No.0784
あかいわん
赤い椀
高ヒット
放送回:0492-B  放送日:1985年04月20日(昭和60年04月20日)
演出:しもゆきこ  文芸:沖島勲  美術:しもゆきこ  作画:今村春美
富山県 ) 22567hit
あらすじ

昔、富山の朝日町に「おせん」という、7歳のみなしごの娘がいました。おせんは歌が好きな娘で、おせんが透き通った声で歌えば、村人たちは仕事の手を休めて聞き惚れました。

おせんは、よその家の子守をしてその日その日をつないで暮らしていました。幼いおせんのたった一つの願いは、赤いお椀に真っ白なご飯をよそってお腹いっぱい食べる事でした。親もない子守娘のおせんには、とうてい叶うはずのない夢でした。

ある日、おせんは子守の手伝いをしている家の婆さまと一緒に、山へ山菜摘みに出かけました。その途中、草むらに赤いお椀が一つ置いてあるのを見つけました。おせんは、そのお椀が欲しくて欲しくてたまりませんでしたが、婆さまから「山で得体のしれないものを拾ってはいけない」とたしなめられて、グッと我慢しました。

山で山菜を摘んでの帰り道、やっぱり元の場所に赤いお椀が置いてありました。おせんは諦めきれず、赤いお椀を拾い上げました。すると、何とも怪しい風が吹き、風の中から不思議な声が聞こえてきました。

おせんは風の声に導かれるように、谷に向かって駆け出しました。谷に到着したおせんが、いつもはない丸木橋を渡り始めると、橋はぐらりと揺らぎみるみる大蛇に姿を変えました。

大蛇は、優しくおせんを咥えて、静かに谷の淵の底へと沈んでいきました。婆さまが淵に向かっておせんの名を呼びましたが、おせんは二度と浮かび上がってくることはありませんでした。

おせんの落ちたこの淵を「おせん落としの谷」と呼ばれるそうです。

(紅子 2013-9-13 0:49)


ナレーション常田富士男
出典富山の伝説(角川書店刊)より
出典詳細富山の伝説(日本の伝説24),辺見じゅん,角川書店,1977年11年10日,原題「赤い椀」蛇に魅入られた娘
場所についておせん落としの谷(地図は適当)
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地図:おせん落としの谷(地図は適当)
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※掲載情報は 2013/9/13 0:49 時点のものです。内容(あらすじ・地図情報・その他)が変更になる場合もありますので、あらかじめご了承ください。
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コメント一覧
3件表示 (全3件)
beniko  投稿日時 2013/8/3 23:34 | 最終変更
出典元の本(富山の伝説)で確認すると、ざっとした位置が記載された地図が添付されており、おせん落としの谷の位置も記されていました。ただ詳細はその地図からは読み取れませんでした。
今現在、ざっくりとマッピングしていますので、詳しく場所がわかる方は教えてください。
のりくん  投稿日時 2012/7/10 18:12
富山県朝日町にメールで「赤い椀」の舞台になった場所やおせん落としの谷や沼のことを聞いてみたのですが、よくわからないそうです。
実際に地元まで行って地元の方にも聞いてみましたが分からないようでした。
朝日町には「なないろKAN」という観光施設があって、

民俗学者の宮本常一が「忘れられた日本人」の中で紹介していた日本では珍しい後発酵茶の「バタバタ茶」が飲めます。
後発酵茶は香川県や高知県の碁石茶とか石鎚黒天狗茶とか阿波晩茶みたいに主に四国で生産されている(おそらく弘法大師が中国から持ち帰って伝えたのでしょう)ので、本州で生産されている後発酵茶(黒茶、要するに熟成していないプーアル茶)は珍しいと思います。
とのむら  投稿日時 2012/7/1 9:22
白い米を食べることが、大変貴重な時代・・・今の世の中では、なかなかわかりませんが、この話を見ていると、今の物資に恵まれた時代に感謝しないといけないと思います。私の祖母は明治生まれでしたが、7?8歳で近くの家に子守に出されたと聞きました。そんな話と『赤い椀』の話を重ね合わせ、昔の小さな女の子たちの生活や苦労を考えてしまいました。
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