No.0002
かさじぞう
笠地蔵
高ヒット
放送回:0001-B  放送日:1975年01月07日(昭和50年01月07日)
演出:まるふしろう  文芸:平見修二  美術:阿部幸次  作画:上口照人・樋口雅一
東北地方 ) 146730hit
お地蔵様が笠をもらったお礼に福を授ける

年も暮れようとする頃の話。

雪深い山の中に住む夫婦は、正月を迎えるにも米一粒すら残っていなかった。そこで女房が作った髪飾りのかせ玉を町に売りに行くことにした。

男が地蔵峠を通ると、お地蔵様の頭の上に雪が積もっていたので雪を払ってあげた。大晦日の夕方、町についた男はそこでかせ玉を売るが、一向に売れない。と、そこに笠売りのおじいさんがやってきた。笠売りのおじいさんもまったく笠が売れないので、二人はそれぞれの売り物を交換することにして家路についた。

その途中、男がまた地蔵峠を通ると、お地蔵様は寒そうに佇んでいる。やさしい男はお地蔵様の頭に笠をかぶせてあげた。そして家に帰り、そのことを女房に話すと、それは良いことをしたと言い、女房も喜んだ。

さて、その夜夫婦が寝ていると、外で物音がする。出てみるとそこには米・野菜・果物・着物などがたくさん置いてあった。二人の目には、遠くに峠のお地蔵様が帰って行くのが見えた。こうして二人は無事に正月を迎えることができた。

(稿: 蔵人 本掲載日2012-8-14 14:36 )


ナレーション市原悦子
出典(表記なし)
備考狢工房様のサイトによれば演出は藤本四郎
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追加情報
本の情報サラ文庫まんが日本昔ばなし第9巻-第045話(発刊日:1976年11月10日)/童音社BOX絵本_第62巻(発刊日不明:1970~1980年頃)/国際情報社BOX絵本パート1-第041巻(発刊日:1980年かも)/二見書房まんが日本昔ばなし第5巻-第20話(発刊日:2005年12月19日)/講談社デラックス版まんが日本昔ばなし第21巻(絵本発刊日:1985年01月15日)/講談社テレビ名作えほん第010巻(発刊日:1977年9月)
サラ文庫の絵本より絵本巻頭の解説によると「東北地方の昔ばなし」
童音社の絵本より絵本巻頭の解説(童音社編集部)には、地名の明記はない
講談社のデラックス版絵本より細い道の片隅で、静かな笑みを浮かべて、立っているお地蔵さん。お地蔵さんは、昔の人々にとって、ごく身近な存在でした。この話も”地蔵信仰”の話のひとつです。貧しいけれどやさしい男が、お地蔵さんを雪と寒さから守ってあげようと、笠をかぶせてあげることから物語は展開します。昔の庶民の貧しくともくよくよしない、あっけらかんとしたたくましさと、石でできたお地蔵さんにも人と同じように接する優しさに、感心させられます。お地蔵さんが並んで歩いてくるという面白さも、この話を楽しいものにしているようです。(東北地方の昔ばなし)
講談社の300より書籍には地名の明記はない
レコードの解説よりLPレコードの解説によると「東北地方の昔ばなし」
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※掲載情報は 2012/8/14 14:36 時点のものです。内容(あらすじ・地図情報・その他)が変更になる場合もありますので、あらかじめご了承ください。
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コメント一覧
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日清皿太夫  投稿日時 2022/2/14 14:27
 目が行くのは背景の星空。雪国暮らしの大晦日は、毎年ひとときながら降り続いた雪が止んで、星空が覗く年もある。空気は冷たく乾いているから星はまたたく事も無く。見直す度に作り手はこういう事をよく知っているし、詩情豊かだなぁと感じます。

 一言も発せず鉄壁の統率、撤収する様子は少々挙動不審なチーム地蔵(苦笑)六体は「六道」の六。大地の恵みを贈ってくれたのだから陰陽五行プラスワンかも知れないぞ。「六地蔵」という名の土地やお寺が日本のあちこちにあると知って驚きました。『七人の侍』オマージュで七体…なんて事はやらないわけだ。
 手ぬぐいをもらった小さな地蔵様の性格付けはディズニーの『ファンタジア』にある「くるみ割り人形:中国の踊り」の影響があると思われました。虫プロ出身の藤本四郎Dと上口照人さんにもディズニー作品の強い影響があったはず。一層よく踊り駆け回る小さな子に注目です。
 樋口雅一さんがブログで「塩ふきうす」No.0022,1203と比較しているのが『ファンタジア』の「魔法使いの弟子」とはこれまた珍しくも鋭く、いろいろ納得します。対アニメ視力(仮称)が一段上がった感じがします。
はなののののはな  投稿日時 2018/8/4 1:13
おじぞうさんを見かける度に思い出します。
ゲスト  投稿日時 2017/1/11 21:54
そそっかしい小さい地蔵さまが大好きだった。
ゲスト  投稿日時 2017/1/11 21:47
裕福だから幸せ、貧乏だから不幸とは限らない。
本当の幸せとは何かを、この物語は私たちに投げかけている気がします。

DVDに収録されていないのが残念です・・。
ゲスト  投稿日時 2015/9/19 15:32
バージョンが違うというお話が出ていますが、演出家がそれぞれ違っているので
どちらをご覧になって覚えているかによって違ってきているのではないでしょうか。
サムネイルの演出家とテキスト・タイトルの演出家とでお名前が違ってますよね。
それで「資料室」で調べてみたのですが、まるふしろうさんの演出の回というのは
なくて、すべて藤本四郎さんの演出の再放送なのですね。
そうすると、サムネイルの表示が誤っていることはないとして、「資料室」の記録が
誤っていて、それをそのまま転記されているので齟齬が生じているのかなと思いました。
そうなると、同じ回の再放送なのに、人によって記憶が違っているのが不思議ですね。
もっとも一回だけ放送の話でも人によって記憶が違ってたりするので、そういうことかも
それません。
かえで  投稿日時 2015/8/29 19:30
まだ小さなころ、母親にやたらとこの物語の読み聞かせをせがんでいたそう。

物心ついてまもなくの子供でも、この物語の美しさは感覚的に理解できたのだと思います。

東北地方の厳しい冬の夜の静けさから体感的に感じられる冷たさとは対比的に、仏教的な優しさが心を内面から温めてくれるようです。

中年になった今見てもなお、心を洗われるような感覚を覚えます。
ゲスト  投稿日時 2015/3/26 1:09
知っているバージョンは夫の笠でしたが、
番組では交換した笠になってますね。
新鮮な印象です。

お地蔵さまがかわいいです。

いつでも幸せそうな夫婦に涙が出てきました。
117  投稿日時 2013/8/17 12:30
信心深い主人公が報いをうける筋立て。
なかなか興味深い昔ばなしのひとつといえそう。
beniko  投稿日時 2012/12/29 0:34 | 最終変更
もみじさんが劇で「地蔵役」だったことに、ちょっと微笑ましく感じました。

もみじさんのわかりやすい解説、拝見しました。
私が本当に貧乏になり食べる物に事欠いた場合、全部差し出すことはできるのだろうかと考えてみました。私は半分の量だったら差し出せるかもしれません。
もみじ  投稿日時 2012/12/29 0:06
笠地蔵は、私が小学生1年生だったころ教科書に載ってたなぁ(・ω・)
これで出し物として演劇をしたので、よく覚えています。地蔵役でしたwwww
日本の昔話の定番中の定番だと思います。

笠地蔵は、仏教の説話のひとつに似たようなものがあります。

貧しい貧しい夫婦がいて、とうとう一袋(7茶碗分)だけのお米しか食料がなくなってしまったときでした。
お米は毎日一茶碗ずつ大切に使おうと夫婦で決めて、夫がおかずをもらいに町へ行きました。
奥さんが家でご飯を炊いて待っていると、釈尊の弟子が托鉢に来ます。
信心深い奥さんは、炊いていた一茶碗分のご飯をそのまま供養します。
そして、次のご飯を炊いていると、また別の釈尊の弟子が托鉢にきます。
また炊いていたご飯を供養して…を6回も繰り返し、
とうとう残すところ最後の一茶碗分だけのお米になりました。(;´Д`)

夫のためにも、このご飯だけは絶対に誰が来ても残しておこうと決めた奥さんでしたが、
7回目に托鉢に回ってきたのは、なんと釈尊自身でした。

このような貧しい家になんとありがたい事かと感動した奥さんは、残っていた最後のご飯も供養します。
夫が家に帰ってきたとき、きっと怒られるだろうと思っていた奥さんでしたが、夫もまた信心深い人間であったため、「とても良いことをした」と奥さんを褒めたのでした。

自らが貧しいにもかかわらず真心こめて供養したこの夫婦は、
生まれ変わった後、一国の王にも引けを取らない大富豪「須達長者(すだつちょうじゃ)」となったのでした。

ちなみに。
須達長者は平家物語にも出てくる「祇園精舎の鐘の声~」でも有名な祇園精舎を釈尊に供養した富豪さんです(・ω・)

祇園精舎とは寺院のことですが、この精舎を供養するにあたっても須達長者はすごいんです。
精舎を寄進したいと考えた長者はよい場所を探していました。やっと見つけた土地は王子の持ち物でしたが、なんとしても釈尊に供養したいと願った長者は王子に直談判をしに行きます。王子は土地を譲り渡したくなくて、「金貨を土地に敷き詰めたら譲ってやる」と言いました。(祇園精舎は広大な敷地面積です。)
王子は「いくら裕福な富豪とはいえ、全て敷き詰めたら無一文になるような土地の広さ。長者の妻も猛反対するに違いない」と踏んでいましたが、長者は喜んで家に帰って蔵の材をありったけ金貨に変え、自らの手で敷き詰め始めました。
長者の妻もまた「釈尊に供養できるのに、夫を止める理由などない」と率先して金貨に変えて待っていてくれたのでした。
それに度肝を抜かれた王子は、その長者夫婦の真心と信念の強さに感嘆して、意地悪をした事を謝罪し、ただで土地を譲ったのでした。

長々と書いてしまいましたが、この手のお話は何が言いたいのかと言うと、
金持ちであろうと、貧乏であろうと、量が多かろうと、少なかろうと
供養とは「その心こそが大切である」ということなんだそうですよ(・ω・)♪

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