No.1314
ささなしやま
笹無山
高ヒット
放送回:0831-A  放送日:1992年02月15日(平成04年02月15日)
演出:小林三男  文芸:沖島勲  美術:阿部幸次  作画:上口照人
岡山県 ) 70221hit
あらすじ

昔、備前の国藤戸という寂しい漁村に漁師の親子が住んでおりました。息子の名は「与助」と言い、大変な孝行者でした。

平穏に暮らしていた親子でしたが、源平の合戦が激化して平家が一の谷に逃げてきたことから、源氏の兵が藤戸の村に陣をかまえるようになりました。

ある冬の冷たい雨が降っていた晩のこと。与助が一人で漁にでかけ船で準備をしていると、甲冑姿の鎧武者が現れて「浅瀬の場所」など内海について詳しく聞いてきます。

与助は、丁寧に侍たちの質問に答えてやりました。浅瀬の場所を聞いた侍たちは、さらに分かりやすいように「瀬踏み」をして欲しいと頼み、与助は断るわけにもいいかずに、冬の冷たい海に裸になって入り、浅瀬に目印の竹をつける作業を手伝いました。

ところが、その作業が終わって与助が漁に戻ろうとすると、大将の佐々木は「このような下郎はどこで誰に漏らすやもしれん」と口封じのために与助を斬りつけたのです。

漁師仲間が内海に浮かんでいた与助を見つけ、母親が駆けつけた時には既に与助は冷たくなっていました。あとから与助を切りつけたのは「佐々木」という武将であることがわかりましたが、母親にはどうすることもできませんでした。

「与助が一体何をした…おのれ佐々木」
母親は何を思ったのか裏山に駆け上ると「佐々木憎けりゃ笹まで憎い。佐々木よ与助を戻せ」と言いながら笹の葉を引きちぎりはじめました。

母親は全身血まみれになっても笹の葉を引きちぎり続け、とうとう広かった裏山の笹はひとつ残らず葉を引きちぎられてしまいました。後にこの話を聞いた佐々木は、流石に己の行為を悔いたのか写経をしたり、与助の霊を慰めるためお堂を立てたりしました。

裏山の笹はそののちも全く生えることはなく、村人はこの山を誰ともなしに「笹無山」と呼んだそうです。

(投稿者: もみじ 投稿日時 2012-8-6 15:23)


参考URL(1)
http://www8.tok2.com/home2/ei0120/run/06/04/22.htm
ナレーション常田富士男
出典稲田浩二(未来社刊)より
出典詳細岡山の民話(日本の民話36),稲田浩二,未来社,1964年03月15日,原題「笹無山」,採録地「倉敷市」,ささなし山、藤戸町誌より
場所について岡山県倉敷市藤戸町天城の笹無山(周辺)
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • このページを印刷
地図:岡山県倉敷市藤戸町天城の笹無山(周辺)
追加情報
このお話の評価7.2727 7.27 (投票数 11) ⇒投票する
※掲載情報は 2012/8/6 15:48 時点のものです。内容(あらすじ・地図情報・その他)が変更になる場合もありますので、あらかじめご了承ください。
お話の移動 ( 33  件):   <前  1 ..  27  28  29  30  31  32  33  次>  
コメント一覧
4件表示 (全24件)
通りすがり  投稿日時 2012/8/15 13:24
地図が少し違うようです

目印の位置から200mくらいですかねぇ
北西に行ったところに「天城郵便局」があります
その前あたりに「笹無山」というバス停があります

が、実際の笹無山は・・・
目印から真っ直ぐ北へ約800m「平野皮フ科医院」から
約200m西のあたりです
そして笹無山は「山」でなく「丘」と言おうか
若干、まわりより盛り上がった所です
もみじ  投稿日時 2012/8/6 15:23 | 最終変更
一般に源平合戦での源氏は、極悪な政治をした平家を追い落とす英雄的な扱いですけど、源氏も裏では非道なこともしてたんだなぁと思って、複雑な気分になりました。
beniko  投稿日時 2012/4/6 20:47 | 最終変更
書き込みを見て気になったので、未来社の民話の本を読んでみました。出典元である本には、確かに「佐々木三郎盛綱という侍」とありました。※未来社の本に書かれていた内容は日本昔ばなしとほぼ同じでした。
能の演目にもなっていたんですね、能の演目紹介では『平家物語』第十巻「藤戸」を脚色したもの、とありました。以下のページです、ふむふむって感じです。
http://www.hakusho-kai.net/welcome/programs/fujito.html
マルコ  投稿日時 2012/4/6 19:55
この話で登場する「佐々木」って名前の武将でピンと来たんですが能の『藤戸』と関係あるかも?(藤戸町って名前だしあらすじがよく似ているし)
能『藤戸』のあらすじ
うららかな春の日。源氏の武将・佐々木盛綱は藤戸の戦の先陣の功により賜った児島に意気揚々と入部し、訴訟のある者は申し出るようにと触れを出します。
すると、さめざめと泣きながら中年の女性が現れ、我が子を海に沈められた恨みを述べます。盛綱はその言葉を制し、訴えを退けようとしますが、せめて弔って欲しいと嘆く母の心を不憫に思い、浦の漁師であった青年を手に掛けた経緯を語るのでした。
-去年の三月二十五日の夜、浦の男を一人呼び出し、この海を馬で渡ることの出来る浅瀬を聞き出すと、その男と二人きり、夜の闇に紛れて下見に向かったこと。このことを誰にも知られまいと男を刺し殺し、亡骸を海に沈めたこと-明白になった真実にますます悲しみをつのらせた母は取り乱して、我が子と同じように殺して欲しいと詰め寄ります。
盛綱は弔いを約束し、母は涙ながらに帰って行きます。弔いのうちに現れたのは、亡者となった浦の男の霊。命を奪われ沈められた有り様を生々しく再現し、恨みの余り、水底の悪龍の水神となったものの、遂には弔いの功徳によって成仏して行きます。

昔ばなしでも佐々木が浅瀬の場所を若者から聞き出した後、若者を殺害してるんですよね・・・。


投稿ツリー
4件表示 (全24件)
現地関連情報
出典本調査 facebook
Twitter

オンライン状況

38 人のユーザが現在オンラインです。 (24 人のユーザが お話データベース を参照しています。)

新着コメント(コメント24件)