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No.0055
きじもなかずば
キジも鳴かずば
高ヒット
放送回:0032-A  放送日:1976年05月15日(昭和51年05月15日)
演出:まるふしろう  文芸:沖島勲  美術:下道文治  作画:鈴木欽一郎
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あらすじ

犀川という川のほとりに、小さな村があった。この川は毎年秋の大雨になると氾濫し、村人を困らせていた。この村に弥平という父親とお千代という娘が二人で暮らしていた。お千代の母親も先の洪水で亡くなってしまっていた。

ある年の秋、お千代は重い病にかかるが、貧乏な家なので医者も呼ぶことができない。お千代はかつて一度だけたべたことのあるあずきまんまが食べたいと言う。小豆を買うお金のない弥平は、地主の倉から米と小豆を盗んで、お千代に食べさせてやった。その甲斐あってか、お千代はすっかり良くなった。お千代は父親が畑仕事に出かけているあいだに、手まり歌で「あずきまんまたべた」と歌ってしまう。

その夜からまた雨が激しくなり、村人たちは咎人を人柱にしようと相談しあった。そこでお千代の手まり歌を聞いた者が、弥平が地主の倉から盗みを働いたことを話すと、弥平は役人にひったてられて、人柱として川のほとりに埋められてしまった。お千代は何日も何日も泣き続けたが、ある日ぴたりと泣きやみ、それ以後一言も口を聞かなくなってしまった。

それから何年もの年月が流れた。猟師がキジの鳴く声を聞いて鉄砲で撃ち落とした。キジの落ちたところに向かうとお千代がキジを抱いており、「雉よ、おまえも鳴かなければ撃たれないですんだものを」とつぶやく。お千代は自分が手まり歌を歌ったばっかりに父親を殺されてしまったことをキジに重ねてそう言ったのだ。それ以後、お千代の姿を見た者はいない。

(稿: 蔵人 本掲載日2012-8-14 5:47 )


参考URL(1)
http://93mini.blog135.fc2.com/blog-entry-233.html
ナレーション常田富士男
出典(表記なし)
DVD情報DVD-BOX第7集(DVD第31巻)
場所について長野県犀川にかかる久米路橋
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地図:長野県犀川にかかる久米路橋
追加情報
本の情報サラ文庫まんが日本昔ばなし第9巻-第043話(発刊日:1976年11月10日)/童音社BOX絵本_第31巻(発刊日不明:1970~1980年頃)/二見書房まんが日本昔ばなし第2巻-第08話(発刊日:2005年10月17日)/講談社テレビ名作えほん第017巻(発刊日:1977年12月)
サラ文庫の絵本より絵本巻頭の解説によると「長野地方の昔ばなし」
童音社の絵本より絵本巻頭の解説(民話研究家 萩坂昇)によると「長野県の昔ばなし」
講談社の300より書籍には地名の明記はない
このお話の評価9.6667 9.67 (投票数 78) ⇒投票する
※掲載情報は 2012/8/14 5:49 時点のものです。内容(あらすじ・地図情報・その他)が変更になる場合もありますので、あらかじめご了承ください。
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コメント一覧
10件表示 (全33件)
EGd  投稿日時 2021/10/1 22:34
お千代は成仏。
生きるとは、永遠とのつながりをさがせるかどうか。
ゲスト  投稿日時 2021/6/30 18:03
多分お千代がどこに行ったかなんて誰にも分からないと思うので「どこに行ったのかなぁ〜あそこに行ったのかな?それともあそこかなぁ〜」というふうにあなたが一人で勝手にあれこれ予想すればいいと思いますよ
ゲスト  投稿日時 2021/3/21 10:40
口で失敗する事が多かった自分には本当に身につまされるお話です。千代が不憫で仕方ありません。父親は念の為に慎重を期して千代に誰にも言っちゃいけないよ!と約束を交わしていたら こうならなかったのかもしれませんが...今の日本では考えられない事柄ですが近代化し形をかえ似た事象は多々ありそうです。日本昔ばなしの中で1番記憶に残ったお話です。色々な事を肝に命じた覚えがあります。
ゲスト  投稿日時 2021/3/2 7:26
ツンツン娘は、独りで何処へ行った。
たろー  投稿日時 2021/1/5 13:39
これ小学生の時に日本昔話で見て30過ぎた今でも忘れない話の一つ。
すごく悲しいね。子供なんて嬉しかったら口に出しちゃうもん。
う  投稿日時 2020/1/10 0:05
現代の感覚で考えればひどい話ではあるけれども
昔話という本質を考えれば例えばこれを親や祖父母が子どもを寝かしつけるお話として聞かせたときに
たぶんこれが身近で現実的なお話だった時代があるわけで

こんなことはするなという教訓がいろいろ詰まった話なんじゃないかなとも思います
「余計なことは口走るな」とか「告げ口するな」とか
少々過激にしたほうが子どもには教訓として響いたんだろうし
空と君のあいだには  投稿日時 2019/11/14 17:02
何気なく耳で聞いていたのですが、恐ろしい話でした。現代にも通じる話。人のために自分が悪になっても構わない、その人を救うためにとしたのが、このようになってしまった。
助かったはずのお千代ですら、心の中からは救われない永い闇に包まれて生きていく。人間の怖さ。いけにえは、現在のいじめとなって集団の憂さ晴らしになっていると聞くが、いつまでも救われない永遠の闇なのだろうか。
珠理奈の祭り  投稿日時 2019/10/6 20:42
皮肉な話たね、現代の世界と殆ど変わらない
四十過ぎた今も忘れられません  投稿日時 2019/10/4 13:54
自分が保育園に通っていた頃この話の映画(題名:赤まんまのうた)を園で観てその映像がトラウマの様に今も心に残っています。父親が捕まって生き埋めにされる場面で号泣して先生の抱っこで部屋を出され、外には同じ様に泣いている友達が何人かいました。何故こんなにも残酷な物語を保育園児にみせたのか未だに理解が出来ません。
大人の名作  投稿日時 2019/6/8 22:23
河川の氾濫
人柱という悪しき習慣
病気を医者に見せられない貧しさ
小豆がご馳走
昔の日本にあった現実を学べる名作
手毬遊びが何より好きな女の子を
悲しみのどん底に突き落とすような現実が日本にあった
かなり絶望的だけど子どもに見せたら何を感じるだろうか

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