赤い椀 についてのコメント&レビュー投稿
昔、富山の朝日町に「おせん」という、7歳のみなしごの娘がいました。おせんは歌が好きな娘で、おせんが透き通った声で歌えば、村人たちは仕事の手を休めて聞き惚れました。 おせん...…全文を見る

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投稿者:とのむら 投稿日時 2012/7/1 9:22
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白い米を食べることが、大変貴重な時代・・・今の世の中では、なかなかわかりませんが、この話を見ていると、今の物資に恵まれた時代に感謝しないといけないと思います。私の祖母は明治生まれでしたが、7?8歳で近くの家に子守に出されたと聞きました。そんな話と『赤い椀』の話を重ね合わせ、昔の小さな女の子たちの生活や苦労を考えてしまいました。
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投稿者:のりくん 投稿日時 2012/7/10 18:12
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富山県朝日町にメールで「赤い椀」の舞台になった場所やおせん落としの谷や沼のことを聞いてみたのですが、よくわからないそうです。
実際に地元まで行って地元の方にも聞いてみましたが分からないようでした。
朝日町には「なないろKAN」という観光施設があって、

民俗学者の宮本常一が「忘れられた日本人」の中で紹介していた日本では珍しい後発酵茶の「バタバタ茶」が飲めます。
後発酵茶は香川県や高知県の碁石茶とか石鎚黒天狗茶とか阿波晩茶みたいに主に四国で生産されている(おそらく弘法大師が中国から持ち帰って伝えたのでしょう)ので、本州で生産されている後発酵茶(黒茶、要するに熟成していないプーアル茶)は珍しいと思います。
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投稿者:beniko 投稿日時 2013/8/3 23:34
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出典元の本(富山の伝説)で確認すると、ざっとした位置が記載された地図が添付されており、おせん落としの谷の位置も記されていました。ただ詳細はその地図からは読み取れませんでした。
今現在、ざっくりとマッピングしていますので、詳しく場所がわかる方は教えてください。
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