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No.0943
じごくのにんじん
地獄の人参
高ヒット
放送回:0593-B  放送日:1987年04月04日(昭和62年04月04日)
演出:前田康成  文芸:沖島勲  美術:安藤ひろみ  作画:前田康成
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あらすじ

昔、悪たれ婆さんが死に、生きている間にあくどく貯めた金を握りしめて、地獄に落ちた。

婆さんは、全てのお金をえんま大王に差し出し、極楽に行かせてもらえるように頼んだ。するとえんま大王は「ばかもの。極楽に行かせてもらうには、良いことをしたことのある者でなければならぬ。」と言った。

婆さんは「わしは一度だけ良いことをした。旅の乞食坊主に腐った人参を渡した事がある」と言い、しばらく考えていたえんま大王は「たとえ腐ったニンジンにせよ、人に施(ほどこ)し物をするという心があったならば、極楽に行かせてやろう。血の池に浮かぶ人参にすがれ。」と、婆さんに言った。

婆さんは「これで極楽に行ける」と大喜びし、血の池に浮かんでいた人参を手にした。人参は婆さんと一緒にするすると極楽に向かって高く高く登りはじめたが、この様子を見た他の亡者たちは次々に婆さんの足につかまった。 

焦った婆さんは「大勢の人が捕まったら、その重みで人参が崩れてしまう」と、足につかまる他の亡者たちを足でけり落とした。と同時に、婆さんの持っていた人参はホロリと崩れ、婆さんは再び地獄に落とされた。

自分さえ良かったら他人はどうでもいい、という卑しい根性だった婆さんは、結局極楽へは行けなかった。この様子を見ていたえんま大王は「やっぱり悪人は悪人だったな」と言い、極楽の仏様は小さくため息をついた。

(投稿者: 深谷 麻理 投稿日時 2013-8-20 23:07)


ナレーション常田富士男
出典三間稿本より
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※掲載情報は 2013/8/21 0:54 時点のものです。内容(あらすじ・地図情報・その他)が変更になる場合もありますので、あらかじめご了承ください。
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コメント一覧
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Perenna  投稿日時 2019/3/9 0:11
yassan様

たいへん興味深いお話を教えてくださり、ありがとうございます!
セルマ・ラーゲルレーヴといえば、「ニルスの不思議な旅」で有名なスウェーデンの作家ですね?
NHKで放送していたアニメの「ニルスのふしぎな旅」は、子供の頃によく見ていました。
彼女の著わした『キリスト伝説集』も近いうちに、ぜひ読んでみたいと思います。
聖ペテロの母親が意地悪で地獄に落とされたという話は初耳です。
ただ、なんとなく仏教の目連尊者の母親の逸話を連想いたしました。
『盂蘭盆経』によれば、目連尊者の母親は餓鬼道に落ちて、大変な苦しみを味わっていたらしいです。
目連尊者はお釈迦様に母親の苦境を相談し、いろいろな供養をして熱心に冥福を祈ったので、ついに母親は地獄の苦しみから逃れることができたそうです。
今まで見てきた昔話でも、天上の世界にあともう一歩というところで下界に墜落するような話がたくさんありました。
天界と地上と地獄という世界観は、地球に住む全人類の共通の思想なのかもしれません。
yassan  投稿日時 2019/3/8 12:25 | 最終変更
Perenna様

調べてみると、どうもこの話は欧米キリスト教圏に広く分布しているようです。おそらく「蜘蛛の糸」や「地獄の人参」はこれらヨーロッパの話の日本式翻案なのでしょう。なお欧州の場合、話中の意地悪婆さんは聖ペテロの母親とされることが多いようです。なぜ12弟子の一人、ペテロの母親がこうも意地悪だったかは知りませんが・・・

スウェーデンの女流作家、セルマ・ラーゲルレーヴの『キリスト伝説集 』(※1)にも「わが主とペトロ聖者」として書かれています。この場合、人参やネギは登場せず、天使にかかえられて地獄から脱出するようです。

またシチリアの民俗学者ジュゼッペ・ピトレも似た話を伝えており、著作の中でこの話の原型について触れています。(※2) 興味深いので引用します。以下” The Collected Sicilian Folk and Fairy Tales of Giuseppe Pitrè” (邦訳なし) p895 からの拙訳です。

「ドイツの民俗学者ラインホルト・コーラー(Reinhold Köhler)がピトレに伝えた話では、これと似た話は15世紀のドイツにあり、フランツ・ヨーゼフ・モーネ(Franz Josef Mone)の” Anzeiger für Kunde der deutschen Vorzeit” (1836)にあるという。それによれば、

生前に勤勉で悪い事をしなかった木こりの男がいた。しかし聖ペテロはどういう訳か、この哀れな男を天国に入れなかった。そこで木こりは、聖ペテロに天国に上げてくれるよう懇願した。すると聖ペテロは、木こりの持っている斧(おの)を使って天国に上げると言う。

木こりは斧の柄(え)につかまって、地獄から引き上げられる。ところが、木こりがもう少しで天国に着くというところで斧の柄がすっぽ抜けてしまい、木こりはまた地獄に落ちていってしまった。」
__________
※1『キリスト伝説集』、セルマ・ラーゲルレーヴ、岩波書店、1984年8月、p164-176.
※2 Zipes, Jack David. "The Collected Sicilian Folk and Fairy Tales of Giuseppe Pitrè". New York: Routledge, 2009. 501,895. Print.

Perenna  投稿日時 2019/3/7 22:56
この昔話は、たしかに芥川龍之介の「蜘蛛の糸」に似ていると思います。
ですが、ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」にも、「一本の葱(ねぎ)」という似たような昔話が紹介されています。(コマ番号64/220)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/921124

「昔、一人の百姓の女がありました。その女は大そういけない女だつたので、一生涯一つもいい事はしないで死んだから、地獄へ落ちて火の池へ投げ込まれました。ところがその守り神なる天使様は何とかしてその女を救つてやらうと、いろいろ探した末、神様に向つて、此女はある時畑の葱を一本抜いて乞食女にやつたと申上げました。すると神様はそれを聞いて、「ぢやお前がその葱を持つて火の池の縁に立つて、その女に縋(すが)らせるがいい。首尾よく女を池から引上げることが出来たら、天国へ生れさせよう。葱が切れたらそれまでだ。」と仰しやつたのです。天使はさうしました。女は葱に縋つて上げられました。所がもう一息で上へ上げられやうとする時、他の亡者たちがやつて来て、その葱にぶら下りながら自分も一しよに引上られようとしました。その女は悪い女でしたから、「私の葱だ、お前のぢやないよ。」といきなり他の亡者たちを足で蹴(け)りはじめた。が、斯う言うや否や葱は切れて女は再び池へ落つこちてしまいました。女はさうして今も池のなかで苦しんでゐる、天使も泣く泣くその場を去つてしまいましたとさ。」

「カラマーゾフの兄弟」は大正時代から翻訳されているので、同時期に発表された「蜘蛛の糸」と、なんとなくごっちゃになっているような気がします。
江戸時代の頃の人参といえば、朝鮮人参とか高麗人参といった薬用の人参が一般的だったのではないでしょうか?
大根やサツマイモならともかく、人参が出てくる昔話はあまりないみたいなので、このアニメの話はなんとなく違和感を感じます。
もっともこの悪たれ婆さんは、かなり小金を貯めていたみたいなので、ひょっとしたら高級な薬用人参を栽培してボロ儲けしていたのかもしれませんね。
ゲスト  投稿日時 2016/1/27 14:10
良いお話ですね。本当に、蜘蛛の糸にそっくりですね。
人参に捕まり極楽浄土に上がる時に、「全ての人々も救われますように。」と祈ればきっと良い方に向かったかと。

私も今生の只今から、慈悲と慈愛の心で生きて、人々に喜んで貰える人生を歩み通したいと思いました。
閻魔様にお会いしたら微笑んで頂けるかしら。
もげお  投稿日時 2015/10/17 14:30
出典の「三間稿本」が判明しました。
「カレイとヒラメ」の出典と同じ『日本昔話通観 』シリーズの
『第22巻 愛媛・高知』(稲田 浩二 責任編集、同朋舎、1979)にありました。

p257-258 No.135 『地獄の人参の綱(原題・腐った人参)』です。
出典は(三間稿)との表記があり、P715の資料目録には
「三間稿‥‥京都女子大説話文学研究会 1972」とあります。
これで間違いないでしょう。見つかって良かったです。
beniko  投稿日時 2014/7/6 23:44
修正しました。教えてもらってありがとうございました。
ゲスト  投稿日時 2014/7/5 13:15
「世界の童話や昔話などとの類似話」のページでの一覧表のうち、「ロミオとジュリエット ←→ 三吉と小女郎」。←このページの「三吉と小女郎」の青文字をクリックするとここのページ(「地獄の人参」)に飛ばされます。リンクの間違いだと思います。
MARIE   投稿日時 2014/4/17 22:13
私は小学3年の時、このアニメを見ました。その時私は
「悪いことをして地獄に落ちても、極楽に行かせてもらえたらなぁ」と思って見ていて、作文用紙にその内容を書きました。
 学校やKUMON式教室で先生に見せると、難しいテーマに挑戦したことは評価してもらえて、書き方について「改行したら読みやすくなる」などと言われました。
また、「極楽」を「獄楽」と書いてしまったので、その点も直されました。

 内容に関しては、「こんなことが起こるはずがない」と言われました。
確かに、腐った人参につかまるとそれが浮かび上がるのは、物理的にいえば、どう考えてもありえないことですね。
 
 ばあさんが人参にすがっている時はそのまま上へ上へと上がって行き、他の亡者たちを蹴落とした途端人参が崩れて地獄に落ちてしまうのは、婆さんの心の醜さ・「因果応報」を表しているのでしょう。

 

178  投稿日時 2014/4/4 12:27
すごく鮮明に記憶しています。後少しで救われたのに…自分の生き方を考えさせられます。
ゲスト  投稿日時 2014/4/1 22:09
まんが日本ばなし版「蜘蛛の糸」ですね。

蹴落とすときのドヤ顔ばあさんがいいですね(笑)。

これも人間の醜さのひとつを描いた秀作だと思います。

ばあさんが極楽へいけてたらどうなってたのかな?
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