むかし、野沢温泉から少し離れた高台に、住吉という1軒の宿屋があった。この宿屋、温泉街から離れているのにいつも繁盛していた。その理由は、この宿屋の池に住む1匹の名物コイのおかげなのだ。このコイは、池に流れ込むぬるま湯でどんどん大きくなり、体長は5尺にも及び、この見事なコイを一目見ようと、お客が訪れるのだった。
そんなある秋の日、この年はもみじ見物の人で野沢温泉は賑わい、住吉も大忙しだった。ところで住吉では、翌朝早く発つお客さんのために、お弁当のおにぎりを前日の晩に作り置きしていた。この日も、女中さんたちはお弁当のおにぎりを作り終えると、台所の戸棚の中にしまい、床についた。
ところが翌朝起きてみれば、戸棚の中のおにぎりは、何者かに食べられてきれいサッパリ無くなっている。宿の主人と番頭の喜八(きはち)さんが、お客さんたちに平謝りして、その場は収まったが、その次の日も同じことが起こった。女中さんに聞いても、台所の戸締りはきちんとしていると言う。そこで主人と番頭の喜八さんは、いったい何者の仕業なのか見とどけることにした。
2人は台所の隣の部屋に隠れて、台所の様子をうかがっていた。夜も更けた頃、2人がウトウトしかけていると、台所で物音がする。2人が障子戸のすきまから、そっと台所をのぞくと、暗闇のなかで何者かが戸棚の中をあさっている。よくよく見れば、何とそれは池の大ゴイだったのだ。コイは戸棚の中のおにぎりを全部食べると、また庭の方に戻って行った。
翌朝、池のコイは何事もなかったかのように、小さな池の中で静かにしていた。主人はこの様子をしばらく見ると、何か思うことがあったのか、コイを千曲川(ちくまがわ)に放そうと言う。喜八さんが「それでは、お客が減ってしまいます。」と言うと、主人はこう答えた。「人間にも器があるように、このコイにもそれにふさわしい場所がある。この池は、このコイには小さすぎる。」
こうして千曲川に放たれた大ゴイは、その後長い間千曲川の主として生きたそうな。そして、名物コイのいなくなった住吉であったが、それでも以前と変わらす繁盛を続けたそうだ。
(投稿者: やっさん 投稿日時 12-21-2011 12:25)
ナレーション | 市原悦子 |
出典 | 長野県 |
場所について | 野沢温泉の住吉屋(老舗旅館) |
講談社の300より | 書籍によると「長野県のお話」 |
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