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No.0315
しゃれこうべのうた
しゃれこうべの歌
高ヒット
放送回:0197-A  放送日:1979年08月11日(昭和54年08月11日)
演出:やすみ哲夫  文芸:沖島勲  美術:あかばんてん  作画:岩崎治彦
九州地方 ) 51321hit
あらすじ

昔、貧しい村に住む千三(せんぞう)と万三(まんぞう)という仲良しの若者が、上方へ出て働くことになった。千三は一生懸命働き、万三は悪い道に入り仕事もせずぶらぶらしていた。

村を出てから三年たった頃、千三と万三は久しぶりに故郷へ帰ることにした。その帰路の途中、万三は千三の貯めた金に目がくらみ、千三の首を刀で切り落としてしまった。千三の死体を近くの竹やぶに埋め、何食わぬ顔して一人で故郷に戻った。

それから三年、再び上方へ働きに出ることになった万三が、千三を埋めた竹やぶ近くを通ると、千三のしゃれこうべが話しかけてきた。「おらが歌うから一緒に金を儲けよう」万三は、歌うしゃれこうべの見世物小屋を作り、大変な評判となり大金を稼ぐことができた。

やがてこの噂はお殿様の耳に入り、不思議なしゃれこうべの歌を聞こうと万三をお城に呼び寄せた。するといつも軽やかに歌っていた千三のしゃれこうべは、この時ばかりはウんともスンとも言わなかった。

お殿様は激高し、万三を捕らえて打ち首にした。万三も千三と同じように首を切られてしまったというわけだ。

(紅子 2011-11-1 1:07)


ナレーション常田富士男
出典瀬川拓男(角川書店刊)より
出典詳細残酷の悲劇(日本の民話10),瀬川拓男,角川書店,1973年6年25日,原題「しゃれこうべの歌」,伝承地「九州地方」
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追加情報
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※掲載情報は 2011/11/1 1:07 時点のものです。内容(あらすじ・地図情報・その他)が変更になる場合もありますので、あらかじめご了承ください。
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コメント一覧
10件表示 (全17件)
ゲスト  投稿日時 2022/2/4 20:47
「佐吉船」とは似てるような
猫  投稿日時 2021/9/14 16:03
以前ふるさと再生日本の昔ばなしでもこのお話を拝見したことがあります。昔のことなので記憶は不確かですが、そっちの方は万三は罰は受けましたが打首になることなく、千三も村人の手によって手厚く葬られ(千三自ら村人たちに別れを告げて自分から墓に入っていた気がします)ていて、そこまで怖い終わり方ではなかった気がしますが、こちらの方では、万三は打首になり、千三のその後については触れられておらず、怖い終わり方という印象を受けました。(私はこの怖い方が好きですが…)

このお話の演出を担当されたやすみ哲夫さんは、比較的やわらかな可愛らしい絵が多いですが、ごん兵衛とカラスやトド鳥など、悲劇の結末を迎えるお話も少なくないですね。
KAIXA  投稿日時 2021/6/25 22:32
ホモォ…
もんた  投稿日時 2020/11/26 10:53
こんな悪者は死んでまえと思います。
ゴンザ  投稿日時 2020/6/25 22:16
基本的に明るい話の多いやすみ哲夫氏の作品だけど、この話はタッチとは裏腹にかなり凄惨な内容ですね。それでも自分はこの作品が好きです。
ゲスト  投稿日時 2016/12/9 23:09
さる感想サイトに於いて、「千造は万蔵を本当に好いていたので万蔵を自分と同じ姿に引き込んだ」という意見には唸らされたな。
ゲスト  投稿日時 2015/10/12 1:00
[シリーズ/比較民話](四)踊る骸骨/歌う骨 高木昌史
http://www.seijo.ac.jp/pdf/falit/225/225-2.pdf
ゲスト  投稿日時 2015/10/12 0:07
唄い骸骨  日本 鹿児島県
 昔、二人の商人が連れ立って出稼ぎに出かけ、一人は沢山 銭をもうけたが、もう一人は少しももうけないで帰途についた。途中、《よけいのをばね》の頂上に五葉の松があって、そこで二人で休んで話をしていたが、もうけなかった方の男がもうけた男の首を切って金を奪い、そのまま家に帰った。
 男は三年間商いをせずに遊んで暮し、三年後にまた同じ道を通って出稼ぎに出かけた。すると、五葉の松の辺りの藪の中から、
  叶かのた 叶たよ 思たこと叶た
  末じゃ鶴亀 五葉の松
と、とてもいい歌声がする。見に行くと、されこうべが唄っているのだった。男はこの骨を拾って金持ちの家に行った。
「私は歌うされこうべを持っております。もし歌わなかったら私の首を差し上げます」
「されこうべが歌うなどということがあるものか。よし、歌ったら私の全財産をやろう」
 そこで男はされこうべに歌わせようとしたが、転がしても叩いてもいっこうに歌わない。それで、金持ちに首を切られてしまった。途端に、されこうべがカタカタと歯を鳴らして歌った。
  叶た 叶たよ 思たこと叶た
  末じゃ鶴亀 五葉の松
 金持ちは嘆いたが、どうしようもない。されこうべが三年前の仇をとったという話である。
参考文献 『日本昔話集成(全六巻)』 関敬吾著 角川書店 1950-
http://suwa3.web.fc2.com/enkan/minwa/tori/03.html
↑この頁には、下記の文献も載っています。
歌う骨  ドイツ 『グリム童話』(KHM28)
唄う骨  ハイチ
ゲスト  投稿日時 2015/10/11 23:55
踊る骸骨 語り手 鳥取県八頭郡智頭町波多 大原 寿美子さん(明治40年生)

 昔、あったときになあ、下(しも)の七兵衛と上(かみ)の七兵衛と二人の七兵衛があってなあ。たいへんに仲良しで、田舎におってもたいしたもうけはないしするので、
「まあ、ちぃっと町の方へ出かせぎじゃ。もうけてこうや」と言って二人が出たそうな。
 そうしたら、上の七兵衛は、出るときから、自分が食べられさえすりゃ遊んでおって、そうして過ごしていたし、下の七兵衛は一生懸命働いて、そして月日が三年たって、
「もうまあ、三年もたったじゃけえ帰ろうやな。仲良く二人が出たじゃけえ、二人いっしょにいなにゃいけんけえ」と下の七兵衛が上の七兵衛に言ったらなあ、上の七兵衛は、
「三年たったけど銭は一銭もないし、それから、また着ていぬる服も着物もない」と言う。
「おまえを一人置いときゃあいけんけえなあ、そいじゃけえ、ほんなら連れのうていのう。どげえどうらがするけえ」と下の七兵衛は言ったそうな。
 そして呉服屋へ行っていくらばかりの着物を買うなどして着替えはいっさい買ってやって、そのようにして連れだって帰ってきたそうな。
「やれやれ、もどった。もどった。もう村が見えるぞ」と言って峠の上から家の見えるようなとこになってから、ひょっと上の七兵衛が謀反(むほん)を起こしてねえ、
「まあ、これじゃあ、うちへいねんけえ、七兵衛をここで殺いたら、七兵衛のお金も土産も何も、うら、持っていねるけえ」と思って、それから下の七兵衛を後ろから、ばっさり斬って殺して、そうして下の七兵衛の土産からお金から全部持ってもどったそうな。そうしたら下の七兵衛のお母さんが、
「同じように出たじゃが、うちのお父ちゃんはどげなことじゃろうなあ」と言えば、
「さあ、いのう、言うたけど、もうちいともうけて、もうちいと後からいぬるけえ、と言うたけえ、大方そのうちもどろうかも知れんで」と言ったそうな。
 それで仕方がないので、その母さんも待っておられたけれど、とうとう下の七兵衛はもどって来ないそうな。
 それから上の七兵衛は、下の七兵衛がやっと銭をもうけたのをみな取っているし、土産もあるししてほちゃほちゃ言ったけれども、そのようにお金を盗ってみたところが、ちっとも性根は変わりはしないし、あるお金は、そのうち使ってしまって、また三年たって、そうして、またそこを山越しなければならなくなったので、下の七兵衛を殺したそのウネを越していたところが、
「こら、上の七兵衛、上の七兵衛、ちょいと待てや」と言って、上の七兵衛の裾を押さえる者がある。それが下の七兵衛の声だからびっくりしていると、そこに下の七兵衛の骸骨が残っていたそうな。そうしたらその骸骨が、
「ほんに忘れたか、三年前、ここでおめえがわしを殺えて、うらの荷物から金からみな持っていんで、だけどやっぱり性根は治らさらんか。あの、うらが三年かかってやっともうけた銭ぃみな使うたかい」と言う。
「ふ-ん」
「ま、そねいなろう。そら性根は変わらん、変わらん」と言う。
「何言うても、ほんに断わりのしようもない。こらえてごしぇえ」と上の七兵衛は言う。
「こらえてごしぇるもこらえてごせんもありゃあせん。うらの銭ぃみな使うただけん、どがあしようもないがなあ。それじゃあ何じゃがな、三年後、おまえ、おまえと会おう会おうと思うて、こっからほんに毎日待っとるけど、三年たたにゃ会えなんだ。何じゃ、そりゃまあ、また、銭がなけにゃあ、一もうけしてこうや。ほんならうらと二人で行こう」と言うと、
「ええ」と言ったそうな。
「おめえはよう歌をうたうだけえ、歌をうたえ。うらは踊るけえ」と下の七兵衛が言うものだから、
「そうか。そんなら、まあ、そがしょう」と言って。それから、二人が出たところが、「骸骨の踊り」「骸骨の踊り」と言いながら、ずっと町をあちこち回っていると、珍しいものだから、本当に、ここもあちらも、うちもというように、とっても受けに受けるものだから、上の七兵衛はとても喜んで、そうして、自分はいろいろな歌をうたって、骸骨がずっとはね回って踊るしして、たくさんの金をもうけたそうな。
 そうしていたら、それが殿さんの耳へ入って、それで殿さんが、
「骸骨の踊りいうようなもんは珍しいもんじゃ。ほんなら、まあ、見せてもらおうかい」と言われたそうな。
 それから二人は大きなお庭に呼ばれて、そのようにしてそれから上の七兵衛が歌をうたいだしたそうな。そして骸骨に、
「さあ、踊れ」と言って踊らせるけれど、まあそれまであれだけよく踊っていた骸骨がちっとも踊らぬことになってしまったそうな。上の七兵衛はいろいろと知っている歌を全部出してみるけれど、びくとも動かないので、
「こら、何ちゅうこっちゃろう」と思って、
「なして踊らんじゃあ」と言って、びっしりたたいたら、骸骨なのでごとごとっと砕けてしまい、そうしてその骸骨は殿さんの前へ行って、座って、
「殿さん、ほんに殿さんと会いとうて会いとうてこたえなんだ。これまで踊ったのも殿さんに会いとうて、こがあやって回りよったとこじゃ」と言ったそうな。そうして、
「この上の七兵衛は三年前、こういうわけじゃったじゃ。二人が出稼ぎい出て、こういうわけで峠から家が見え出いたところで、ウネのところでわしを殺いて、このようなことをしてきた。まあまあ、これで仇討ちができる。今日の日が来たじゃ」と一部始終をすっかりみな話してしまったら、殿さんが、
「上の七兵衛はたいへんに、そら悪者(わるもん)じゃ」と言われ、それから上の七兵衛を縛り上げて全部白状さしたところが、案のじょう、骸骨が言う通り同じことだったそうな。
 それから、上の七兵衛ははりつけにあったそうな。
「これを待って三年間、ほんに思いつめて、待ち続けとったじゃ」と言って下の七兵衛は仇討ちをしたのだそうな。
 そればっちり。

解説
 昭和54年10月にうかがった。この「踊る骸骨」の話は、各地に伝えられてはいるものの、わたしとしては他ではまだうかがったことのない、唯一のものである。それだけにこの話を聞かされたときには、驚くやらうれしいやらだった。関敬吾博士の『日本昔話大成』から、その戸籍を眺めると、本格昔話の「十、継子譚」の中の「唄い骸骨」として登録されている。これまで収録された地方について『日本昔話大成』を借りて北から挙げておくと、岩手、宮城、福島、新潟、広島、福岡、熊本、鹿児島のわずか八県しかない。したがって山陰でこの話を直接聞いたのはわたしだけのようである。
 少し歴史的に遡って眺めてみると、寛政6年(1794年)に人見蕉雨の書いた『黒甜瑣語』の「髑髏(されこうべ)の謡」として出ているのがこれに近い。略記すれば、森山大蔵という侍が二戸の阪本へ行こうと山道にさしかかると髑髏が「ほに出る枯尾花訪ひ来しなうき寝の夢さむればみねの松風」と繰り返してうたっていた。…森山がこのことを主人に話すと、主人をはじめみなに笑われる。森山は「命に代えても偽りではない」と請け合い、髑髏を連れてきて謡わせようとするが髑髏は謡わない。そこで森山は約束の通り頭を刎ねられる。すると髑髏は笑いだし「今こそ我が願い叶い多年の恨みも晴れた。この森山は一人の家来を無実の罪に陥れ、手討ちにしたことがあった。その祟りがこの髑髏に残っていたのだ」と話した、というのである。また、近隣諸国に目を転じると、タイとかアメリカインデイアンなどに類話が認められるようである。
http://kanbenosato.com/minwa/kancho_200808.html
ゲスト  投稿日時 2015/10/11 23:46
歌い骸骨(うたいがいこつ)は、鹿児島県甑島、新潟県南蒲原郡田上町に伝わる怪談。19世紀初頭に書かれた『黒甜瑣語』という書物にも非常に良く似た話が記されている。また、グリム童話にも『歌う骨』と題された同様の物語が収められている。アフリカやアメリカ黒人民話にも「血まみれドクロ」というよく似た話が見受けられる。

甑島の伝承
その昔のこと。ある商人が相方の商人と2人で、一稼ぎするために市へ行った。相方の方は非常に儲かって喜んでいたが、当の商人の方はまったく儲からなかった。商人は相方を妬んだ末に彼を殺害し、持ち金を奪って自分のものとし、3年間遊んで暮らした。
そんなある日のこと。商人がかつて相方と2人で歩いたことのある道を歩いていると、薮の中から美しい歌声がする。不審に思って薮の中を覗くと、そこには白骨死体があり、骸骨が歌を歌っていた。商人が驚いていると、骸骨は「貴方が望みさえすれば、いつでもどこでも歌います」と告げた。これは稼ぎ道具になると考えた商人は、骸骨を持ち去った。
とある長者のもとを訪れた商人は、珍しい宝物として歌を歌う骸骨を持っていると話した。話を信じない長者に対して商人は、歌わなかったら自分の首を差し出す、但し歌ったら貴方の財産を貰うと持ちかけた。長者はこの話に乗った。
商人は、さぁ歌えとばかりに骸骨を取り出した。しかし骸骨は歌わない。商人が何とか歌うよう命じても責め立てても、一向に歌わない。立腹した長者は刀を出し、自分を騙した罰として商人の首をはねた。
途端、骸骨が歌い出した。「自分の思いが叶った」と。その骸骨こそ、商人に殺されたあの相方の商人の骸骨だった。死して尚、3年の末に自身の怨みを晴らしたのであった。

新潟県の伝承
ある村の2人の男が、一稼ぎするために江戸へ行った。1人は働き者で非常に儲かったが、もう1人は怠け者でまったく儲からなかった。
1年後、働き者の方の男は村へ帰ろうと言ったが、怠け者の男は金がない。働き者男は、金を貸すからと言って共に村へ向かった。しかし怠け男は小夜の中山へ差し掛かった頃、いずれ金を返さなければならないのならと悪心を起こし、働き者男を谷底へ落として殺し、金を自分のものとした。
翌年、怠け男は金儲けのために再び江戸へ向かった。途中の小夜の中山で美しい歌声がする。不思議に思っていると、あの働き者男の死体の頭蓋骨が歌を歌っていた。男は稼ぎ道具になると考え、骸骨を持ち去った。
江戸へやって来た男は、骸骨に金を歌わせて見世物にし、大いに金をもうけた。噂を聞きつけて役人が訪れ、歌を歌うという骸骨を信じず、男を調べようとした。男は本当に骸骨が歌うのだと言い張って歌わせようとするが、なぜか骸骨は歌わない。男が何とか歌うよう苦心していると、やがて歌い出した。「この男に心を許すな、小夜の中山を忘れたか」と。
これは何かあると感じた役人が男をよく調べた末、彼が連れの男を殺して金を奪ったことが明らかになったという。

黒甜瑣語の話
奥州の話。ある武士が急用のため深夜の山道を歩いていると、どこからか謡曲を歌う声がする。不思議に思って声のする方へ分け入ってみると、何と1個の髑髏があって、それが歌っていたのであった。髑髏が、まとわり付いている雑草を取り除いてもらいたいと頼むので、武士は言うとおりにしてやった。
用を終えて登城した武士は、山中で体験したその不思議な話を殿様や家臣たちに話すが、髑髏が歌うわけがない、と誰も信用しない。躍起になった武士は、それなら現物を持ってきてお目にかけよう、と言って再び山道を急いだ。髑髏はすぐ見つかり、わけを話すと快く承諾してくれた。武士は喜び勇んで髑髏を持ち帰り、殿様たちの前で、さあ歌われよ、と何度も促すが、どういうことか、髑髏は一言も発しない。やはり嘘ではないか、殿様までだますとは言語道断、となって、武士は処刑された。ところが、その首が落ちたとたん、髑髏が、これで我が恨みは晴れた、と叫んで朗々と謡曲を歌い、人々を驚愕させたのであった。
後で調査したところ、件の武士は以前に無実の罪で家来の者を処刑したことがわかった。罪なく殺された家来が復讐したのだ、と皆は噂したという。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%8C%E3%81%84%E9%AA%B8%E9%AA%A8
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