No.0863
わらびちょうじゃ
わらび長者
高ヒット
放送回:0542-B  放送日:1986年04月05日(昭和61年04月05日)
演出:前田康成  文芸:沖島勲  美術:門屋達郎  作画:前田康成
埼玉県 ) 29175hit
あらすじ

秩父の高篠山に、栄華を極めた長者が住んでいた。この長者は、毎年春になると屋敷中の人間を駆り出し、高篠山のわらびを採るのが習わしだった。

ある年のわらび狩りの日、長者がこう厳命した。「良いか皆の者、あの日が沈むまでに高篠山のわらびを全て採り尽くせ。日が沈むまでに高篠山のわらびを全て我が屋敷の倉に納めるのだ」

幼子から年寄りまで駆り出されてのわらび狩りは続いたが、とても1日では山銃のわらびを採り尽くせるものでは無かった。じりじりとその様子を眺めていた長者は、何を思ったか愛用の扇を取り出し、「エイホゥ 夕陽よ戻れ、エイホゥ 夕陽よ戻れ」と叫びながら扇で夕陽を指し招いた。

すると、沈みかけた夕陽が再び戻って辺りを照らし、やがて高篠山のわらびは全て採り尽くされた。ところが、高篠山のわらびが全て蔵に納められたと同時に、蔵の中に積まれたわらびが赤トンボに化けて次々と高篠山に戻って行った。

季節外れの赤トンボが群れ飛ぶ中、長者は狂ったように扇を手に「夕陽よ戻れ」と叫びながら舞い続けた。その内扇をひと振りする毎に屋敷が消え、蔵が消え、しまいには長者の姿も消え、後には扇と無数のわらびだけが残された。

以後、高篠山はわらびの名所になった。また、後々の時代になっても山の頂上で時折「夕陽を戻せ、夕陽を戻せ」と言う叫びを聞く者があったと言う。

(投稿者: 熊猫堂 投稿日時 2012-10-29 17:54 )


ナレーション市原悦子
出典瀬川拓男(角川書店刊)より
出典詳細長者への夢(日本の民話05),瀬川拓男,角川書店,1973年7年25日,原題「わらび長者」,伝承地「埼玉県」
場所について秩父の高篠山(現:丸山)地図は適当
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地図:秩父の高篠山(現:丸山)地図は適当
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※掲載情報は 2012/10/29 22:14 時点のものです。内容(あらすじ・地図情報・その他)が変更になる場合もありますので、あらかじめご了承ください。
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コメント一覧
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ゲスト  投稿日時 2022/2/9 15:36
長者、お前気でも狂ったんじゃないのか!?
Wii  投稿日時 2022/2/9 12:12
前田こうせい氏の作品では「荒坂長者」の長者親子や、「くっついた欲の皮」の和尚のような、悪く言えば人間らしい強欲者が多く登場しますが、この長者はもはやそれらを遥かに凌ぐ、いや超越するほどのほどの狂気を感じます。
んん  投稿日時 2021/12/29 15:52
ただのやばいやつじゃん。
よくもこんなキ○○○長者を!
Perenna  投稿日時 2021/12/21 23:21
この昔話は、「ふるさとの民話17・埼玉県の民話」にも収録されています。
「ワラビ長者」〈伝説・秩父市〉とカタカナ表記されています。
ワラビが飛んでいく場面については、次のように書かれています。

「いっぽう、秩父の山やまのワラビをとりつくすべえって、ひっしになってた小作人たちは、お日さまがしずみかけたんで、おろおろしてたっけが、いいぐええに、お日さまがまいもどったんで、どうにか、秩父全山のワラビをとりきることができたんだと。
ところがだ、そのころんなっても、六兵衛たちゃあ、まだ高篠山のワラビをとりきれねえで、こまりきってた。
それもそのはず、秩父の山やまのワラビが、群れつくってとぶトンボのように、高篠山めがけてとんできちゃあ、はえるからだ。」

この本では、ワラビは赤トンボに変身したわけではなく、ワラビそのものが「トンボのように」とんでいったと書かれています。
夕陽と赤トンボの取り合わせは、アニメ制作者の演出らしいですね。
ゲスト  投稿日時 2020/9/28 15:14
東西問わず、人間が神の領域に足を踏み入れると神様は嫉妬や怒り等で報復する。
この長者の場合は、気まぐれから山からわらびを取り尽くす暴挙から沈むお日様を再び昇らせるという自然の摂理を犯した。
他では倉、屋敷が無くなる所で済む話が多いが、わらびがトンボになり倉、屋敷が消されても「夕日をかえせ」「取り尽くせ」と自分の力を示そうとした長者が神様の逆鱗に触れ長者本人が消されたのだろう。
この長者は年老いてぼけるどころか神か妖怪になりかけていたので危険と判断されたのではないのかな?
Perenna  投稿日時 2020/1/30 23:07
この昔話の初出は、大正6年に出版された「日本伝説叢書・北武蔵の巻」らしいです。
「高篠山の長者屋敷(秩父)」という題で収録されています。(コマ番号200/227)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/953564/200

アニメでは、わらびが赤トンボになって飛んで行きます。
しかしこの本では「取りつくせない分は高篠山に飛んで行った」と書いてあるだけです。
赤トンボについては瀬川拓男の脚色か、アニメ制作者の演出なのではないでしょうか?
ゲスト  投稿日時 2019/6/17 20:22
人間やることなくなると呆ける。
ついにアルツハイマーを発症し本物になった爺の話。
あまりの横暴に嫌気がさした村民に反乱され屋敷は焼かれ爺も消されたんだろう。
取りつくせ~取りつくせ~
匿名  投稿日時 2017/10/28 12:04
眠れぬ…ただこうして時の流れのままに年老いてゆくのか。
秩父の長者の名にかけて、夕日をかえせ。夕日をかえせ!

生きるという事、老いるという事。
ゲスト  投稿日時 2016/1/19 22:48
秩父の高篠山(現:丸山)の 南側には 旧 名栗村(秩父郡)の 蕨山がある。
秩父郡は古代より 和同開珎 を産出した地域であり、鉄等の鉱物資源と生産に関与した地域であった。

ちなみに、「大阪では、ワラビの枯れた地上部を「ほとら」と呼んでいます。」そうで、
  蕨  = ほとら
  蕨山 = ほとら山
なのだと思う。(web上検索したら以下の文献があったの参考に乗せる)
「ほとら山という開けたところに出てきた。ここは昔スギの人工林の後、採草地として牛などの飼料の草を刈っていたところ。広葉樹を植栽したが1平方㎞あたり10頭というシカの増加でワラビ以外はほとんど食い尽くされ、下草狩りをした後のような状態であった。」
「私の住む真庭市南部旧落合町木山地区では、山寄せの田畑と山林の隣接地の斜面を「ほとら」と呼び、共有地として、草刈りを田畑所有者が行い、刈った草木を肥料として使うという慣習があります。」
ようするに、蕨しか生えない禿山や 草と低木しかない山を 蕨山と呼んだのだと思う。
鉄の生産には木材は欠かすことができず、一つの山を禿山にして 今は滅んでしまった 長者の物語なのだろう。
また、トンボも鉄と関係があるように思える。
熊猫堂  投稿日時 2012/10/29 17:54 | 最終変更
Mixiの某コミュニティで「一番怖い『昔ばなし』」の評高かった作品です。
書籍では傲慢な長者が神罰を被ると言う筋書きに重点を置かれた再話が多いのですが、アニメ版は単に神罰譚に終わらせず、長者の孤独感と言うか人となりを掘り下げた再話が印象的でした。
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