流される禅師を助けようと河童もその流れに飛び込むのですが、なんてことでしょうか。流されちゃうんですよ。河童なのに。
河童の川流れだって指差して笑ってちゃいけません!!
鯉一匹じゃ、力が出なかったんでしょうか・・・。禅師は遺体が発見されましたが、河童は生きているものやら、死んだものやら・・・今となってはわからない。そんな悲しい話です。
http://kappauv.com/sub3/sub30117.html禅師河童 山口県美弥郡
数百年ものむかし、秋芳洞が滝洞とよばれていたころのことです。
ある年の夏に、ひどい日照りが続き、田んぼや畑は枯れ、滝洞から流れ出す川の龍ガ淵もほとんど水がなくなり、魚もすっかり死んでしまいました。淵に年古くすんでいた河童は、とうとう耐えられなくなり、近くの自住禅寺の放生池から鯉を盗んでたべてしまいました。ちょうどそのころ、禅寺の寿円禅師が、雨乞いのため滝洞にこもり、命を捨てる覚悟で、二十一日のお祈りをはじめなされました。これを見た河童は、「鯉をたべたわしを、のろうつもりだな」じゃまをしていたのですが。やがて、禅師さまのけだかいお姿に心をうたれ、お祈りのお手伝いをするようになりました。
やがて満願の日、お祈りは天にとどき、雷ははためいて大雨となりました。禅師さまは、よろこびを仏にのべられ、よろめく足で、滝洞からでられたのですが、龍ガ淵の一枚岩の上から淵に身をなげられたのです。仏のみもとに、いのちをなげだされたのでした。
これを見た河童は、淵にとびこみました。そして、禅師のからだをだき、大雨に流されないようにと、ひっしに岩につかまっていました。それから数日、ようやく水が引いた川から、百姓たちが禅師さまのなきがらをひきあげると、からだ一面傷だらけになった河童が禅師さまから離れ、ながれてゆくのがみえました。百姓たちは、けなげな河童をたたえ、「禅師河童」と名前をつけ、その霊をてあつくとむらったということです。
(未来社版『日本の民話』より)
解説:現在でも、秋吉台(秋芳洞)に行くと、この禅師河童の人形がみやげ物として売っています。元々は、仏敵として、水の神から追い落とされ、妖怪になった河童なのですが、それが、仏に仕える禅師として崇められる。これもまた、因縁なのでしょう。