No.0970
つきがせ
月ガ瀬
高ヒット
放送回:0611-B  放送日:1987年08月15日(昭和62年08月15日)
演出:上口照人  文芸:沖島勲  美術:阿部幸次  作画:上口照人
岐阜県 ) 21043hit
あらすじ

むかし、飛騨の山あいを流れる小鳥川(ことりがわ)に沿って余部(あまりべ)という小さな山里があり、この村に九郎兵衛(くろべえ)という百姓夫婦が住んでいた。

この夫婦の間には信夫(しのぶ)という一人娘がいたが、信夫は娘の盛りをとうに過ぎても嫁にも行かず一人身であった。それと言うのも、信夫は色が黒く器量が悪かったからだ。そんな娘を思い、九郎兵衛夫婦はいつも胸を痛めるのだった。

そんな信夫が25歳を迎えた夏の終わりのこと。この日は年に一度の盆踊りの日。信夫もお祭りに行くように両親に促され、仕方なく家を出たものの、どうしてもお祭りに行く気にはなれなかった。不器量な信夫のことを、村の人たちが陰口を言っている気がしたからだ。

信夫の足は自然と氏神様とは反対の川辺の方へと向かい、気がつくと信夫は小鳥川に架かる小さな橋の上に立ち、水面(みなも)に映る満月を見つめていた。月を見ているうちに、不器量なために嫁にも行けない自分の切ない気持ちが胸のうちにこみ上げて来る。

すると何を思ったのか、信夫は水面に映った月をすくうように手で水を汲み、その水を飲み干してしまった。すると、その次の年の氏神様の祭りが近づいた頃、なんと不思議なことに、信夫は丸々とした輝くばかりに美しい男の子を産み落とした。そしてこの子は都に出て、後の世まで名を知られる飛騨の匠(ひだのたくみ)になったと伝えられている。

信夫が水面に映った月影を飲み干した小鳥川の淵は月ヶ瀬と呼ばれ、その後二度と月影を映すことはなかったという。

(投稿者: やっさん 投稿日時 2011-10-8 17:08 )


参考URL(1)
http://hidasaihakken.hida-ch.com/e30649.html
ナレーション常田富士男
出典江馬三枝子(未来社刊)より
出典詳細飛騨の民話(日本の民話15),江馬三枝子,未来社,1958年12月20日,原題「月ガ瀬」
場所について岐阜県の月ヶ瀬(地図は適当)
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地図:岐阜県の月ヶ瀬(地図は適当)
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※掲載情報は 2011/10/8 20:26 時点のものです。内容(あらすじ・地図情報・その他)が変更になる場合もありますので、あらかじめご了承ください。
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コメント一覧
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こんはる  投稿日時 2020/10/22 18:07
月ケ瀬に水から月が出る?
ゲスト  投稿日時 2020/10/6 9:12
このお話のしのぶは平安貴族っぽい顔立ちだから
時代が時代なら絶世の美女扱いされたはず。
Perenna  投稿日時 2019/3/11 22:45
この昔話は、昭和8年に出版された「飛騨の伝説と民謡」に収録されています。(コマ番号84/146)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1452420/84?tocOpened=1

父親の名は九郎兵衛ではなくて五郎兵衛で、信夫は名も知れぬ人の子を生んだということで両親から勘当され、家から追い出されてしまいます。
信夫は父親の命ずるままに愛しい我が子を振り捨てて、余部の山奥深く姿を隠して二度と再び姿を現わさなかったそうです。
生まれた赤ん坊は女の子で登美と名づけられ、祖父母の手で育てられます。
登美が立派な娘に成長したころ、都から天子様の命令で都に建てる寺の木材を採るため、余部の山中へ多須那という大工がやってきました。
登美は多須那に見こまれてその妻となり、都に上って立派な邸に住み、安楽な生活を送りました。
この夫婦のあいだに生まれた子供は鳥仏師といって、仏像を作ることが殊(こと)のほか巧(たく)みで、父の多須那と共に天子様のお抱え大工として立派な腕前を振るったといわれています。

このアニメはリアルタイムで見たことがあります。
たしか生まれた子供は都にのぼって有名な歌人になった、というような話だったと思ったのですが、ちがっていたのですね(笑)。
地元の伝説では、信夫の生んだ娘の子供が鳥仏師だったらしいです。

麻萬田  投稿日時 2018/6/2 6:18
この昔話はかなり古い時代の話。
ゲスト  投稿日時 2015/8/27 1:26
どこに追い出したとか、村八分になったとか山奥で一人育てたとか書いてあんの?
ゲスト  投稿日時 2015/2/5 0:33
誰とも結婚せずに妊娠、出産したことを
恥じた両親はしのぶを家から追い出し
村八分同然になった彼女は
山奥でたったひとりで
出産、子育てをし
息子は大成したのだから
しのぶの人生は
結果オーライだったのでしょう。
トモメル  投稿日時 2014/4/24 23:52
紅子さま

このお話はかなり古いお話のようですね
叔母が日本最初の尼僧・善信尼(嶋)だったように
鞍作止利は、身分が高かったようです

神話によくある、太陽や月、星を父とする、
王や英雄の出生譚のようです

月は仏教の象徴ですので、仏師だから月なのかも知れません
トモメル  投稿日時 2014/4/24 16:33
鞍作止利・鞍作鳥(くらつくりのとり)2008/09/03
http://hiyoko.tv/torimono/name/eid278.html

飛鳥時代を代表する仏師。
本名・司馬鞍作部首止利仏師 (しばのくらつくりべのおびととりぶっし)
止利仏師。
生没年不詳。
祖父は朝鮮半島(百済)からの渡来人・司馬達等。
叔母は日本最初の尼僧・善信尼(嶋)。
聖徳太子・蘇我馬子に重用された。

【代表作】
・法隆寺金堂本尊銅造釈迦三尊像(623年)
・飛鳥寺本尊の釈迦如来坐像(飛鳥大仏)(606年)
 ※後世の補修により、当初の部分は頭部の上半分、左耳、右手の第2・3・4指に
  残るのみとされ、止利仏師の作と呼ぶことに否定的な意見もある。

その他「止利様式」と呼ばれる同系統の仏像が現存。
玉虫厨子も止利様式(昔は止利の作と習った記憶が)と言われる。

【止利様式の特徴】
・古式の図式的な衣文・ふかぶかと両肩を覆う服制(中国北魏様式)
・左右対称で安定感がある
・杏仁形(アーモンド形)の眼
・アルカイックスマイル(古式の微笑)をうかべた仰月形(ぎょうげつけい) の唇
・太い耳朶(耳たぶ)
・首に三道(3つのくびれ)を刻まない

日本の伝統工芸作品の職人技で新造された“平成の玉虫厨子”→ 平成プロジェクト『蘇る玉虫厨子』 2008/09/03 Wed
マルコ  投稿日時 2013/8/24 16:45
ほうほう・・・あの有名な鳥仏師ですか・・・。
飛騨の匠って聞くと、なんかかっこいいですね!!
beniko  投稿日時 2013/8/23 19:54
信夫(しのぶ)が生んだ子がやがて大きくなって、鞍作鳥(くらつくりのとり)という名の飛騨の匠になったそうです。(出典本より)
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