No.1361
いけづき
池月
高ヒット
放送回:0863-B  放送日:1992年10月17日(平成04年10月17日)
演出:芝山努  文芸:沖島勲  美術:千葉秀雄  作画:藤森雅也
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あらすじ

その昔、九州一大きな池田湖には不思議な事がよく起こった。日照りの時に水嵩が増えて近くの田畑を水浸しにしたり、風もないのに波が立ち、また湖の水が突然渦流をまいて水柱が天空に昇ることさえあったと。

この湖には、昔から白い龍が棲んでおり、不思議なことは全てその龍の仕業だと云われていました。

湖の近くには牧場があり、あるとき雪よりも白い母馬に仔馬が産まれ、仔馬も真っ白だった。

ある日二頭の白馬は牧場の柵を飛び出して人が寄り付かない池田湖に入ってしまう。馬飼いはこれに驚いたが「池田湖には近寄らない方がいい」と放っておくと、夕方になって二匹はちゃんと帰ってきた。それから毎日、白馬はどんな天気でも池田湖で泳ぐようになり仔馬もだんだん逞しく見事なものになった。

「遠い昔の山幸尊が竜宮から連れ帰った龍馬の子孫にちがいない」その評判は九州一帯に広まり、やがてついに鎌倉の頼朝公の耳にまで入った。「何としてもその子馬を手に入れたい」と頼朝公の命によって仔馬は鎌倉へ運ばれる事になる。

仔馬が鎌倉へ連れていかれた後、母馬は湖へも行かず草も食べなくなってしまったが、仔馬と別れて7日目、突然柵を乗り越え走りだして池田湖に飛び込むと円を描いて泳ぎだした。そして大きな渦流が起こるとその中に呑み込まれてしまった。

里の者は憐れな母馬を偲んで湖の岸辺に観音様を祭るようになり、一方仔馬は「池月」と名付けられ頼朝公の元で後に大層な活躍をしたという。

(投稿者:もののけ師 投稿日時 2014/6/23 1:43) 


ナレーション市原悦子
出典鹿児島の伝説(角川書店刊)より
出典詳細鹿児島の伝説(日本の伝説11),椋鳩十,角川書店,1976年10年10日,原題「池月」
場所について池田湖
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地図:池田湖
追加情報
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※掲載情報は 2014/6/23 8:21 時点のものです。内容(あらすじ・地図情報・その他)が変更になる場合もありますので、あらかじめご了承ください。
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コメント一覧
7件表示 (全7件)
松岡尚  投稿日時 2021/7/13 12:06
そういえば「まんが日本昔ばなし」の池月の演出をしておられる芝山努さんが、にんげんっていいなの演出、絵コンテ、キャラクターデザインもやっていましたね。
ゴンザ  投稿日時 2019/12/27 20:46
頼朝はこの母馬に呪われて最後は馬から落ちて死んだのかな?
みずえ  投稿日時 2018/7/4 12:17
可哀想に…。
頼朝公もどうせなら、母馬も連れていってあげたらよかったのに。自分勝手だな。
マルコ  投稿日時 2013/9/28 20:11
ホリケンふれあい旅 にんげんっていいな に池田湖が出てましたよ!!
ネス湖のネッシーならぬ、池田湖のイッシーっていうのがいるって噂らしいですね!!

http://www.youtube.com/watch?v=TIMSCYn4xEs
beniko  投稿日時 2011/12/10 23:28
詳しい説明、ありがとうございます。紅子には半分くらいしか理解できませんでしたが、情報提供ありがとうございました。
mitsuzakura  投稿日時 2011/12/10 19:47
http://homepage3.nifty.com/cheshire/broadstreet/contents_legend/lg_07_ikeduki.html
手前味噌ですが、私のサイトに写真を載せています。
mitsuzakura  投稿日時 2011/12/10 19:42
「まんが日本昔ばなし」では鹿児島県、池田湖の池月伝説が取り上げられています。

オリジナルは東京都大田区南千束の洗足池と千束八幡神社にまつわる伝説ではないかと。
要約すると、

再起を図り洗足郷で陣を構えた源頼朝の前に一頭の野生馬が現れた。捕らえたところ、青い毛並みに白い斑点が池の水面に映る月影を思わせたので池月と名づけられた。その後、源義経が宇治川の戦いで木曽義仲を攻めた。宇治川先陣争いで佐々木高綱に下賜された池月は梶原景季操る麿墨(するすみ)と先陣を競い、見事勝ったとされている。

こんな感じです。


鹿児島の伝説に話を戻しますが、「まんが日本昔ばなし」では池田湖の近くに住む母馬と子馬を描いています。

要約すると、

その昔、池田湖には龍が棲んでいると言われていた。池田湖の近くに牧場があって白馬がこれまた立派な白馬を産んだ。不気味な池田湖を怖れ、近寄らない人々を余所に子馬と母馬は毎日のように池田湖で泳ぐようになった。あの子馬は遠い昔、山幸命が竜宮から連れて帰った龍馬の子孫に違いない、その見事さが評判となり鎌倉にまで伝わった。何としてもその子馬を手に入れたい、源頼朝の命で子馬は鎌倉へと送られることとなった。子馬と無理に引き離された母馬が池田湖に飛び込むと、大きな渦が母馬を呑み込んでしまった。子馬は池田湖にちなんで池月と名づけられ、後に大層活躍したという。

こんな感じです。池田湖で泳ぐことで泳ぎの得意な馬となった(で、宇治川の先陣争いで勝った)ということでしょうか。

まず池月をいう名馬がいて、池月にはこんなお話がある……という構成ではなく、池田湖の近くで暮らす母馬と子馬がいたが、やがて引き離されてしまい、悲しんだ母馬は池田湖に沈んでしまう。その後成長した子馬は池月と名づけられ源平合戦で活躍した……という構成となっています。

この構成だとお話の最後に池月のその後の活躍に言及しているのですが、哀しいお話なのに最後にメデタシメデタシと締めくくっている様にも思え、不思議な印象です。
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