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No.1326
まこもがいけのおしどり
真菰が池のおしどり

放送回:0840-B  放送日:1992年04月25日(平成04年04月25日)
演出:あがわさち  文芸:沖島勲  美術:阿部幸次  作画:上口照人
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おしどりの情愛の深さに心を打たれた武士の話

昔、甲斐国の天目山(てんもくざん)の戦いから落ち延びた武田軍の武士桜井重久(さくらいしげひさ)は、敵地から逃れ信州富県(とみがた)の貝沼に住み付くと名前も貝沼重久と改め孤独な暮らしをしていた。

ある日退屈しのぎに狩りに出かけた重久は、近くの真菰が池(まこもがいけ)でおしどりの夫婦を見つけこれに弓矢を放った。矢は正確に雄おしどりの胴を射抜いたが、重久が手にしてみると不思議な事に雄おしどりの首が切れて無くなっており、雌おしどりの姿も消えていたのであった。

それから月日が経ち、再び武士の血が騒ぎ始めた重久が武術の鍛錬に励んでいた頃、どこからか悲しい歌声が聞こえるようになった。

「桜井の 名も恨めしき 貝沼の 真菰が池に残る面影」
「日暮れなば いざと誘いし 貝沼の 真菰が池に鴛鴦(おし)の独り寝 」

重久は不審に思い声のする方を見てみるも辺りに人の気配は無く、その後も何度か同じ声が聞こえてきたが、別段害も無いので重久は歌の意味も深く考えずに聞き流していた。

そして一年が過ぎ、一向に武勲を立てる機会が訪れず苛立つ重久は気晴らしに狩りに出かけ、真菰が池で雌のおしどりが一羽で泳いでいるのを見つける。その日獲物に恵まれなかった重久は、今度こそはとおしどりに狙いを定め弓矢を放つと見事これを射抜いた。

しかし、獲物を手に取り重久は驚いた。なんと死んだおしどりの片方の羽には、既に骨となった雄のおしどりの首がしっかりと抱かれていたのである。この時重久は、それがかつて自分が仕留め損ねた雌おしどりであり、あの悲しげな歌は雄おしどりを亡くした雌おしどりの恨みと嘆きの声であった事を理解した。

重久は、おしどりのような小さな水鳥でさえ互いの命を慈しみ合う事を知り、今まで命を奪う事を誉れとしてきた自分の生き方を深く恥じた。こうして重久は僧となり、何年か修行の旅に出かけた後再び貝沼に戻ると真菰が池の畔に草庵を結んだ。そうして村人達に、おしどりの話や命の尊さを語りながら一生を送ったという。

(投稿者: お伽切草 投稿日時 2013-7-2 19:19)

参考URL(0)
http://www.shinmaihanbai.co.jp/information/2007/05/post_10.html


参考URL(1)
http://www17.plala.or.jp/jincya/newpage_19.html
参考URL(2)
http://www.nagano-np.co.jp/modules/news/article.php?storyid=17892
ナレーション市原悦子
出典信州の伝説(角川書店刊)より
出典詳細信州の伝説(日本の伝説03),大川悦生,角川書店,1976年2年10日,原題「真菰が池のおしどり」
場所について真菰ヶ池(復元された小さな池と石碑のみ)
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地図:真菰ヶ池(復元された小さな池と石碑のみ)
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※掲載情報は 2013/7/2 21:20 時点のものです。内容(あらすじ・地図情報・その他)が変更になる場合もありますので、あらかじめご了承ください。
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マルコ  投稿日時 2014/2/7 9:41
このお話に出てくる「天目山の戦い」はどのような戦いなのか気になって教科書で調べて見ました。

そうしたら、かの有名な武田氏の最後の戦いだそうで、天目山の戦いは田野の戦いともよばれているそうです。

そうすると、このお話があったのは戦国時代の天正10年(1582年)ごろかそれより後の時代と言うことになります。

1582年に起こった事としては織田信長が本能寺の変で明智光秀に殺されてしまいます。

以下、田野の戦いより引用。

http://www.kit.hi-ho.ne.jp/nagae/tanonotatakai.html

田野の戦い
天正10年(1582年)1月25日、信玄の娘を娶った木曽義昌が織田信長に寝返る。その木曽義昌を討つべく2月2日に武田勝頼が出陣。これに対し義昌は信長に援軍を要請した。これを勝頼打倒の絶好の機会と考えた織田信長は、2月12日織田信忠を救援に向かわせ、信忠が伊那口、徳川家康が駿河口、北条氏政が関東口、金森長近が飛騨口から甲州をめざした。2月16日の鳥居峠の戦いでは、義昌軍が武田軍を破っている。

同2月29日には、穴山梅雪が徳川家康に寝返る。3月2日には織田信忠によって高遠城が落とされる。新府城を守る兵を充分集めることがでない勝頼は、真田昌幸の岩櫃城への誘いを断って、同3月3日家臣の小山田信茂の大月にある岩殿城を目指し、新府城に火をかけて落ちてゆくが、9日に小山田信茂の裏切りにあい、織田の滝川一益軍に攻められ、3月11日田野で自害する。信玄が死んで9年、長篠の合戦から7年で由緒のある武田氏は滅亡する。

beniko  投稿日時 2013/6/30 17:12 | 最終変更
なまむぎさんの投稿を参考に検索してみると、おかげさまで場所がわかりましたので、現在の真菰が池(跡地)をマッピングしました。

以下、地図情報があったサイト。
http://inashi-kankoukyoukai.jp/cms2/archives/958
かつて、富県の御殿場遺蹟の北方には竹薮に囲まれた大きな池があったと伝えられています。慶応2年(1866)に高遠藩の許可が下りて開発されたので、 今では一帯が水田となってしまい、往事の姿を知る由もありませんが、名称からして当時は真菰(※)が生い茂っていたのであろうと思われます。水鳥も羽を休めに飛来したにちがいありません。また、ここから東春近の殿島城まで水路を掘り、水を引いたという話も伝えられています。現在では、記念として 復元された小さな池と石碑のみが池のあったことを伝えています。
※ 真菰(マコモ)池沼に群生するイネ科の植物。高さ1~2メートルになる。
なまむぎ  投稿日時 2013/6/30 16:29
長野日報に以下の記事を見つけました。

文化 : 上伊那の伝説を訪ねて6 真菰ケ池(伊那市富県貝沼)
http://www.nagano-np.co.jp/modules/news/article.php?storyid=17892

すでに池は無くなってしまったようで、残念です。
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