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No.1393
あまんじゃくのほしとり
あまんじゃくの星とり
高ヒット
放送回:0885-A  放送日:1993年04月24日(平成05年04月24日)
演出:児玉喬夫  文芸:沖島勲  美術:阿部幸次  作画:坂本英明
岡山県 ) 20565hit
あらすじ

昔々、ある山にいたずら好きのあまんじゃくという小鬼が住んでいた。このあまんじゃく、ふもとの村に下りて来ては悪さばかりして、手のつけられないいたずら者だった。

ある晩のこと、あまんじゃくが村を歩いていると、1人の娘が外に出て空を見上げていた。あまんじゃくが何をしているのかと尋ねると、娘は流れ星に願い事をしているのだと言う。これを聞いたあまんじゃくは、すぐに消えてしまう流れ星に願い事をするより、いっそのこと空の星を全部落として自分のものにすれば、いくらでも願い事が叶うと思った。

あまんじゃくは、早速箒(ほうき)を持って山のてっぺんに登った。山に登ってみると、星はすぐ頭の上で、手が届きそうに見えた。そこであまんじゃくは、箒を空に向かって振り回した。しかし星にはまだ届かない。それではと、今度は近くにあった石を積み上げて、その上に乗って箒を振り回してみた。だが、それでも星を落とすことは出来なかった。

もっと石を高く積み上げれば、必ず星が取れると思ったあまんじゃくは、とうとう川原や林の中の石、果ては石灯篭まで、石という石は全て山の上に積み上げた。こうして、あまんじゃくは、山のてっぺんに見上げるような石の塔を作った。

あまんじゃくはその石の塔に登ると、今度こそはと箒を空に振り回した。しかし、やっぱり星には届かなかった。そのうちに東の空が明るくなり、夜が明け始めた。あまんじゃくは、悔しくなり石の塔の上で地団駄を踏んでしまった。すると石の塔はグラグラと揺れ、とうとう崩れてしまった。

崩れた石は山から転げ落ち、山のてっぺんからふもとの村までずっと続いていたそうだ。そしてあまんじゃくはその石の下敷きになってしまったのか、それから村には二度と姿を現さなかったということだ。

(投稿者: やっさん 投稿日時 2011-10-22 17:23 )


ナレーション市原悦子
出典岡山の伝説(角川書店刊)より
出典詳細岡山の伝説(日本の伝説29),水藤春夫,角川書店,1978年4年10日,原題「あまんじゃくの重ね石」
場所についてあまんじゃくが登った二上山
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地図:あまんじゃくが登った二上山
追加情報
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※掲載情報は 2011/10/22 19:04 時点のものです。内容(あらすじ・地図情報・その他)が変更になる場合もありますので、あらかじめご了承ください。
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コメント一覧
4件表示 (全4件)
ゲスト  投稿日時 2015/10/8 12:50
両山寺(りょうざんじ)は岡山県久米郡美咲町両山寺454に所在する寺院である。山号は二上山。詳しくは、二上山 蓮華院 両山寺と号する。宗派は高野山真言宗。本尊は聖観音。高野山真言宗美作八十八ヶ所第二十四番札所である。
御詠歌:見渡せば 只白妙の 玉くしげ 二上山の 雪の曙
二上山山上に位置する山岳密教寺院である。
寺伝によれば、奈良時代初期の和銅7年(714年)泰澄が観音の霊夢を見て開山したと言われる。平安時代以降、真言宗、天台宗の2つの宗派の道場となった。
戦国時代の永禄8年(1565年)尼子氏と毛利氏の争いにより寺院は焼亡した。
江戸時代前期の元禄元年(1688年)に津山藩3代藩主森長成が寺院を再興した。

岡山県指定重要文化財
鰐口 青銅製、直径54cm、厚さ27cm、重量27kg。南北朝時代の貞治2年/正平18年(1363年)に作成された。当地の豪族・垪和(はが)氏が寄進した。昭和34年(1959年)3月27日指定。
岡山県指定重要民俗文化財
二上山護法祭 本来は修験者の修法であったと言われる。起源は鎌倉時代の建治元年(1275年)に遡る。この護法祭は久米郡各地で行われており、国の選択無形民俗文化財に選択されている。昭和52年(1977年)4月8日指定。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%A1%E5%B1%B1%E5%AF%BA
ゲスト  投稿日時 2015/10/8 12:38
二上神社
神社コード 17037
神社名 二上神社(フタカミジンジャ)
通称名 八頭様(ハットウサマ)
旧社格 村社
鎮座地 709-3721 久米郡美咲町両山寺383
駐車場 有 10台
東経 133度53分50秒 北緯 34度58分30秒
氏子地域 久米郡美咲町両山寺、大垪和東
主な祭典 4月10日 : 祈年祭 10月第2月曜日 : 例大祭 11月10日 : 新嘗祭
宮司宅電話 0868-68-0021
由緒
 当社は、口碑によると昔役の小角が和州金峯山から二上山に来て勤修したとき、伊弉諾・伊弉冉二神の神夢により祠を造り、この峯の鎮守神として崇敬した。
 本神社は錦織郷の一宮二上の社と称した。永禄年中兵火にかかり、社殿旧記等を焼失した。
 元亀元年に再建し、二上八頭大明神と称した。明治6年二上神社と改称し、村社に列格し、同42年十社を合祀した。
御祭神 伊弉諾命 伊弉冉命
http://www.okayama-jinjacho.or.jp/cgi-bin/jsearch.cgi?mode=detail&jcode=17037
ゲスト  投稿日時 2015/10/8 12:02
二上山(ふたかみさん)は岡山県久米郡美咲町両山寺にある山。標高は689mである。
日本の棚田百選に剪定されている大垪和地区の北方に位置する。山名は最高地点の西峰と東峰の2つのピークを有することに由来する。東峰の山腹には山岳密教寺院である両山寺や二上神社、天邪鬼の重ね岩がある。
天邪鬼の重ね岩
山頂の北西部に岩が散乱している場所がある。ここは、昔、天邪鬼が天に上ろうとして岩を重ねた跡であるとの伝説が残っている。天邪鬼が岩を重ねて、あと柄杓の長さほど岩を重ねれば天に届くところまでになった。しかし、岩が足りなかった。岩を探し求めて山を下りた隙に、日頃から仲が悪かったこの山に住む天狗が、天に上らせてはならないと突き崩した。それが、天邪鬼の重ね岩であるという。なお、天に上るのではなく、星を取るため岩を重ねたとの伝承もある。
二上神社
二上神社(ふたかみじんじゃ)は、両山寺境内の上に位置する神社である。旧社格は村社。祭神は、伊弉諾命・伊弉冉命。
役行者がこの地に巡錫した際、伊弉諾命・伊弉冉命の夢を見たので祠を建てたことが始まりとされる。古来、二上の社と呼ばれたが、永禄年間(1558年 - 1570年)に戦火により焼亡。元亀元年(1570年)に再建され、二上八頭大明神と称した。明治6年(1873年)二上神社と改称した。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E4%B8%8A%E5%B1%B1_(%E5%B2%A1%E5%B1%B1%E7%9C%8C)
ゲスト  投稿日時 2015/10/8 11:55
『あまんじゃくの星取り石』― 岡山県 ― 再話 六渡 邦昭
 むかし、むかし。
 ※美作の国(みまさかのくに)、今の岡山県(おかやまけん)の山ん中に、あまんじゃくという、いたずらな子鬼(こおに)が棲(す)んでおったと。
 誰かが、それは白いといえば黒いというし、そんなら黒だといえば白だといいはる。ああいえばこういう、こういえばああいう、しょうのない子鬼だったと。
 ある晩のこと、そのあまんじゃくが、あっちへ跳(と)びはね、こっちへ跳びはねしているうちに、二上山(ふたかみやま)のてっぺんまで来てしまったと。
 この山は、晴れた日の昼間なら、美作、備前(びぜん)、備中(びっちゅう)はいうまでもないこと、それよりずうっと向こうの、十国(じっこく)もの国々が見渡せるというたいした山だ。
 けれども夜のことだったから、あちらの国こちらの国のかわりに、ひろい夜空いちめんに、星がきらきら、きらきら輝(かがや)いていたと。
 あまんじゃくは、このときは思わず知らず素直(すなお)になって、
 「きれいだなあ」
と、ためいきをもらして見とれておったと。
 青い星もある、赤い星もある、橙色(だいだいいろ)のも緑色のも見える。暖(あたた)かく光る星もあれば、冷たく光る星もあり、そのどれもが手をのばせば届きそうなほど近くにまたたいていたと。
 しばらく眺(なが)めていたが、ふっとわれにかえって、
 「へん、俺(おれ)さまとしたことが、なんだこんな星、たたき落としてやる」
といって、山のてっぺんでピョンピョン跳ねて、星をつかもうとしたと。が、いくら跳ねたってつかむどころか、手の先に触(ふ)れもしない。
 「へん、箒(ほうき)がありゃぁ、取れらあ」
というと、山をふっとんで下りて、箒をもって来た。箒を差し上げて空の星々を掃(は)き落とそうとしたけれど、箒の先に触れもしない。
 「ようし、そんなら石を積(つ)み上げて、取っちゃる」
 そういうと、あまんじゃくは、そこいらじゅうの石をかき集めては積み上げ、かき集めては積み上げ、まあ、汗を流して高く高く積み上げたそうな。
 もうよかろうと、石積(いしづみ)みのてっぺんへ登り、箒を差し伸べてみたがまだ届かん。
 「ええい、まだ足らんか」
といって、今度は村の方まで駆(か)け下りていって、石という石を、拾い集めてはかつぎ上げ、ほじくり出してはかつぎ上げして、積み上げた石のてっぺんに、また、よじ登ったと。
 「さあ、掃き落しちゃる」
と、うんと背伸(せの)びをして箒を差しのばした。と、そのとき、
 「コケコッコー」
と、一番鶏(いちばんどり)が啼(な)いたと。
 ハッとして、あまんじゃくがあたりを見わたすと、東の空が白(しら)んできて、はや、星々の輝きは失(う)せていったと。
 「ええ、くやしい」
 あまんじゃくは、積み上げた石のてっぺんで、涙をふりとばし、おうおう泣きながら、じだんだを踏(ふ)んだと。
 そしたらせっかく積みあげた石が崩(くず)れて、ガラガラ音たてて谷間(たにま)へ転げ落ちたと。
 それでいまでも、そのあたりには、山のてっぺんから谷底(たにそこ)まで、大きい石、小さい石がゴロゴロ転がっている。
 あまんじゃくの星取り石とはこのことだ。
 むかしこっぽり杵(きね)のおれ。
※美作の国:現在の岡山県美作市
http://minwa.fujipan.co.jp/area/okayama_012/
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