No.1304
ちょうじゃがもり
長者が森
高ヒット
放送回:0823-B  放送日:1991年11月30日(平成03年11月30日)
演出:青木久利  文芸:沖島勲  美術:安藤ひろみ  作画:青木久利
山口県 ) 23617hit
あらすじ

山口県の秋吉というところは岩だらけで近くに川もなく、村人は岩の間から湧き出る泉の水を頼りに生活していた。村では米が取れないので、村人たちの主食は専らそば団子だった。

ところで、この秋吉には大変な長者がおり、この辺りの土地はほとんどが長者の土地であった。村人は自分たちが食べるそば以外は、ほとんどこの長者に納めていたので、長者の屋敷にはたくさんの蔵があり、そこには山のようにそば俵が貯蔵されていた。さらに、長者は毎朝泉の水を汲んで、屋敷の溜め池に入れるように村人たちに命じた。この溜め池のおかげで長者は毎日風呂を沸かし、贅沢な暮らしをしていた。

ところがこの長者屋敷、一つだけ困ったことがあった。それは、屋敷は小高い岡の上にあり、屋敷に通じる坂道は赤土なので、雨が降る度にぬかるんでしまうのだ。そして、坂を上がろうとすると足を滑らせて、屋敷まで上れないのだった。

ある夏の日、村には三日三晩も雨が降り続いた。雨が上がった後も村人は長者屋敷に上がれないので、溜め池の水は干上がってしまった。長者は大好きな風呂も入れないので、早く泉の水を汲んでくるように村人に催促したが、坂道はぬかるんでおり、やはり登ることが出来ない。そこで長者は、なんと蔵からそば俵をたくさん取り出し、坂道に敷きつめるように命じたのだ。村人にそば俵の上を歩かせ、溜め池に泉の水を運ばせようというのだ。

坂道にそば俵を敷きつめると、長者は安心して眠りについた。翌朝、長者は夜も明けぬうちから起きて、村人が泉の水を運んでくるのを待っていた。やがて東の空から日が昇り、坂道のそば俵を照らし始める。すると不思議なことに、朝日がそば俵に当たると、そば俵は跡形もなく消えてしまうのだった。よくよく見ると、そば俵は一つ一つが蝶に変わっていたのだ。日が高く昇る頃には、そば俵は全て消えて、たくさんの蝶が宙を舞っていた。そして、蝶はそのままどこかへ飛んでいってしまった。村人たちは、食べ物を粗末にした罰が当たったのだろうと噂した。

しばらくすると長者の家は滅んでしまい、屋敷の跡は木々に埋もれて森になった。この森を、誰言うとなく長者ヶ森と呼ぶようになったそうだ。

(投稿者: やっさん  投稿日時 2011-8-11 11:41 )


ナレーション市原悦子
出典山口のむかし話(日本標準刊)より
出典詳細山口のむかし話(各県のむかし話),山口県小学校教育研究会国語部,日本標準,1973年09月01日,原題「長者が森」,文「八木達夫」
場所について長者ヶ森(山口県美祢市美東町長登)
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地図:長者ヶ森(山口県美祢市美東町長登)
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※掲載情報は 2011/8/11 19:06 時点のものです。内容(あらすじ・地図情報・その他)が変更になる場合もありますので、あらかじめご了承ください。
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コメント一覧
7件表示 (全7件)
Tomo  投稿日時 2020/10/10 10:56
私の先祖は鳶ノ巣地区の前野です。祖父の代に山口を離れましたが、私の幼少期、鳶ノ巣の本家に墓参りに行った際、長者が森で親族が集まって宴会していました。その時の写真も残っています。その後、前野家から国の所有になったとのことで、宴会はできなくなったようです。また、周囲一帯の野焼きは鳶ノ巣の前野家が請負っていたようで、深い関係があるのは確かです。ちなみに、今は本家はなく、お墓は美東町の寺に移されています。
新・アーリアジャスール  投稿日時 2018/11/17 19:09
古い方の長者ヶ森にもちの白鳥要素を足したらこの話になるな。
ゲスト  投稿日時 2015/10/21 13:32
長者ヶ森説明板
平家の一武将大田芳盛は壇ノ浦の戦いで源氏に敗れ、大山(秋吉台)に移り住み、次第に大山周辺を手中におさめ、 広大な居館を構え名家として近郷を圧するに至りました。 しかし、三代目芳高のころ一族間に内紛が生じ一族は四散しました。 ずっと後世(江戸時代)に、大田氏の子孫が祖先をしのんで、 かつての居館跡と思われるあたりに木を植えたものが、 長者ヶ森であると言い伝えられています。 林中には古井戸の跡があり、付近に女郎ヶ池と名づけられた泉水があります。 秋吉台唯一の原生林として存在するこの森は、タブノキ、ヤブ ツバキ、カゴノキ、ヤブニッケイ、シロダモなど60余種からなっています。http://kokukou.digi2.jp/20110515akiyosidai.HTML
ゲスト  投稿日時 2015/10/21 13:26
長者ヶ森の祠 撮影地 : 長者ヶ森
「防長歳時記」によると長者ヶ森には、壇ノ浦の合戦に敗れた平家の残党の一人大田芳盛とその子孫たちにまつわる話が記載されている。長者ヶ森の林内にある祠は、美東町大田鳶の巣地区の前野某を弔ったものと言われている。長者ヶ森の長者は、鳶の巣にある前野家という記録が残っているが、現在数軒あるうちのどれかははっきりしない。長者とは成り金を表す言葉であり、大田から長門仙崎に通じる主街道沿いの交易で儲かったと推測できる。これは、青景・絵堂・長登銀山の隆盛と大いに関係があったと考えられるからである。
撮影者 : 増野和幸
http://www.ysn21.jp/~eipos/data//01_IM/04_chiiki/IM43_001_akiyoshi/data/IM43_001_074.html
ゲスト  投稿日時 2015/10/21 13:21
長者ヶ森(平家落人伝説)
秋吉台は、昔、「大山」と呼ばれたが、その緩やかに起伏する草原の中に、こんもりと孤立して生い茂る唯一の樹林「長者ヶ森」は、 青景・大田間の旧往還に沿う台上にオアシス的景観を添えている。ここにも落人伝説がある。
 平家の一部将、大田芳盛は、壇ノ浦から敗残の士卒二十数人とともに、ようやくにして岐波浦(宇部市) に逃れつき、そこから美東町の大田盆地にいたり、このあたりを拓いて荒神山に居を構え、隠棲することにした。しかし、この地は狭隘な上に、源氏による平家残党の探索が厳しく、追捕の危険が感じられるところから、さらに 適地を求めて大山に移ることにし、当時はまだいたるところに原始樹のみられた高原の真中の森を永住の地と定め、芳盛を長者にたてて人里をつく
りなしていったという。
 やがて、二代目大田芳宗のころには、幕府の実権は源氏から北条氏に移り、平家残党の追及の手も緩和されてきたので、大田氏は次第に大山周辺を経営して手中におさめ、富貴の長者にふさわしい広大な居館を構え、名家と しての声望は高まって近郷を圧するにいたった。
 ところが、三代日芳高のころ、一族間に内訌が生じて紛争が絶えず、あまつさえ不慮の火災にみまわれて、さしもの善美をつくした居館も焼失し、近郷一円に勢威を誇った一族も四散してしまい、かつての栄華をしのぶよすがとてないありさまとなった。そして、この大火によって、原始樹に覆われた大山の台地も六日七夜にわたって燃えつづけ、すっかり焼野原になってしまったという。
 こうして一面の草原となった大山のなかで、ただ一カ所にだけ生い茂っている「長者ケ森」の樹林は、ずっと後世――江戸時代になって、大田氏の子孫が先祖をしのんで、かつての居館の跡と思われるあたりに木を植えたものといい伝えられている。
http://blogs.yahoo.co.jp/hero_dorcus/38190716.html
ゲスト  投稿日時 2015/10/21 13:12
【秋吉台】
山口県美祢市。北東16Km、北西6Km、日本最大のカルスト台地。地下には秋芳洞、大正洞、景清洞など400余の鍾乳洞。1955年・国立公園、1964年・特別天然記念物に指定。
【長者ヶ森】
壇ノ浦の戦いで敗れ、秋吉台に移り住んだ平家の武将 大田芳盛の居館跡(他の説もある)江戸時代に、子孫が先祖を偲んで植樹したものが森になったと伝えられている。
参考:美祢市教育委員会
長者ヶ峰山頂、私有地らしい?
http://www.geocities.jp/tsfxy369/aamokuji11/4m-akiyosidai/4m-akiyosi.html
ゲスト  投稿日時 2015/10/21 13:03
長者ヶ森とストロマトライト化石
3億年前は、一帯が海だったと言われる日本最大のカルスト台地。その広大なカルスト台地で唯一の原生林なのが長者ヶ森です。
昔、この地に住んでいた長者がいつしか没落し、それから幾年月、かつての長者屋敷の跡が森になったと伝えられています。

長者ヶ森
長者ヶ峯展望台から見た長者ヶ森。広大なカルスト台地唯一の原生林だけあって、まるで大きな森のよう。
長者ヶ森駐車場から見る長者ヶ森。ここから長者ヶ森経由で秋吉台を歩き回ってもいい。長者ヶ峯展望台へのアクセスもここから。トイレもあるので、しっかりと準備していこう。長者ヶ森までだったら少しの距離だけど。歩いて10分くらいだろうか。
長者ヶ森毎年ここへ訪れるほど、好きな光景だ。

読んだことはないけど、防長歳時記の長者ヶ森には、壇ノ浦の合戦に敗れた平家の残党の一人、大田芳盛とその子孫たちにまつわる話が記載。

壇ノ浦の合戦
「秋芳洞周辺 山口の昔ばなし」には、山の福の神がついた金持ちの女性と、
貧乏な男性が結婚をして、贅沢に慣れた主人の行いに立腹した福の神が、
米を全部虫や蛾にして立ち去ってしまう話が記載されている。
福の神が立ち去った後は、主人は何をしても失敗ばかりで、長者屋敷も失い、
一家は行方知れずに。
それから幾年月、かつての長者屋敷の跡に森ができ、それが今の長者ヶ森なのだ。

長者ヶ森山口の昔ばなし
「秋芳洞周辺 山口の昔ばなし」は、秋吉台のお土産屋で購入できる。値段は忘れちゃいましたが…(安いよ)。長者ヶ森の昔ばなしは、長者ヶ森の前で読むと楽しいと思う。ベンチもあるし。

秋芳洞周辺 山口の昔ばなし
21話の昔ばなしが楽しめる一冊で、メイン地域は旧美祢郡(秋芳町・美東町)。現・美祢市。絵本のような構成なので、読みやすい。秋吉台周辺のお土産屋では大抵売っているので、読んで秋芳洞周辺を旅してみよう♪

長者ヶ森の中
長者ヶ森の中には入ることもできる。外から見ても感じるように、トトロなんかが出てきそうだよね。鳥のさえずりりもよく聞こえるので、癒しの空間でもある。虫よけスプレー必須だけどね。
http://www7a.biglobe.ne.jp/~yuji-tabisaki/mitou2.1.html
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