい)もう一人は葛飾合切(かつしかがっさい)と言う名だった。

商人は、聞いたことも無い名前に二人がホラを吹いていると思い「実はわしも絵描きだ」とウソぶいた。それを聞いた二人の絵描きは、「ならば絵を描いて対決しよう」と言いだした。

最初は、葛飾一切が「母親が赤ん坊に飯を与えている絵」を描いてみせた。しかし、それを見た商人は「母親が、あ~んと言うのに口が開いていない」と言って、葛飾一切を黙らせた。

次に、葛飾合切が「大工が大きな木を鋸で切っている絵」を描いた。またまた商人は「これだけ大きな木を切っているのに木屑が出ていない」と言って、葛飾合切も黙らせた。

最後に、商人が絵を描く番となった。商人は、紙を真っ黒に墨で塗りつぶして「これは暗闇から黒い牛が出てきた絵じゃ」と言った。しかし、一か所だけ米粒ぐらい塗れていな所があり、それを見つけた葛飾合切が目ざとく指摘した。

しかし商人は平然と「この白い点は、牛についた飯粒じゃ」と答えた。二人の絵描きは「参りました」と頭を下げた。

(投稿者: KK 投稿日時 2012-10-27 23:09 )


ナレーション常田富士男
出典埼玉県
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追加情報
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※掲載情報は 2012/10/28 0:11 時点のものです。内容(あらすじ・地図情報・その他)が変更になる場合もありますので、あらかじめご了承ください。
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コメント一覧
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吉兵衛どん  投稿日時 2021/9/27 21:27
宿の女中さん、いちばん忙しいであろう夕方の時間帯に面倒な客の相手をしなきゃいけないのは相当迷惑だねwご苦労さま。
Perenna  投稿日時 2020/8/9 23:25
この昔話はそのまんまの話が、未来社の「埼玉の民話」に書かれています。
もちろん題名は「暗闇から牛」です。
ただ、ふたりの絵かきの名前は書かれていません。
また、アニメでは江戸から来た商人が「この白い点は、牛についた飯粒じゃ」と言っていますが、原作では「こりゃあな、まっ暗闇から、黒い牛が出てきたところだ」というところで終わっています。
伝承地は川越と書かれています。
ただ、このはなしをしてくださった常岡やすさんという人は、別に「ほうおうとえび」(所沢)という話もされています。
「えびの腰はなぜ曲がったか?」というような話です。
川越と所沢はちょうど北と南の位置にあるので、常岡さんはそのあいだの地域にお住まいの方なのでしょうか?
どちらにしても、全国的によく知られた話なので、埼玉県特有の昔話ではないと思います。
Perenna  投稿日時 2020/4/19 22:08
この昔話と似たようなものが「周防・長門の民話・第二集」(未来社、松岡利夫編)にも収録されています。
「かきくらべ」という短い小咄です。

長州の絵描きと江戸の絵描きとが東海道の大井川の宿場で一緒になります。
二人でいろいろと自慢話をしていましたが、ひとつ絵のかきくらべをしようということになりました。
まず、江戸の絵描きが大名行列の絵をかきました。
行列が大井川からあがったところを描いたのですが、長州の絵描きに「行列の武士の足の毛がぬれていないのはおかしい」と難癖をつけられます。
こんどは長州の絵描きの番になりましたが、筆にたっぷりと墨をつけると、なにを思ったか紙に黒々と塗りたくり始めました。
江戸の絵描きが「これはいったいなんだ?」と質問すると、長州の絵描きは「闇夜に烏じゃよ」とうそぶいたそうです・・・

こういう話って、落語やとんち話が元ネタになっているのでしょうか?
もんた  投稿日時 2020/3/29 17:05
まさに暗闇からぎょですね。
ゲスト  投稿日時 2016/1/20 10:56
「江戸まで後、五里で~」と話の中ではありますが、どこになるのでしょうか?

明暦三年(1657年)の明暦の大火以降
 曲輪内の寺院を江戸郊外(市域の最外周部)に移転させるなど大規模な都市改造が行われた。郊外として挙げられているのは深川、浅草、駒込、目黒。それらの地点までは江戸御府内という考え方だろう。
 江戸は五里四方に拡大し深川、本所、浅草、駒込、小石川、小日向、牛込、四谷、赤坂、麻布、芝までが江戸に入ったが、古町が府内、それ以外を府外と呼んだ。
 また、市域の拡大で当初は江戸御府内の出入り口である四谷の大木戸よりも外側の内藤新宿(現在の新宿)も御府内に含まれた。
http://homepage2.nifty.com/kenkakusyoubai/zidai/edo.htm
ゲスト  投稿日時 2016/1/20 10:42
「暗がり(暗闇とも)から牛」は、辞書によれば「暗がりから牛を引き出す」の省略形だそうです。この場合の牛は黒毛和牛らしい。あるいは黒アンガス種と呼ばれている外来種かな。いずれにせよ黒い牛らしい。暗がりに黒い牛がいたらはっきり見えません。「物の区別がつかないたとえ」だそうです。
■もう1つ意味があって、「動作が鈍重ではきはきしないたとえ」としても使われるとのこと。「暗がりから牛」。たしかにモソッとしていて、なんだか切れのない感じですね。
■上方落語の「おたおたの太助」という噺(はなし)の中で使われていました。「…大工の左甚五郎という御方も、日頃はボォーツとしてなさったが、いざ仕事になると、皆を寄せ付けんはどの腕を見せたそうな。『暗闇から牛を引きずり出したような男』の方が、奥が深うて、値打ちのあるものじゃ」。なるほど。これは後者の意味でしょうね。そんな使い方をするものなのか。前者の意味で使われている事例は見つかりませんでした。
■なお、太宰治は「天狗」という文章…芭蕉と2人の門人の連句の感想文の中で次のように使っていました。「見事なものだ。滅茶苦茶だ。去来(きょらい)は、しすましたり、と内心ひとり、ほくほくだろうが、他の人は驚いたろう。まさに奇想天外、暗闇から牛である。仕末(しまつ)に困る。芭蕉も凡兆(ぼんちょう)も、あとをつづけるのが、もう、いやになったろう。それとも知らず、去来ひとりは得意である」。
■これは辞書には掲載されていない用法のように見えます。素人は、「瓢箪から駒」と勘違いしたのかと疑いたくなります。どんな意図で使ったのでしょうね。
http://blog.q-q.jp/201510/article_23.html
マニアック  投稿日時 2011/11/15 20:00
この話、「一休さん」の一編にもありました。むこうは、闇夜にカラスでしたけど。
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