No.0910
きゅうしょうぼう
九升坊
高ヒット
放送回:0573-A  放送日:1986年11月08日(昭和61年11月08日)
演出:若林常夫  文芸:沖島勲  美術:門屋達郎  作画:若林常夫
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あらすじ

昔ある村に、とてもケチで欲の深い爺さんがいました。1杯のご飯も5~6日かけて食べ、たくあんは1本を半年もかけて食べる程でした。まるで爪に火をともすような暮らしぶりで、それはもうケチケチとお金を貯めていました。

爺さんの楽しみといえば、命より大切なお金の勘定でした。毎晩、床板をそっとはがし、床下から金袋を引き出して、小判を一升枡(いっしょうます)でザラザラと計り、九升の小判を眺めながら幸せそうにニタニタ笑っていました。

こんな爺さんでしたので、床下の金が心配で心配で、村人たちが家に近寄ったりするだけで怒鳴り散らして追い返しました。ましてや村人たちがどんなに困っていても、びた一文の金を貸してやることもありませんでした。

ある晩、爺さんの家に旅のお坊さんが立ち寄りました。お坊さんが戸口の前から声をかけても、爺さんは小判の勘定に夢中で、声に気が付く様子はありません。そこで旅のお坊さんが、戸口をがらりと開けて「今晩一晩、宿をかしてもらえませんか?」と、土間に立って声をかけました。

坊さんの姿を見た爺さんは「オラの金が取られる!」とびっくりしたとたん、息がつまり、それきり倒れて死んでしまいました。爺さんは命より大切な金のために、とうとう命をなくしてしまいました。爺さんが死んでから誰も住む人の無くなった家を、村の人たちは「九升坊」といい、いつまでも残していたそうです。

(紅子 2012-7-11 18:48)


参考URL(1)
http://denbunmori.jp/usertop.php?M=7000&nut_id=808
ナレーション常田富士男
出典おのちゅうこう(未来社刊)より
出典詳細上州の民話 第一集(日本の民話20),小野忠孝,未来社,1959年06月30日,原題「九升坊」,採録地「山田郡」,話者「中沢豊三郎」
場所について九升坊エリア(梅田中学校正門の向かい周辺)
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地図:九升坊エリア(梅田中学校正門の向かい周辺)
追加情報
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※掲載情報は 2012/7/11 18:48 時点のものです。内容(あらすじ・地図情報・その他)が変更になる場合もありますので、あらかじめご了承ください。
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コメント一覧
6件表示 (全6件)
ゲスト  投稿日時 2015/9/27 20:57
度の超えたケチは身を滅ぼすってことでしょう
あと集ってくるという言い方はどうかと。困ってもいないのに金よこせと言ってくるなら集りだろうけど、
困った挙句の借金の申し込みなら、金額次第ではあるだろうけど集りと言えないのでは
爺さんは強欲であって悪人ではないかもしれないけど、銭しか信じられるものがなくてある意味哀れではある
ゲスト  投稿日時 2015/8/30 12:33
この話の爺さんは何故か悪人扱いされてるけど、
食い詰めて自分で必死に溜め込んだお金。
貸すも貸さないも勝手のはず。
一体何が悪いのか全くわかりませんねぇ。
むしろ集ってくる村人のほうが悪人に見えますが・・・
マルコ  投稿日時 2013/4/9 22:11
伝統文化の森ホームページより◆九升坊(くしょうぼう)◆

九升坊は、市立梅田中学校の正門前の地域の異名であるが、別に地名として記録されているわけではない。本文の民話によって付けられた異名である。現在は、立派な家が建てられている。
誤解を招くことのないないよう、『ここに住んでおられる方々は、民話にはまったく関わりのない方々である。』ことを念のために記述しておく。


桐生の民話のホームページより
九升坊(くしょうぼう)

前述の一升こう申を過ぎると、道は二俣道となる。直進は県道上藤生線で、右へ折れると梅田中学校正門前を通過して坂見へ抜ける旧道となる。
この旧道にはいって始めての左手の家が「九升坊」あとである。土地の人々も現在の家を「九升坊」と呼ぶが家そのものに伝説は残されているものの、家人と伝説の主とは何らのかかわりはない。

これらの情報より、「九升坊」入道ケ窪(桐生市梅田町2丁目)市立梅田中学校の正門前の地域もようです・・・。

マルコ  投稿日時 2013/4/9 22:06
伝統文化の森ホームページより引用
 
梅田中学校正門の前の一角を、土地の人々は、今でも『九升坊』と呼んでいます。『九升坊』・・・・・・すこし妙な呼び名だとは思いませんか。そう呼ばれるのには、こんな伝えが残されていたからです。
昔むかしのことでした。ここの土地にものすごくケチな男が住んでいました。男には、おかみさんはいませんでしたし子供もいない、たった一人での生活をしていました。それも、近所の人たちとのお付き合いを一切断って、ひっそりとアバラ屋ぐらしを続けるという、何とも変わった男でした。
いえいえ、それだけではありません。男の生活ぶりは、まさにドケチ。食べる物、着るもの、住んでいる家――どれ一つとっても、
「乞食だって、あれまでだよなあ。」
と、地域の人たちさえ驚きあきれるほどの、あまりにもひどい生活ぶりでした。
加えて、男は生まれつきの超不精者でしたから、着物を脱ぐのが億劫と、お風呂にさえ何か月も入りません。ですから、近づいただけで、男の体から発する異様な臭いが鼻を突く始末です。
こんなありさまでしたから、男が近所付き合いをしないというよりは、近所の人たちの方が、だれ一人として男に近づかなかった、といった方がいいのかもしれません。そのせいでもないでしょうが、男は一日中、家の中に閉じこもったままで、外へ顔を見せることがほとんどありませんでした。
男は、それほどまで貧しい生活をしなければならないほど、お金に困っていたのでしょうか。いやいや、とんでもありません。貧乏人どころか大変なお金持ちだったのです。では、なぜ、男は「どん底生活」なんかをしていたのでしょうか。
実は、この男、若いころから小判の魅力に、とりつかれてしまっていたのです。手に入ったお金を手放すのがなんとも惜しくて、お金というお金をみんな溜め込んでしまっていたのです。そして、爪に火を灯すかのようなどん底の生活を重ねながら、小判が溜まってくれることだけに、大きな喜びを感じ取っていたのでした。
ところで、昼間は生きているのか死んでいるのか、まったく分からないような、そんな情けない暮らしをしているこの男が、周りの人たちが寝静まった真夜中になりますと、毎晩、人が変わったように生き生きとした顔を取り戻すのでした。たるみがちだった瞼がパッと開いて、なんと、その奥にある両の目がギラギラと輝き出すのでした。
「最愛の小判に逢える時がきた」
という喜びが、そうさせるのでしょう。
男は、寝床からむっくりと起き上がりますと、かたわらの床板をはがし、大事に隠しておいたツボを取り出します。そして、一本のロウソクの灯りを頼りに、中の小判をすくい上げるのでした。男は、その小判に頬ずりをしては、ソッと床に落として、
チャリリーン、
チャリチャリーン
と、小判の触れ合う音を嬉しそうに聞いて、一人楽しむのでした。
小判が落下して放つ金属音以外は、物音一つしない暗い部屋の中で、揺らぐローソクの灯りに浮かび上がる男の顔――粗末な暗いアバラ屋にたった一人、小判に戯れながら、ニヤリと薄気味悪い笑いを浮かべる男の顔――そのありさまは、想像するだけで身震いが出てきそうな光景でした。
夜中になると、溜めておいた小判を取り出して対面し、小判の触れ合う金属音を人知れず聞いて喜ぶという、男のこの奇妙な行為は、
「いとおしい小判たちは、一日中でも眺めていたい。でも、そのことを村人に気づかれたくはない。なにか、うまい手はないものかな。」
と、さんざん考えあぐねた末に、やっとたどり着いた男の、たった一つの夜の楽しみだったのです。
ある冬の夜のことでした。
「どれ、今夜もかわいい山吹色(小判)にお目にかかろうかいな。それにしても、今夜はヤケに冷え込むわい。おお寒い寒い。」
男は、こんなことをつぶやきながら、かじかんだ両手をこすり合わせ、いつもの楽しみを味わおうと、ツイッと立ち上がりました。そして、何げなく崩れた壁の外を見やった男の目に写ったものは、まだ初冬だというのに、なんと暗い天上から舞い降りてくる白いものでした。
「おやおや、雪かいな。どうりで冷えるわけだわい。」
と、独り言をいいながら、両手に思いっきり熱い息を吹きかけますと、男は、いつものように床板を持ち上げて、ツボを取り出しました。
ツボの中には、長い間のケチケチ生活のおかげで、小判がだいぶたまっていました。ですから最近は手ですくいあげることをやめて、一升(1・8リットル)枡で小判を量ってはツボに落として、金属音を楽しむようになっていました。
この雪の舞う寒い夜も、一升ますを手にして小判を量っては、ツボに落とし始めました。
「一升――。」
チャリチャリン
チャリーン
「ウーン。いつ聞いてもなんとも言えんいい音色だわい。それ二升――。」
チャリチャリ
チャリーン。
「フッフッフ。ほんとにたまらんな。」「三升――。」「四升――。」
こんなふうに男は小判を量っては、いっとき、そのすばらしい音の響きに悦に入っていました。ついさっきまでのこごえるような寒さなんかは、とっくにどこかへ飛び去っていました。
さて、男が九升目の小判を枡に入れました。そのときでした。静寂そのものだった夜のしじまを破って、突然、表の戸が激しく叩かれたのです。
ドンドンドン
ドンドンドンドン
真夜中の静けさを打ち破ったその音は、異常なほどの大きな音の固まりとなって、男のアバラ屋を走り抜けました。その音が男に与えたショックは、それはそれは大変なものだったのでしょう。
「ウッ、ウウウーッ。」
と、小さくうめくと、男は、その場にヘナヘナヘナッと崩れ落ちてしまったのです。手にしていた枡からこぼれ落ちる小判だけが、ひときわ澄んだ金属音を床に這わせ続けました。
「もし、家のお方。道に迷い難渋している雲水じゃが、なんとか一夜の宿をお願いできんものかのう。もうし、家のお方。」
家の外では、雪の舞う軒下で老いた旅の僧が、しばらくは繰り返し繰り返し、表戸を叩き続けていましたが、
「どうも中の様子がおかしいわい。」
と、旅の僧が家の中に飛び込んだときには、男の息は、すでに絶えてしまっていました。
息が絶えてもなお、男の手にしっかりと握られた一升枡――ロウソクの灯りを妖しく反射させて辺りに散乱する大量の小判――真夜中のこの情景は、まさに異変そのものでした。
この事件があってからまもなくして、男の住んでいたアバラ屋は『九升坊』と呼ばれるようになりました。山吹色の魅力に取り付かれ、豊富な財力がありながら、およそ人間らしくない生活のまま、一生を終えてしまったドケチ男。小判九升目を量り終えたときに、深夜のアバラ屋の表戸を激しく叩き続けた旅の僧の姿――。「九升坊」という奇妙な呼び名には、遠い昔の寒い雪の夜のできごとを物語って余りある響きが、存分に含まれているのです。
のんの  投稿日時 2013/1/12 10:50
このお話だけは教訓がよく解りませんね・・・
ふみゅう  投稿日時 2013/1/11 2:43
当時、幼い頃に観た記憶が、話の内容より、たくあんを丸かじりしている事が記憶に残っていました。
話の内容とタイトルが分かってスッキリしました。
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