長者ヶ森(平家落人伝説)
秋吉台は、昔、「大山」と呼ばれたが、その緩やかに起伏する草原の中に、こんもりと孤立して生い茂る唯一の樹林「長者ヶ森」は、 青景・大田間の旧往還に沿う台上にオアシス的景観を添えている。ここにも落人伝説がある。
平家の一部将、大田芳盛は、壇ノ浦から敗残の士卒二十数人とともに、ようやくにして岐波浦(宇部市) に逃れつき、そこから美東町の大田盆地にいたり、このあたりを拓いて荒神山に居を構え、隠棲することにした。しかし、この地は狭隘な上に、源氏による平家残党の探索が厳しく、追捕の危険が感じられるところから、さらに 適地を求めて大山に移ることにし、当時はまだいたるところに原始樹のみられた高原の真中の森を永住の地と定め、芳盛を長者にたてて人里をつく
りなしていったという。
やがて、二代目大田芳宗のころには、幕府の実権は源氏から北条氏に移り、平家残党の追及の手も緩和されてきたので、大田氏は次第に大山周辺を経営して手中におさめ、富貴の長者にふさわしい広大な居館を構え、名家と しての声望は高まって近郷を圧するにいたった。
ところが、三代日芳高のころ、一族間に内訌が生じて紛争が絶えず、あまつさえ不慮の火災にみまわれて、さしもの善美をつくした居館も焼失し、近郷一円に勢威を誇った一族も四散してしまい、かつての栄華をしのぶよすがとてないありさまとなった。そして、この大火によって、原始樹に覆われた大山の台地も六日七夜にわたって燃えつづけ、すっかり焼野原になってしまったという。
こうして一面の草原となった大山のなかで、ただ一カ所にだけ生い茂っている「長者ケ森」の樹林は、ずっと後世――江戸時代になって、大田氏の子孫が先祖をしのんで、かつての居館の跡と思われるあたりに木を植えたものといい伝えられている。
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