No.1054
あばれじか
あばれ鹿

放送回:0665-A  放送日:1988年09月03日(昭和63年09月03日)
演出:河内日出夫  文芸:沖島勲  美術:西澤恵美子  作画:河内日出夫
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あらすじ

昔、伊豆は函南村(かんなみむら)の辺りでは、夜な夜な2頭のつがいの大鹿が現れ、田畑を荒らしまわるので、村人は大層困っていた。そこで村人は、猟師の勘七(かんしち)に大鹿を退治してくれるよう頼んだ。

勘七は火縄銃を持つと、猟犬とともに狩野川(かのがわ)の川べりにやってきた。そこで夜が来るのを待ち、大鹿を待ち伏せようというのだ。

さて、夜になると、勘七が思ったとおり2頭の夫婦(めおと)の大鹿が手前の畑に現れた。勘七は、大鹿を火縄銃が撃てる所まで引き付けるため、猟犬を大鹿の後ろからけしかけた。猟犬にけしかけられた大鹿は、勘七の目論見どおり勘七の前に走って来る。

ところが、2頭の大鹿は勘七の目の前で大きく飛び跳ねたのだ。勘七は不意を突かれたものの、かろうじて雄鹿を撃つことが出来た。しかし、勘七の放った弾は確かに雄鹿に命中したのだが、不思議なことに雄鹿の姿はどこにも見当らなかった。

夜が明けてから勘七が辺りを見回すと、2頭の鹿の足跡が村の方へと続いている。勘七が足跡を追うと、それは興聖寺(こうしょうじ)の境内で途切れていた。勘七が住職に事情を話し、寺の本堂を調べていると、勘七の猟犬は住職の寝室の方に向かって吠えている。勘七が寝室を開けると、そこには見事な夫婦の鹿の襖絵(ふすまえ)があった。勘七が近づいて見てみれば、なんと雄鹿の胸には勘七に鉄砲で撃たれた傷があるではないか。

この大鹿の襖絵は、さる高名な絵師によって描かれたもので、その出来栄えがあまりに見事だったゆえ、ふすまの中から大鹿が現れ出たのだった。しかしこの夫婦の大鹿、勘七に鉄砲で撃たれてからは、恐れをなしたのか、襖の中から出て来ることは二度となかったそうだ。

(投稿者: やっさん 投稿日時 2011-11-5 12:50 )


参考URL(1)
http://kannami13.sakura.ne.jp/culture-fusumae.html
ナレーション市原悦子
出典静岡のむかし話(日本標準刊)より
出典詳細静岡のむかし話(各県のむかし話),静岡県むかし話研究会,日本標準,1978年10月02日,原題「ふすま絵の大ジカ」
場所について興聖寺
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地図:興聖寺
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※掲載情報は 2011/11/5 12:50 時点のものです。内容(あらすじ・地図情報・その他)が変更になる場合もありますので、あらかじめご了承ください。
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コメント一覧
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ゲスト  投稿日時 2016/1/26 13:26
興聖寺(こうしょうじ)函南町塚本431 電話055-978-3079
襖絵
雌雄一対の鹿ともみじが杉戸2枚に描かれています。
構図や色彩、筆勢などから琳派の系統の絵師による、十七世紀末から十八世紀頃の作品と推定されています。
琳派とは桃山時代から江戸時代初期に活躍した本阿弥光悦、俵屋宗達や江戸時代中期の尾形光琳などに代表される装飾芸術派で、作風は平安の王朝文化復興を目指したとされ、平安時代の大和絵の技法や題材を取り入れたものです。
右に雌、左に雄を配しもみじの朱は色鮮やかに残っています。

厨子に納められたマリア観音像全体
(像の高さ17cm、幅15.5cm、奥行13cm)
キリスト教は江戸時代の徳川幕府の禁教方針や鎖国政策により、その信者は過酷な弾圧を受け首切りなどの刑に処せられました。
こうした迫害を受けながらも、密かにキリスト教を信仰し続けた人々は隠れ切支丹と呼ばれ、聖母マリアやマリア観音像を崇拝していました。
この像は漆喰で作られ、マリアの冠の中にはクルス(十字架)がつけられています。
隠れ切支丹たちが子育て観音と偽り、命がけで守ってきた歴史的背景をもつもので、全国的にも現存する例は殆どないとても貴重な像です。
http://mishimasatoyama.web.fc2.com/page231.html


鎌倉円覚寺
 =正式名称「瑞鹿山円覚興聖禅寺(ずいろくさん えんがくこうしょうぜんじ)」興聖寺 名の所縁 だと言う。
鹿の襖絵も、瑞鹿山 からだろうか?

http://blog.goo.ne.jp/torajirou44/e/243a2239bb6462aea0a601f6af745cd5
ゲスト  投稿日時 2016/1/26 12:56
伊豆八十八か所巡礼 十六番札所 興聖寺(函南町塚本)
隠れキリシタンが信仰したマリア観音が安置される
山号 金宝山  臨済宗(円覚寺・末) 草創 1489(延徳元年)
町の有形文化財、マリア観音像と鹿の襖絵がある。
子供を抱いた観世音菩薩、徳川幕府の目から逃れる為の隠れキリシタンのマリア像と云われる。鹿の襖絵は、鎌倉時代に描かれたと推定され、猟師が本物の鹿と間違えて撃った4つの火縄銃弾の跡が残る。
この鹿の襖絵の銃弾跡には言われがあり、日本昔ばなしで放送された。
鹿が畑を荒らし、農家を困らせていたところ、火縄銃を持った猟師が鹿退治に駆りだされた。鹿はこの寺に逃げ込んだ。猟師は鹿を追い、寺に上がる。鹿だと思い猟師が引き金を引くとそれは襖絵だった。
http://www.izu-kanko.com/%e4%bc%8a%e8%b1%86%e5%85%ab%e5%8d%81%e5%85%ab%e3%83%b6%e6%89%80%e9%9c%8a%e5%a0%b4%e3%82%ac%e3%82%a4%e3%83%89/202.html
beniko  投稿日時 2011/11/7 3:10
参考URLを見たら、本当に鹿のふすまがあるんですね。すごい。
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