No.0400
ごろうびつ
五郎びつ
高ヒット
放送回:0250-B  放送日:1980年08月16日(昭和55年08月16日)
演出:なべしまよしつぐ  文芸:境のぶひろ  美術:久保陽彦  作画:なべしまよしつぐ
栃木県 ) 46119hit
村を飢饉から救うため一人の男がとった行動は…

昔、栃木県今市の小百川沿いにある一本杉という村に、五郎という石屋が住んでいた。五郎は二十歳を過ぎても頭がぼんやりとしたような男で、田畑は耕さず嫁の貰い手もなかったが、仕事には熱心で竈の注文があれば穴沢、宿、下の沢といった遠くの村まで届けに行った。

小百の村々では順調な天候のおかげで暮らしに困る事はなかったが、いつの頃からか五郎は何やら大きな物を作り始め、一本杉の旦那の娘が穴沢へ嫁ぐ頃にそれは石櫃となった。一方五郎の作る竈の評判も日増しに良くなり、遠く原宿、高畑の方からも注文が来るようになると代金は粟や稗から銭へと変わり、五郎はその銭で栗山から来る米商人から米を二合、三合買っていった。

それから十年後の冬、雪の少ない日が続き、春が過ぎ夏になっても川から水が流れず小百一帯は大飢饉に見舞われた。一本杉でも麦は枯れ果て、山の実も採れずで手遅れとなっており、旦那が蓄えていた稗と粟も底を尽いてしまった。

そして小百の村々から飢え死にの噂が相次ぐようになったある日、突然五郎が旦那の元を訪ね自分の小屋に来て欲しいと言う。不思議に思った旦那が小屋に来てみると五郎が石櫃の蓋を開け、中には五郎が十年間少しずつ買ってきた米がぎっしりと蓄えられていた。

石櫃の米があれば芋の獲れる時期まではなんとか食い繋げると算段がつき、一本杉の人々は命拾いをした。ところが穴沢に嫁いだはずの旦那の娘が子連れで一本杉に戻ってきた。聞けば穴沢は自分達を除いて全滅したと言うが、こうなると誰か一人米の分配からあぶれなければならない。そうして五郎は、ある決心をする。

その後、五郎の姿は見えなくなった。村を救った五郎の石櫃は「五郎びつ」と呼ばれ大切にされ、日照りの時に石切りの跡の穴へ石を投げ込むと、必ず雨が降ると言われるようになった。

(投稿者: お伽切草 投稿日時 2012-10-22 2:14 )


ナレーション常田富士男
出典日向野徳久(未来社刊)より
出典詳細栃木の民話 第二集(日本の民話39),日向野徳久,未来社,1965年07月10日,原題「五郎びつ」,原話「長嶋真吉」
場所について小百川沿いの一本杉地区(地図は適当)
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地図:小百川沿いの一本杉地区(地図は適当)
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※掲載情報は 2012/10/22 5:29 時点のものです。内容(あらすじ・地図情報・その他)が変更になる場合もありますので、あらかじめご了承ください。
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コメント一覧
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ゲスト  投稿日時 2021/6/22 14:27
カケス  投稿日時 2020/3/28 11:02
一人だけいつ来るかわからない災難に対して危機意識をもって、少しずつ備えてくれていた、五郎に頭が下がります。そしてそのおかげでみんなが争いもせずに、飢饉を乗り越えることができました。みんなが冷静さを失わなかったのは、五郎のおかげだと思います。現代の感覚だと、みんなあと一口ずつ我慢して五郎にも食べさせてほしいと思うのですが、もともと薄いかゆなのでそうもいかなかったのでしょうか?
そしてまさに今(2020年3月)も、似たようなことが起こっていますね。もしも五郎が今の日本の状況を見たら、危機意識のない人には「何が起こるかわからない。もっと気を付けて」、不安に陥っている人には「大丈夫、みんなで力を合わせて乗り切ろう」と、言ってくれそうな気がします。
Perenna  投稿日時 2020/3/27 4:32
「栃木の民話・第二集」(未来社、日向野徳久編)を読んでみました。
「五郎びつ」は、とくに被差別部落とか、疎外されている人の話というわけではなさそうに思えます。
主人公は岩山で石工をしていて、かまどを作って農家に売っています。
仕事のあいまに大きな石の米櫃を作っていましたが、村人たちに「五郎やん、なんだって、そんなばかでっけえ米櫃なんか作ったんだえ?」と、ごく自然にからかわれたりしています。
また飢饉のときに、自慢の大きな米櫃にいっぱい蓄えてあった米を村人たちに分け与えたときには、「五郎やんはどうすんだえ? てめえのくうのはあんかえ?」と村人たちから逆に心配されています。
その後、五郎は岩山の石室に入って、食べ物をなにも食べないで、神様に豊作を祈りながら餓死したと書かれています。
村人たちは、雨が降らないで困るときには、五郎のこもった石室に石を投げこんで、五郎の魂に雨を降らせてくれるように祈ったそうです。
この昔話の根底にあるのは、日照りと凶作と飢えに苦しむ貧しい民衆を命がけで救った、勇気があって慈悲深い、優しい心を持った義民の話なのではないかと思われます。
栃木県(上州)の民話や昔話には、日照りや飢饉や凶作の話や、沼や池に住む龍や蛇や河童に雨を降らせてくれるように頼む話が多いような気がします。
アニメでは大げさに描かれているのかもしれませんが、この「五郎びつ」の昔話も、そんな災害や飢饉に苦しむ民衆の義民話が伝えられたものなのかもしれません。
華煌  投稿日時 2019/12/12 10:20
真っ正直な五郎が、いつか害を受けるのではないかとひやひやしながら見ていて、みんないい人たちでホッとしたのですが、愛善院さんのコメントを拝見して愕然としました。確かにそんな予想を思いながらドキドキと見たのですから、さもありなんと思います。もしそうであれば、なんと酷いことなのでしょう。五郎と自分たちの命を天秤にかけて決行したのですから。
昔は自身に責のないことで差別されたり阻害されたりすることがあったのでしょうね。幼い頃、祖母の郷里の知り合いの家を訪ねた時、挨拶をしながら門を入って行く祖母の後ろから見えたのは、足の立たないお子さんが家族に追い立てられるようにして、押し入れに隠れる姿でした。子ども心に、なぜ隠すのか?いつまでも疑問が解けませんでした。本人も慣れた様子だったのでいつもこうしているのだなと感じましたが、わたしは大人ばかりの中で、子ども同士仲良く遊びたいなと思って長い挨拶を我慢していました。
悲しい思い出でもありますが、家族がいたことが五郎よりはよかったのかなと思えてきました。
ゲスト  投稿日時 2019/12/8 21:09
すでに限界に近いくらい少ない量の配給なんだよね。
しかも日に一回だけとかね。
今の裕福な食事を想像してはだめなんだよ、飢饉なんだから。
ぶちねこ  投稿日時 2017/9/3 11:33
一人分くらいなら、皆が少しずつ取り分を減らせばいいじゃん!五郎が身を引く必要ないよね、と思ってしまうのですが…。美談には思えない。
ゲスト  投稿日時 2017/8/26 2:07
 現在の小百地区には昔話に出てくる地名が全て残っていますが、宿と原宿の中間点くらいに何故か「石屋」という地名も残ってるのが不思議。
ここ  投稿日時 2017/2/20 18:22
この手の話は生き残った人が語り継ぐわけですから当然良い話になってるともいます

この話も五郎側から考えればまったく違った話になるかもと思ってしまうのは考えすぎでしょうか?
愛善院  投稿日時 2016/8/28 17:50
これ、語り継ぐべき話でもあり、語るのに神経を使う話でもあります。
この性根の率直さと、畑を持っていなかった、嫁の来手がなかったなどの諸事情から考えると、五郎は差蔑を受けていた存在と考えられます。被差別身分であったか生まれつき障害があったかは分かりかねますが、物語の冒頭から「二十歳すぎても……」とあり、これに端を発して、結末を想像すると、五郎は黙って身を引いたのではない、という可能性がでてきます。
そうではないと信じたいし、この話が語り継がれてきたのだから、そういう差蔑されてきた人びとへの贖罪の意味をも持っていたのかもしれないと思いますが、一考の価値がある話であります。

寝太郎の系統の話は、多くこうした憂えをはらんでいるように思いますが、同時に、人間の人間たらしめる、己の欲を超えた部分を突きつけてきます。
sato  投稿日時 2016/7/30 1:54
五郎のやさしさに胸打たれました。

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