三合めし四合だご についてのコメント&レビュー投稿
昔、宮崎のある村に、いつも腹をすかせている大喰らいの男がいました。 この男は、いつも「ひだりぃのぉ」と言っていたので、村人たちは「ひだりぃどん」と呼んでいました。ひだり...…全文を見る

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投稿者:パンチョ 投稿日時 2012/9/13 0:49
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最初この話見た時は、ひだりぃどんの死に様にビビッて、
「これ、怖い話だな・・・。」という印象しか受けなかった。

しかし、大人になった今、こうして見てみると、色々考えさせられるこのお話。
いかに自分が恵まれた時代に生まれたかと痛感させられる。
昔は白いご飯がごちそうだったんだね。
考えてみれば、殿様だって白いご飯を毎日お腹いっぱい食べていたわけじゃないだろう。
一般人ならなおさらだ。ひだりぃどんのような一般人は、お腹いっぱいご飯を食べる機会なんてそうそう無かっただろう。ひだりぃどんもそうだが、昔の人はきっと、みんなひだるかったに違いない。

腹減った時に好きなだけ、お腹いっぱい食べられる事はホント幸せな事なんだと思う。
現代じゃあたりまえ過ぎて忘れがちだけれども。

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投稿者:ゲスト 投稿日時 2014/10/13 22:37
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最後の方にはある種の狂気すら感じるお話だった
餓えや白い飯を腹いっぱい食べるということへの憧れがどれだけ凄まじいか、その一端(本当に一端でしか無い)が垣間見える気がする
投票数:34 平均点:10.00

投稿者:ゲスト 投稿日時 2017/3/5 5:16
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ご飯を食べれることの幸せを感じれる作品
投票数:32 平均点:10.00

投稿者:まつばら まなぶ 投稿日時 2017/6/27 7:24
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 ひだりぃどんは死を覚悟して、自分の夢「腹いっぱい飯が食べたい」を自分のできる範囲で精いっぱい努力してかなえた。
 その夢の実現した先が死であっても、本当に幸せだったのだろう。
 そのひだりぃどんをやさしく見守り、隠し田のほとりに葬り、毎年隠し田で米を作りひだりぃどんのお墓にお供えする村人たちにも感動する。
 自主独立の精神とそれを支えた村人、これからの社会を考えるうえでいろいろと考えさせられる話だと思いました。
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投稿者:アザヴ 投稿日時 2018/12/17 22:21
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ひだりぃどんの死因はリフィーディング症候群かも
投票数:33 平均点:10.00

投稿者:猫 投稿日時 2021/5/23 22:55
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悲しいお話ですが、とてもためになるお話だと思います。この時代の日本と今の日本とでは、物事に対する価値観も違い、今の日本はとても豊かな国になったと思います。
先日、我が家のお風呂が壊れて、シャワーが出なくなってしまいました。仕方なく、シャワーの横にある、カラン(蛇口)からお湯を出して入浴しています。カランは、シャワーと違って勢いも弱く、また位置が低いにも関わらずシャワーの様に手で動かして体にお湯をかけることができないので、いくら5月とはいえとても寒いですし、とにかく不便です。
ですが、体を洗い温かい湯船に入ったとき、冷え切っていた体がいっきに温まり、ほんとにささいなことながらとても幸せな気持ちになりました。このお話に出てくる「ひだりぃどん」もこんな風に幸せな気持ちに包まれて最期をむかえられたのかな…と感じました。また、普段のシャワーのシステムに慣れていた私は、とても不便に感じましたが、水を汲むにも井戸から水を汲み上げていた昔の人にとっては、蛇口をひねっただけでお湯が出てきて、お湯の温度もボタンひとつで調整できるというのは、当時では考えられないほど活気的なものでしょう。それを思うと、蛇口のお湯でお風呂に入ることも、あまり不便と感じなくなりました。今の日本は、当時に比べていくらか豊かになったため、食品ロスや地球温暖化など、当時にはなかった問題も多くあります。また、コロナの影響で時代はまた大きく変わろうとしています。21世紀、先が見えないコロナ禍の中、日本昔ばなしから学ぶことはとても多いと感じます。
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