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No.1142
たんがんじのたぬきおしょう
旦願寺の狸和尚
高ヒット
放送回:0721-A  放送日:1989年10月21日(平成01年10月21日)
演出:又野龍也  文芸:沖島勲  美術:門屋達郎  作画:又野龍也
要調査 / 広島県 ) 21829hit
あらすじ

安芸・備後の民話 第一集(未来社,1959年11月25日)に、同タイトル名のお話があり「このお話かもしれない」ということであらすじを書いてみます。

むかし、山陽道の四日市(賀茂郡西条町)に旦願寺という寺があり、古狸が住んでいた。この古狸がまた利口者で、近在の狸の長老格でもあったので、夜になると和尚の姿に化けて、狸の巣を訪ね歩いたりしていた。

また、村や町の人で病気になったと聞くと訪ねていき、「旦願寺の和尚ですが、やいと(お灸)を据えに来ました」と言っては家へと入り、やいとを病人に施す。そのやいとがまたよく効くので「旦願寺の和尚のやいとは万病に効く」と近所でも知らぬ者はないくらいの人気であった。四日市は酒が名物、狸も酒好き。やいとのお礼にお金をもらうと、狸和尚は帰り道には酒屋に寄って、徳利に酒を入れてもらい、これをチビリチビリとやりながら、寺へと帰っていく。

ある日のこと、やいとを据えに御薗宇まで狸和尚が行くと、帰り道に大雨が降り出し、寺へと帰る橋も流されてしまった。困っていると、その川を一人の若者が荷物を頭に渡ろうとしているのが目に入り、「わしは旦願寺の和尚じゃが、川を渡れずに困っておる。法事で急いでおるんじゃ。お礼はするから、川を渡してはもらえまいか」と頼んだ。すると若者は「旦願寺の和尚ゆうたら狸じゃろうが。朝には葉っぱに化けるお金なんぞ要らんわい」と言う。

そこで、「お金がダメなら、やいとのおろしかたを教えよう。ほんなら、あんたも自分で金儲けができようが」と言うと、若者は承諾して、狸和尚を頭に乗せて、川を渡ってくれた。そして、やいとのおろしかたを教えてもらった若者は、やいとの立札を家に立てて商売を始めた。やがて「若者のやいとは旦願寺の和尚と同じ効き目がある」と評判になり、若者はドンドンと金持ちになっていった。その一方、旦願寺の和尚のやいとは熱いばかりで効き目がなくなってしまった。

困った狸和尚は近在の狸を呼び集め、どうしたものかと相談すると「若者の所に行って、やいとを据えてもらってはどうか」という話になった。そこで、狸和尚は生まれて初めて婆さんの姿に化けて、御薗宇の若者の所へと訪ねて行った。しかし、最初のうちは我慢をしていたものの、やいとのあまりの熱さに耐えきれず、とうとう、やいとを背中に乗せたまま逃げ出してしまった。

それから後、頭に大きなハゲのある古狸が旦願寺の松の木の下に眠っているという噂がたったが、それが狸和尚であったのかなかったのか。いずれにしても、狸も好んだ四日市の酒は、どこの酒よりも美味いんだろうと、旅人の間でも評判になったそうな。

(投稿者: araya 投稿日時 2011-12-15 18:00 )


ナレーション未見のため不明
出典クレジット不明
出典詳細安芸・備後の民話 第一集(垣内稔編,未来社)に賀茂郡で採録とのこと
場所について旦過寺の跡
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地図:旦過寺の跡
追加情報
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※掲載情報は 2011/12/15 22:26 時点のものです。内容(あらすじ・地図情報・その他)が変更になる場合もありますので、あらかじめご了承ください。
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コメント一覧
5件表示 (全5件)
カケス  投稿日時 2020/12/29 19:39
旦願寺の狸和尚さんがおっしゃるように、東広島市のキャラクターで「のん太」という狸がいるのですが、こちらはこのお話をベースに考案されたキャラクターであるということです。かわいいですよね。
確かに西条付近はおいしいお酒がいっぱいで、酒蔵巡りも楽しいです。
ご参考、東広島市のHPより「のん太」です。LINEでものん太のスタンプが購入できます。広島弁でつぶやくのん太がかわいいです。

http://www.hh-kanko.ne.jp/nonta/profile.html
siberian  投稿日時 2020/12/26 13:10
昔のビデオを整理していたらこのお話がありました。(最後2分弱切れていましたが…)
ナレーションは市原さんで、内容は概ねここのあらすじの通りでした。

参考画像です
https://imgur.com/a/g5z36qX
旦願寺の狸和尚  投稿日時 2013/11/23 20:42
旦願寺の狸和尚の話で、旦過寺の推定がされていますが、旦願寺=旦過寺で合っています。

只、MAPで、ポイントが打ってありますが、ここは、愛郷廟という、神道の施設です。 現在、旦過寺は、地図上では御建グラウンド中心で対角上の位置にあります。ちなみに、現在直ぐ下方に新しく広い道路がつくられています。この道路は、推定ですが、古代と中世の山陽道の位置になります。 実際に発掘で中世の山陽道跡が発見されました。

秀吉が、この旦過寺に泊まっていますが、山陽道から少し上った小高い位置に寺は有り、見晴らしもよく、警備しやすく宿泊地には適していたでしょう。ただ、現在 御建神社は、塔の岡という地名の所にあるのですが、旦過寺が、このあたり一体であったのかもしれません。現在の旦過寺は観音菩薩の小堂がのこされています。観音菩薩石造の土台には文化6年(1809)とあります。

物語に出てくる旦願寺というのは、旦過寺(たんかじ)というのを「たんがんじ」と、地の人たちが呼んだところから旦願寺の漢字があてられたと思います。
地元、東広島市西条町では、今も「旦過寺が、観音菩薩の小堂」として存在しています。
土地の小字にも塔ノ岡というものがあることから、旦過寺の塔が建っていたのかもしれません。

この「旦過寺」というのは、日本全国に存在します。この寺の役目とは全国を修行して旅する修行僧の一夜の宿として利用されています。
寺の名前「旦過」とは、「旦」は、日の出を表し、「過」は、過ぎていくことを表します。一夜を過ごしたら、翌朝には修行に旅立つという意味の「旦過」なのです。

この旦過寺は、一様に当時の大きな道に沿って建てられていました。当時は江戸時代のように一般の旅人が、旅行をするという風習はなく、朝廷の役目を担った官人か、修行僧くらいのものです。あとは、都に税金を納める民くらいのものですが。

古代山陽道(平城京と九州の大宰府を結ぶ、奈良時代の幅約10mの大道です)が、最短コースで造られていました。平城京から大宰府に命令を伝える役目の伝令は、「駅鈴」という鈴のようなものを振り鳴らしながら、馬に乗って古代山陽道をひた走ります。各地の「駅家(駅家)」は、伝令が、馬を乗り継ぐ為の施設です。一般の民の利用はできません。中世になると朝廷の力も衰え、大道も民が勝手に自分の畑や、墓や御堂のようなものが建てられていき、幅も狭くなり一部では、その存在すら消滅します。

辛うじて中世山陽道が馬や荷車が通れる幅、2~3m位になって存在します。この西条の旦過寺は古代山陽道沿いに建てられ、中世になっても中世山陽道が同じルートで存在していたので、存在していたのです。古代においては、初期の安芸国府が置かれた地で、安芸国分寺も存在しています。安芸国では重要な地であるのです。

実際に中世山陽道が発掘され、その位置的に、秀吉が九州の島津を征伐(天正14年(1586年)7月から同15年(1587年)4月)に行った山陽道沿いの旦過寺に宿泊したという記録に残されています。この旦過寺を毛利に命じて宿泊所として整備させています。

中世山陽道という兵站路に設けられた兵站地であったわけです。一緒に動いた兵が野営できる場所が必要です。また、島津家久が天正3年(1575年)伊勢参りをするため、上洛する際に、西條四日市へ入り坂道から、正面に白山城が見えたと記録にあります。当時は高い建物も無く、坂道を馬に乗って遥か向こうに白山城が良く見えている当時の山城は、防備の為樹木が生えていませんので、城の櫓や柵などが良く見えていたことでしょう。

この二つの内容からこの発掘された道こそ、戦国時代の山陽道であるという結論になったのです。

旦過寺の和尚に化けた狸の民話は今に伝えられ、酒都西条の酒まつりのマスコットとして、信楽焼きの酒徳利をもった狸の焼き物と合わさって、「のん太」君が誕生したのでした。民話は今も生きていて旦過寺の狸和尚は愛され続けています。
araya  投稿日時 2011/12/16 15:23
旦願寺の場所が分かりましたので、お知らせします。

http://g.co/maps/s4uyc (旦願寺こと旦過寺の跡)

JR西条駅の北、御建公園球場わきの墓地。ここにかつて「旦過寺」という今は廃寺になった寺がありました。過去に東広島市には旦願寺という寺がかつて存在したことがない点、御薗宇の川向うの寺である点、口承伝承の誤記の特性から寺名が合致する点から、ここで間違いないかと。
なお、口承伝承の誤記の特性についてですが、例えば「私の家」を「私ン家」というように、口伝えで「旦過の寺」が「旦過ン寺」となり、やがて伝え聞いたものが、活字になる際に「旦願寺」へと変わったのではないかと考えられます。
araya  投稿日時 2011/12/15 18:00 | 最終変更
『安芸・備後の民話』(垣内稔編,未来社)に賀茂郡で採録された話とのことで、舞台となった御薗宇も現在の広島県東広島市西条町御薗宇になります。旦願寺の位置は廃寺になったのか判然としませんので、仮ポイントとして御薗宇にいたしております。

http://g.co/maps/4czw9

狸秘伝のお灸。教えたことで神通力も効かなくなったんでしょうかね(^_^)。
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