No.0833
しばぐり
しば栗

放送回:0524-B  放送日:1985年11月30日(昭和60年11月30日)
演出:池原昭治  文芸:平見修二  美術:池原昭治  作画:上口照人
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あらすじ

昔、三河のある村で、ボロボロの衣をきたお坊さんが家々を回っていました。この辺りは街道に近くて、毎日沢山のお坊さんがやってくるので、村人たちも毎回は食べ物を恵んであげる事はありませんでした。

結局、何も食べ物をもらう事ができなかったお坊さんは、もうお腹ぺこぺこで村はずれの大きな栗の木の所までやってきました。そこで遊んでいた村の子供たちに出会い、お坊さんは三日ぶりに焼き栗を二粒ご馳走になりました。

嬉しそうに栗の実を食べているお坊さんを見ていた子どもたちは「もっと焼いて食わせてあげよう」と、背の高い栗の木にするすると登り、栗の実を沢山とりました。子どもたちの栗のおもてなしで、お腹いっぱいになった坊さんはトロトロと昼寝をはじめました。

その間に、子どもたちは「山で行き倒れにならないように」と、さらに沢山の焼き栗を用意してあげました。夜になり目を覚ましたお坊さんは、袋いっぱいの焼き栗を見て、子どもたちの優しい気持ちに嬉しくなりました。

お坊さんは、何かお礼をしたいと考え「今後、この高い栗の木から子どもたちが落ちて怪我をしないように」と、心の底から一心に祈りました。すると不思議な事に、栗の木が地面にどんどん埋まりはじめ、背の低い木になりました。

翌朝、背が低くなっている栗の木を見つけた村人たちは「あのお坊さんはきっと弘法大使に違いない」と噂しあいました。この栗の木は「しば栗」と呼ばれ、いつまでも子どもたちの安全な遊び場として、大切にされました。

(紅子 2012-9-1 3:10)


ナレーション市原悦子
出典寺沢正美(未来社刊)より
出典詳細三河の民話(日本の民話65),寺沢正美,未来社,1978年04月10日,原題「しばぐり」,採録地「東加茂郡」,採集「安藤正夫、那須邦子、渡辺勇」
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※掲載情報は 2012/9/1 3:10 時点のものです。内容(あらすじ・地図情報・その他)が変更になる場合もありますので、あらかじめご了承ください。
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コメント一覧
5件表示 (全5件)
猫  投稿日時 2021/5/21 20:34
このお話は本当に大好きです。
皆さん仰る通り、自然と泣けてきます。
昔話で泣ける話というと、少し悲しい話が多い気がしますが、こんなにハッピーエンドで終わる泣ける話は貴重ですね。
私もこの子供たちの優しさに深く心をうたれました。お坊さんも子供たちへの感謝を忘れない、人情のある立派な人ですね。
シュクラン  投稿日時 2017/9/29 15:52
村の子供たちの 優しさに お坊さまの此れまでないくらいに 子供たちのためいのったこと 見ながら涙が ボロボロでましたまんが日本昔話 沢山ありますが このしば栗は 忘れない話です 大好きです
ゲスト  投稿日時 2015/7/3 18:19
弘法栗の話 (須玉すたまの民話)
むかし、御門(みかど)という部落の近くでな、子供らが栗の木の下で栗の実を拾っている所へ、ちょうど弘法大師(こうぼうだいし)さまが通りかかられたのじゃ。弘法大師様は「大きな栗の木では栗の実が取りにくかろう。」とおっしゃって持っていたつえで栗の木をたたきながら立ち去られたそうな。その後、不思議なことに栗の木の高さは一メートルたらずしか伸びないばかりか、以前にも増してたくさんの実がとれるようになったそうじゃ。そして、これを弘法栗と言うようになったとさ。

御門=須玉町の増富(ますとみ)にある地区の名前。増富は温泉で有名なところ。

津金学校 須玉町歴史資料館HP
http://www.tsugane.jp/meiji/rekisi/sutama/minwa.html
ゲスト  投稿日時 2015/7/3 18:04
弘法栗(山梨県北杜市)
むかしむかし、八ヶ岳(やつがたけ)の麓の村に大きな栗の木がありました。村の子供たちが栗の木の下に集まって栗拾いをしていたところ、日本中を旅していた弘法大師さまが通りかかりました。
歩き疲れた弘法大師さまは、ちょいと一休みして腰掛け、和気あいあいと栗を拾う子供たちを眺めています。
子供たちは小さな掌にふたつ、みっつ、よっつと栗の実を握りしめては、まだまだ拾いたいと意気込んでいました。
しかし、小さな子供ですから高い栗の木によじ登ることはできません。
「木登りができたら、たくさん栗を採れるのに」
そう呟いていたところを、弘法大師さまが声を掛けました。
「これ、子供たちや。その美味しそうな栗を少し分けてはくれないかい。歩き続けて腹が減ってしもうてな」
子供たちは粗末な服装の坊さんを見て、いかにもひもじそうだったので、拾ったいくばくかの栗の実を分けてあげました。
「ああ、おいしい。おいしい。お前たちは優しいね」
そうにこやかに言いながら、栗を食べる弘法大師さま。
子供たちも良いことをしたと、満足そうです。
栗の実を食べ終わった弘法大師さまは、子供たちの方に向き直り、
「こんな大きな木だと、栗の実を採るのにも苦労するじゃろうに」
そう言って立ち上がり、持っていた杖で栗の木の幹をコンコンと軽く叩きました。
するとどうでしょう。
首が痛くなるほど見上げてもまだ足りないくらい高かった大きな大きな栗の木が、しゅるるるるとしぼんで、子供の背丈くらいの高さに縮んだのです。
「これでよい」
弘法大師さまは満足そうな顔で去っていきました。
その後も栗の木は大きくなることがなく、けれどもびっくりするくらいのたくさん実を毎年つけるようになりました。
この栗の木を村の人たちは「弘法栗」と呼んで、大切にしたそうな。

昔話と民話のむかしがたり HP
http://www.toku109.info/chubu/kobokuri.html
トモメル  投稿日時 2015/7/3 17:04
いい話だな 泣けてきました
栗 食べたくなりました
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