No.1334
とぶとりきはち
飛ぶ鳥喜八

放送回:0846-A  放送日:1992年06月06日(平成04年06月06日)
演出:青野昌  文芸:沖島勲  美術:小出英男  作画:大西治子
栃木県 ) 6498hit
あらすじ

昔、栃木の氷室村に、生まれつき恐ろしく足の速い喜八(きはち)という男が住んでいた。それは、まるで鳥が空を飛ぶようだと言うので、飛ぶ鳥喜八と村人から呼ばれていた。
その速いことと言ったら、1反もある布を持って走っても、布の先は少しも地面に触れないと言うのだから、たいしたものだ。

そんな訳で、村の娘たちが作った反物を急ぎで江戸まで届けなければならないとなると、みんな喜八さんに頼んでいた。

氷室村から江戸までは25里もあるが、喜八はこの25里の道のりを一時(いっとき)で走ってしまい、昼には楽々江戸に着いてしまうのだ。そして江戸で用事を済ませると、すぐに引き返し、行きつけの茶屋でのんびり昼飯を食べるのだった。

こうして仕事を済ませた喜八は、村へ帰ると大好きな盆栽いじりをして、その日の残りを時間を過ごすのが日課であった。これを見て朝から晩まで野良仕事をしている村の衆は、足が速いというのは暇が出来て良い事だといって羨ましがった。

ところでこの喜八さん、不思議な癖があった。それは、いつも村に帰って来るとき、村の入口の下り坂で右手を高く上げるのだ。村の衆にこの理由を聞かれても、「まあ、そりゃあおまじないみたいなもんじゃよ。」というばかりだった。

ある日のこと、喜八がいつものように、帰り道の茶屋で昼飯を食べていると、なにやら氷室村あたりの雲行きがあやしい。急いで帰ろうとするが、ちょうどその時、茶屋の女将が急に産気付き、今にも子供が産まれそうになった。産婆さんはここから2つ先の村にしかいない。そこで、喜八は2つ先の村まで走って行き、あっという間に産婆さんを連れてきた。

思わぬことに時間を食われた喜八は、いつもより早く走った。雨に打たれては、大事な盆栽が痛んでしまうからだ。村の入口に来る頃には、雨は本降りになっていた。喜八は、いつものように下り坂で高く右手を上げ、大木に絡まっている蔓(つる)を掴もうとした。

ところが、雨のせいで蔓は濡れていて、喜八は手を滑らせてしまった。勢いが止まらない喜八は、そのまま村を通りすぎ、裏山の頂上の大岩に頭をしこたまぶつけ、ようやく止まることが出来た。

喜八が村の入口で右手を高く上げるのは、木の蔓を掴むためだったのだ。そして蔓に掴まりながら木の周りをグルグル回り、勢いを止めていたのだ。足が速く、みんなから羨ましがられる男にも、人に言えない苦労があったということだ。

それにしても、自分で自分の足を止められないとは、何と足の速い男がいたものか。

(投稿者: やっさん 投稿日時 2011-9-1 9:01 )

 


ナレーション市原悦子
出典栃木県
場所について栃木県佐野市秋山町(旧氷室村)地図は適当
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地図:栃木県佐野市秋山町(旧氷室村)地図は適当
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※掲載情報は 2011/9/2 2:13 時点のものです。内容(あらすじ・地図情報・その他)が変更になる場合もありますので、あらかじめご了承ください。
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コメント一覧
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ゲスト  投稿日時 2017/2/2 21:11
ウザイン・ボルトも真っ青の健脚の持ち主なのですね。
ゲスト  投稿日時 2015/12/26 17:28
氷室山(1123m 栃木県佐野市)  「氷室山神社は火伏の神として信仰された」
 氷室山神社奥宮跡は山頂をやや下がったところにある。平地があり、植林した杉が見られ、石祠、灯篭がある。
 氷室山神社里宮(上写真)は昨日お参りした。信州諏訪神社を勧請し、建御名方命が祭神である。しかし余りに遠い山上なので、明治42年里に降ろされ、山頂に奥宮があった。
 しかし里宮に奥宮移転記念碑が立っていて、昭和15年里宮の上1kmばかりの尾根に下ろされたことが分かる。
 従って山頂は奥宮跡と言うことになるが、石祠として残されている。
 神社が氷室山上にあった頃、「安蘇の赤部」という天狗が仕切っていたようで、彼の威力が世に知られる事件があった。
 文政12年(1829)江戸の大火のおり、宗対馬守の江戸屋敷の近くに火が迫ったとき、「あそのあかべ」と名乗る天狗が火の延焼を防いだ。氷室山の天狗であろうと一躍有名になった。以来氷室山神社は防火の神としても信仰された。
 宗対馬守の江戸屋敷の防火をしたというのは、江戸時代末秋山村は対馬巖原藩領になっていたからである。

 次に登る根本山神社にも同じような話が伝わっており、伊井家の江戸屋敷を火災から守ったという。氷室山も根本山も一体の信仰にあったと言うことかもしれない。

 氷室神社や氷室は各地にある。私の住む加賀金沢に氷室開きという行事がある。冬に氷室に雪を蓄え、真夏7月(旧では6月)1日に開いて幕府や殿様に献上した。庶民にまで雪は行き渡らないから、代わりに氷室饅頭を食べた。今でも7月1日に氷室饅頭を食べる。
 奈良の氷室神社もそういう儀式があるようだ。山梨県の櫛形山(増穂町)に登ったとき山麓に氷室神社があり、境内に雪を貯蔵する氷室があった。
 栃木県の氷室山神社は奥深い高い山にあり、暑い夏の日、蓄えた雪を取り出して下ろすには遠すぎる。しかし、「あそのあかべ」のような天狗が、尾根を走り下れば1日で殿様に届けることができたかもしれない。
http://homepage3.nifty.com/ishildsp/kikou/tochigi3.htm

「あそのあかべ」を紹介した看板があります
ところで,この「あそのあかべ」は 文政12年(1829年)の江戸の大火で 宗対馬守の江戸屋敷が火に包まれたおり「安蘇の赤部」と名乗る大男が現れて 火を消して立ち去ったが 後に,氷室山の赤部天狗と判り 朝廷から,氷室山神社に 正一位の称号が贈られたのだとか

氷室山へと到着しました まずは,神社跡へ 此処にあった奥宮を 奥の院に移設したから 鳥居と石祠と石灯篭二基しか無いわけネ 神社跡の裏手に登れば 氷室山(1123m)の山名板がいくつも付けられています でも,本当の1123mはこの奥のピーク ただ,桐生山野研究会のHPには 氷室山とは氷室山神社のことで 氷室山の山頂は存在しないのだとか・・・
http://blogs.yahoo.co.jp/mtjhs097/31075819.html

氷室山神社参道  ひむろさん 1120m
氷室山神社里宮から氷室山まで旧参道をつないで 
http://www.kimurass.co.jp/himurosanjinja.htm
ゲスト  投稿日時 2015/12/26 16:30
氷室村(ひむろむら)は栃木県の南西部、安蘇郡に属していた村である。
地理::山岳 - 氷室山、尾出山、高原山、岳ノ山、大鳥屋山::河川 - 秋山川
歴史
江戸時代、柿平村、水木村は 旗本領、秋山村は 対馬府中藩領であった。
1889年(明治22年)4月1日 町村制施行により、柿平村、水木村、秋山村が合併し安蘇郡氷室村が成立する。
1955年(昭和30年)1月8日 (旧)葛生町、常盤村と合併し葛生町を新設する。
2005年(平成17年)2月28日 葛生町が(旧)佐野市、田沼町と合併し佐野市を新設する。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B7%E5%AE%A4%E6%9D%91_(%E6%A0%83%E6%9C%A8%E7%9C%8C)
ゲスト  投稿日時 2015/12/26 16:17
変わっていて、大変面白いおはなしです。

メキシコ山岳に住む「走る民族」タラウマラ族を思い出してしまいました。
http://matome.naver.jp/odai/2128339089586418401
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