昔、甲斐国の天目山(てんもくざん)の戦いから落ち延びた武田軍の武士桜井重久(さくらいしげひさ)は、敵地から逃れ信州富県(とみがた)の貝沼に住み付くと名前も貝沼重久と改め孤独な暮らしをしていた。
ある日退屈しのぎに狩りに出かけた重久は、近くの真菰が池(まこもがいけ)でおしどりの夫婦を見つけこれに弓矢を放った。矢は正確に雄おしどりの胴を射抜いたが、重久が手にしてみると不思議な事に雄おしどりの首が切れて無くなっており、雌おしどりの姿も消えていたのであった。
それから月日が経ち、再び武士の血が騒ぎ始めた重久が武術の鍛錬に励んでいた頃、どこからか悲しい歌声が聞こえるようになった。
「桜井の 名も恨めしき 貝沼の 真菰が池に残る面影」
「日暮れなば いざと誘いし 貝沼の 真菰が池に鴛鴦(おし)の独り寝 」
重久は不審に思い声のする方を見てみるも辺りに人の気配は無く、その後も何度か同じ声が聞こえてきたが、別段害も無いので重久は歌の意味も深く考えずに聞き流していた。
そして一年が過ぎ、一向に武勲を立てる機会が訪れず苛立つ重久は気晴らしに狩りに出かけ、真菰が池で雌のおしどりが一羽で泳いでいるのを見つける。その日獲物に恵まれなかった重久は、今度こそはとおしどりに狙いを定め弓矢を放つと見事これを射抜いた。
しかし、獲物を手に取り重久は驚いた。なんと死んだおしどりの片方の羽には、既に骨となった雄のおしどりの首がしっかりと抱かれていたのである。この時重久は、それがかつて自分が仕留め損ねた雌おしどりであり、あの悲しげな歌は雄おしどりを亡くした雌おしどりの恨みと嘆きの声であった事を理解した。
重久は、おしどりのような小さな水鳥でさえ互いの命を慈しみ合う事を知り、今まで命を奪う事を誉れとしてきた自分の生き方を深く恥じた。こうして重久は僧となり、何年か修行の旅に出かけた後再び貝沼に戻ると真菰が池の畔に草庵を結んだ。そうして村人達に、おしどりの話や命の尊さを語りながら一生を送ったという。
(投稿者: お伽切草 投稿日時 2013-7-2 19:19)
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http://www.shinmaihanbai.co.jp/information/2007/05/post_10.html
ナレーション | 市原悦子 |
出典 | 信州の伝説(角川書店刊)より |
出典詳細 | 信州の伝説(日本の伝説03),大川悦生,角川書店,1976年2年10日,原題「真菰が池のおしどり」 |
場所について | 真菰ヶ池(復元された小さな池と石碑のみ) |
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