「石川県鹿島郡誌」(昭和3年)には「物貸石」について、次のように書かれています。(コマ番号970/1795)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1232332「池崎(高階)より直津に行く所に横打ちと云ふ畑地に昔大なる石ありしと、之を物貸の神様といふ。村の人此の石に所用の品を頼む時は膳椀は勿論金銭にても貸し與へられしが、天正の頃石動山の僧来りて種々の物を借出しこれを返さざゞりしより、物貸の神様も怒りて遂に貸出さぬやうになりたりと。此の石今は池崎なる立石上なり或は某家の庭石となれり。」
石動山は天正10年(1582年)、織田信長の命令により前田利家、佐久間盛政らによって焼き討ちにあいました。
石動山の僧兵たちが武器やいくさに必要な兵糧などを借り出して、そのまま滅ぼされてしまったので返却することができなかった、という話なのでしょうか?
また、七尾市の池崎町と直津町のあいだにある青山町には立山神社があります。
この神社は昭和23年に創立されたものらしいですが、なにかこの昔話と関係があるのかもしれません。