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No.1019
みそまめばなし
みそ豆ばなし
高ヒット
放送回:0642-B  放送日:1988年03月26日(昭和63年03月26日)
演出:小林治  文芸:沖島勲  美術:大野広司  作画:重国勇二
茨城県 ) 21570hit
味噌豆を二度食べさせて余分に儲ける話

昔々、二人の武者修業の若い侍がある山の麓まで辿り着いた時、麓の茶屋の娘に打ち水をかけられてしまう。この仕打ちに二人は腹を立てるも、その娘のあまりの美しさに二人は服を濡らされたのも忘れ、つい茶屋に立ち寄り味噌豆を頼む事になった。

侍の一人が山を越えるのにどれくらいかかるか娘に聞くと、娘は「上るのに三里、峠から下るのに三里といわれております。」と答えた。茶屋を出た後も娘の事が 気になった二人は山を三里上るうちは互いに娘の年を言い当てていたが、やがて峠の真ん中まで来ると「二十歳だ!」「いや十九だ!」と言い争うようになり、 ついには刀を交えた喧嘩となってしまった。

しかしまだ分別が残っていたのかそれでは娘に聞いてみようという事になり、二人は急いで三里下って茶屋まで戻り、今度は茶屋の主人に味噌豆を頼んだ。主人が一旦店に下がるとまたあの娘が味噌豆を持って現れたので、二人は味噌豆を食べた後それぞれ 娘をこっそり呼び出し、「美味い味噌豆であった。」と代金とは別にお金を渡したうえでいよいよ娘に年を尋ねた。ところが娘は笑いながら「私は節分の晩の丁度十二時に生まれたため、年は十九と二十歳の間です。」と答え、この娘の上手い答えに二人の侍は満足しまた山道を上っていったのであった。

一方茶屋の主人は二人が去った後、「味噌豆は三里や四里戻っても食うものじゃ。」とつぶやきほくそ笑んでいた。すると向こうから別の武者修業の侍がやって来 るのを見て、主人はなんとお面を被り服を裏返すとあっという間に茶屋の娘に変装した。実は娘の正体は主人であり、わざと相手に打ち水をかけお客を捕まえて はまんまと店の味噌豆を頼ませていたという事だ。

(投稿者: お伽切草  投稿日時 2013-2-14 22:07)


ナレーション市原悦子
出典日向野徳久(未来社刊)より
出典詳細茨城の民話 第二集(日本の民話72),日向野徳久,未来社,1978年12月05日,原題「味噌豆は四里戻っても食え」,採録地「那珂郡」,原話「若林はつえ」
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このお話の評価8.3636 8.36 (投票数 11) ⇒投票する
※掲載情報は 2013/2/15 9:05 時点のものです。内容(あらすじ・地図情報・その他)が変更になる場合もありますので、あらかじめご了承ください。
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コメント一覧
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猫  投稿日時 2021/7/4 10:14
登場するのはいつもの常連キャラ5人だけですが、小林ワールド全開の何度見ても面白い作品ですね。
それにしても、下唇おじさん…なんであんなことしてるんでしょうか……そして、あんな小さなお面のどこにあの下唇をおさめているのでしょうか。
ゲスト  投稿日時 2020/11/1 5:23
この作画のお馴染みの顔ぶれで
どんな展開になっても大爆笑してしまうww
Perenna  投稿日時 2020/10/4 4:30
この昔話で語られている「味噌豆」についてなのですが・・・
原作の「茨城の民話・第二集」では、次のように書かれています。
「むかし、ある夕方、ふたりの武者修行の若い侍が、山のふもとまでたどりつきました。
「これからこの山を越えなければならない。ちょうどよいあんばいにここに豆腐屋があるから、茶でもいっぱい飲んでゆくか」
「うん、そうしよう。おれもくたびれた」と、二人は、「茶をよばれたい」と縁がわに腰をおろしました。
そのとき、この家の美しい娘がお茶と一緒に味噌豆を出してくれました。
味噌豆とは、味噌をたくときの大豆をやわらかく水で煮たものをいいます。」
また、「二人はおいしい煮豆をどっさりよばれながらお茶を飲んで、疲れもとれて出発しました」とも書かれています。
その後、二人は娘の年齢について「はたちだ」「いや、十九」だと言い争って喧嘩になり、「戻っていってあの娘に年を聞いてみよう」ということで、山のふもとの豆腐屋まで戻ってきます。
豆腐屋のおやじさんは、わけを聞いて、「なあんだ、そんな言いわけをしながら、娘の顔が見たいばっかりに戻ってきたんだな」と思いましたが、世なれた商人だったので、娘にお茶と豆の煮たものを持ってこさせて給仕させました。
店の主人は「へ、どうもおかしな話ですが、うちの娘は節分の晩のちょうど十二時から一時になる間に生まれたもんですから、十九でもなければ、二十でもない、十九と二十のあいのこでやんす。」と言って、二人の若侍を納得させます。
豆腐屋の主人もそのように主張しますし、美しい娘もそつなく応待したものですから、若侍たちは満足して、また山道を登っていきました・・・
最後に昔から言われていることとして「味噌豆は三里や四里戻っても食うもんだ」というオチが書かれています。
この昔話で言いたいことは、とにかく味噌豆、豆腐屋、煮豆、節分、といった、水戸納豆がらみの豆づくし(?)のように思われます(笑)
アニメでは下唇おじさんが若い娘に変装して、武者修行中の侍をだましているので、たしかに面白みや奇抜さや滑稽さもあって楽しめます。
でも原作の民話では、それほどひねりもきいていませんし、味噌豆のことわざにこじつけたような話みたいな気がしますし、それほどたいした昔話ではないと思ったりしますね(笑)
もんた  投稿日時 2020/4/23 10:38
やはり娘に化けていたのですか。
頭方  投稿日時 2018/11/30 9:51
下唇おじさん、茶店の店主として登場。それにしても、娘に変装するシーンは凄かった覚えがある。
じゅりあちゃん  投稿日時 2018/6/23 22:33
下唇おじさんことアゴ吉さんが娘に変身するとは。恐るべしです。
パンチョ  投稿日時 2012/5/16 1:04
このお話には、原作があったんですか?!(・0・;)
あまりにシュールな作品だったから、アニメ製作スタッフの遊び心から生まれた作り話かとずっと思ってました・・・。
arayaさん、貴重な情報ありがとうございます!
店主の親父さんが、茶屋の看板娘に化けていたというラストは、確かに何度見ても笑えますよね。面白いです。(^ ^)



araya  投稿日時 2012/5/15 20:35
原作は『栃木の民話』(日向野徳久,未来社)に収録されている「みそ豆は三里もどってでも食え」ですが、そちらには「豆を煮たもの」といった説明があったように記憶しています。また「味噌豆は縁起がいいから三里もどっても食うように」という伝承もありますね。
ただ、この作品。小林治さんらしい脚色がなされており、店の親父が娘に化けるあたりはなかなかの腕前。何度みても笑えます♪
パンチョ  投稿日時 2012/5/10 1:48
この話を初めて見た時、僕の頭には「?」マークが飛びまくった。
2人の男が食べていた味噌豆が、一体どう言う食べ物なのか気になって仕方がなかった。「えっ?なに?なに?」と、首をかしげている間にお話は終わってしまい、呆然・・・。
味噌豆に気を取られすぎて、肝心のストーリーを追えなかったのだ!
このお話で、製作者側が伝えたかった事は何だったんだろう・・・?
・・・あれから数十年。再びこの話を見る機会に恵まれ、再視聴してみが・・・う~ん、分からん・・・。(お話の主旨が)
でも、一つ分かった事がある。茶屋の看板娘と、店主のおじさんは同一人物だったって事。
これには思わず吹いた。(子供時代には、この二人が同一人物だとは気づかなかった。)
こういうジョークは大人には分かるけど、子供にはちょっと分からないよねぇ~。(子供の頃の僕には分かりませんでした)
あ、それと。味噌豆って実在する食品なんですね!これにはちょっと驚きました。空想上の食べ物だとずっと思っていたので。
araya  投稿日時 2011/11/26 8:29
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