No.0040
かみながひめ
髪長姫
高ヒット
放送回:0022-B  放送日:1976年03月06日(昭和51年03月06日)
演出:今沢哲男  文芸:鈴木良武  美術:山守啓陽  作画:鈴木欽一郎
和歌山県 ) 113238hit
あらすじ

紀伊国に漁師の夫婦が暮らしていた。
念願の子宝を授かったものの、産まれた女の子はいつまでたっても髪が生えなかった。

両親が不思議に思っていた頃、沖の向こうで不思議な光が発せられるようになり、漁ができなくなってしまった。そこで両親はその光を確かめるために船で沖へ出た。母親が海に潜ると光っているところに観音様が埋まっていた。それをとろうとした母親は観音像を守っていたうつぼに襲われ、助けようとした父親は死んでしまった。母親も観音様を抱えて浜に戻ると息を引き取った。村人たちは観音様を丘の上に祀り、娘は親切な人に引き取られて暮らしていた。

ある夜、娘が寝ていると観音様が夢枕に現れて両親の願いを叶えてやるという。翌朝娘が起きてみると見事に黒い髪が生えていた。こうして娘は美しい黒髪とともに成長し、その見事な黒髪の娘は髪長姫と呼ばれるようになった。娘は髪を梳る時に抜けた毛を大事に一本ずつ庭の木の枝に掛けておいた。

その頃、帝の住む京の御所で軒下の小鳥の巣に見事な黒い髪が垂れ下がっているのを見つけ、これほどの美しい髪の女性はさぞ美しいに違いないと、国中に命じてその髪の持ち主を探させた。
その髪こそ髪長姫のもので、姫は帝の招きにより京の御所迎えられることになった。髪長姫は両親の墓に別れをつげ、帝のもとで可愛い赤子を産みいつまでも幸せに暮らした。

(稿: 蔵人 本掲載日2012-8-14 14:41 )


ナレーション市原悦子
出典(表記なし)
DVD情報DVD-BOX第3集(DVD第15巻)
VHS情報VHS-BOX第1集(VHS第6巻)
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追加情報
本の情報サラ文庫まんが日本昔ばなし第3巻-第012話(発刊日:1976年6月25日)/童音社BOX絵本_第38巻(発刊日不明:1970~1980年頃)/国際情報社BOX絵本パート1-第016巻(発刊日:1980年かも)
サラ文庫の絵本より絵本巻頭の解説によると「和歌山地方の昔ばなし」
童音社の絵本より絵本巻頭の解説(民話研究家 萩坂昇)によると「和歌山県の昔ばなし」
国際情報社の絵本より現代の、赤毛の髪がかえって自慢になる時代とはちがって、この話は、真っ黒な髪が女性の特性の一つに数えられていたころの話です。美しい黒髪のゆえに、天皇の妃になるという話は、黒髪が、いかに貴重なものに思われていたかの証拠になります。この話は、若い夫婦の命がけの願いが、娘に幸せをもたらすというストーリーですが、これは、安珍・清姫でよく知られている和歌山県川辺町にある天台宗の寺、道成寺に伝わる話で、今でもここに髪長姫がまつられており、この姫は、聖武天皇の生みの親ということになっています。”親の願い”が、美しいロマンとなってつづられている話です。(和歌山地方の昔ばなし)
講談社の300より書籍によると「和歌山県のお話」
レコードの解説よりLPレコードの解説によると「和歌山地方の昔ばなし」
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※掲載情報は 2012/8/14 14:41 時点のものです。内容(あらすじ・地図情報・その他)が変更になる場合もありますので、あらかじめご了承ください。
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コメント一覧
9件表示 (全9件)
Perenna  投稿日時 2020/7/15 22:28
未来社の「紀州の民話」にもこの昔話が収録されています。
「髪長姫物語」という題名で、伝承地は日高郡川辺町と書かれています。
「むかし、むかし、奈良に都があったころのお話です。九海士(くあま)の里に、早鷹(はやたか)と渚(なぎさ)という村長(むらおさ)の夫婦がいました。四十を過ぎても子宝にめぐまれないのが唯一のなやみの種で、毎日、(どうぞ子宝が授かりますように)と、神様にお願いしておりました。そのかいあって、玉のような女の子が生まれました。」という書き出しで始まっています。
アニメでは両親は亡くなってしまいますが、民話のほうでは妻の渚が海底から仏像を無事に引き上げ、夫婦は小さな庵を作ってお祀りしたと書かれています。
ある夜、渚の夢枕に観音が現われ、願い事をかなえてつかわそうと言うので、娘の髪の毛を生やしてくださいとお願いします。
すると不思議なことに、娘の頭にふさふさとした美しい髪の毛が生えてきました。
その後、成長した髪長姫の抜け毛を一羽のスズメがくわえて都に運び、それが縁となって藤原不比等の養女となり、名を宮子姫と改め、文武天皇のお后になったと書かれています。
両親が命を亡くしてまでも娘の身を案じていたというストーリーは、アニメ制作者の演出なのではないでしょうか?
??  投稿日時 2019/11/15 18:12
何故この家族がこんな目に?
この両親が海に沈めたわけじゃないのに、、、
昔話はたまに、こう言う変というかひどい話がありますね。



はなののののはな  投稿日時 2018/8/5 14:34
かみながひめは、きっと両親への感謝を込めてかみを木にかけ、両親への感謝を込めて帝のもとで生きたのでしょうね。
ウツボっていうのも、何か意味があるのでしょうか。観音様、よく昔話に出てきますね。
ゲスト  投稿日時 2017/3/31 17:26
日ペ・・・ではなく日本昔話の神は屑が多いから多少はね?
ゲスト  投稿日時 2017/3/25 2:29 | 最終変更
なんで観音様叩いとんねんw
昔話は何かの比喩だったり例えが多いんだから、この観音様のくだりも何かの比喩でしょう。
解説にもある通り、ここは「子供が幸せになるように」と自分のことより子供を思う親の必死の願いを表したものかと思います。
例えば髪によい海藻を毎日必死に取りにいっていたとか、そういった話が変化し、神様のご加護的な表現に変わっていったのではないかと思います。
娘さんも悲しい目にはあったけど、そこまで親御さんが自分のことを大事に思ってくれたと思うからこそ、抜けた髪を親の思いの証として大事にとっておいたんだろうし。
そして、その結果帝のお嫁さんになれたんでしょう。
お地蔵さま  投稿日時 2016/12/5 17:09
この観音さんは無情な仏です(観音をかたる別のものか?)子供たちも昔話の中で最低な観音と怒ってました。
その見返りに殿上人にという話しか思えない。
それに比べお地蔵さんはだれ彼無しに救いの手を差し出す。
ゲスト  投稿日時 2016/9/3 9:27
観音様ひどすぎる。
ゲスト  投稿日時 2014/10/13 19:04
聖武天皇の母、藤原宮子の異聞伝説ですね。
本来の宮子は藤原不比等の娘というれっきとした貴族のお姫様ですが、どういう訳かこういう伝説が出来たようです
史実の宮子の半生(聖武天皇出産後、重度の鬱になりその後30年以上息子に会えなかった)を思うと、
決してハッピーエンドのお話とは言えないようですが…
607  投稿日時 2013/6/25 0:45
当時、小学1年だったのですが、丁度妹が生まれた時期でした。うちの妹も髪長姫のように、とまではいきませんが、かなり毛が薄く母親が随分心配していました。
そんな状態だったので、妙に感情移入してしまい、号泣してしまいました。
今では妹も嫁に行き、それなりにオバチャンとなりましたが、時々ふっと思い出します。
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