鳥の巣裁き についてのコメント&レビュー投稿
むかしむかし、薩摩と長州と土佐の侍が一緒に旅をしておった。道中の三人はそれぞれのお国自慢で意地を張りあってしまうことがあったそうじゃ。まあ、みんな自分の住んどる所が一番...…全文を見る

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投稿者:araya 投稿日時 2011/12/4 7:07
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長州に伝わる昔話でありながら、なぜ舞台を三河としたのか疑問でしたが、宿屋の主人が三河商人ということで納得しました。三河商人には「売り手よし・買い手よし・世間よし」の「三-方よしの理念」があり、私利私欲に走らず誰にとっても良い商いを-することで知られています。主張の違う薩長土の三人を誰も-傷つけることなく、その場を収める適役としてこれほどの適材はなく、そのための三河の舞台であったかと♪?

もちろん、江戸に向かう途上の有名地としても無理はありませんし、三人と三河の三つながり、江戸-を起こした家康の地と江戸を終わらせた三藩などなど。これほどの舞台はないというくらいのベストマッチ。この昔話を考えた方の造詣にも感服させられました。
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投稿者:beniko 投稿日時 2011/12/4 11:37
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つまりこの話は現代人が作った、創作昔話って事ですか?実際にこういった事が起こったんですよ~、というものではない、という事ですかね?
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投稿者:araya 投稿日時 2011/12/4 12:51
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坂本竜馬が世間的に評価されるのは、1904年の日露宣戦布告で明治皇后の夢に現れてからのことですから、薩長土の三藩で語られるのも薩長同盟が成った幕末より明治後半以降かと(^_^)。もしかしたら「みそ買い橋」と同時期ぐらいかもしれませんね。
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投稿者:もみじ 投稿日時 2013/6/5 17:21
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「売り手よし・買い手よし・世間よし」の三方よしは
近江商人だったはず…(・ω・;)と思って調べてみたら

三方よしは戦後に商人の商売理念をわかりやすく表現したものらしく
その商家による家訓によって言葉の意味するところも違うそうな。
地域的にそれほど離れていない三河も一緒だったようです。
調べてみたら確かに三方よしで、でてきたし。

ごめんなさい、滋賀出身者としては気になってしまったので。
お気を悪くされたら申し訳ないですm(_ _)m 他意はありません。

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投稿者:ニャコディ 投稿日時 2013/6/5 20:45
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「売り手よし・買い手よし・世間よし」ですか~
現代でも企業倫理やCSRでよく見かける言葉です。
三河商人も近江商人も、昔から素晴らしい理念を持っていたのですね。

確かに宿の主人のあの笑顔で、あんな見事な場の収め方をされたら、
納得しちゃいますねえ。
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投稿者:匿名希望。 投稿日時 2013/9/20 12:55
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てっきり、新撰組かと思った。(笑)
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投稿者:Perenna 投稿日時 2020/4/19 23:44
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この昔話を「周防・長門の民話 第二集」で読んでみました。
これは明らかに、明治以後に作られた創作系の昔話ですね(笑)
薩摩と長州と土佐の侍が泊まった三河の国の宿屋の描写は、次のように書かれています。
「二階から向うをみるちゅうと、なかなか景色のええ築山がある。そいて築山の上に、大きなみごとな五葉の松が植えちゃある。そいでのう、その五葉の松のずってんこう(頂上)に何やらの鳥が巣をかけちょるてい。」
この記述を読んで、これは江戸幕府の徳川家と松平一族をそれとなく揶揄しているのでは?と勘ぐってしまいました。
三河国はもちろん徳川家(松平家)の発祥の地です。
築山というのも、徳川家康の正室だった築山御前を連想します。
さらに、五葉の松とありますが、江戸時代の三河国の地誌書で「三河国二葉松」(みかわのくにふたばのまつ)という書物がありました。
さらに、三河国の宿屋の親爺は、次のように答えています。
「五葉の松のずく(いただき)に巣をかけたのは、一番はじめに鴻がきて巣をかけました。そいで卵を生みましての、かえったのをみましたら二羽の鳥でござりました。ま、つまり鶏でござりましての、それを大事に大事に育てよりましたが、そのうちに雛もいつの間にか大きうなりましたで、それが立って逃げてしまいよりました。で、あとは、それあの通り、空巣(からす)にござります」
この言葉も極めて意味深長で暗示的な印象を受けます。
なんとなく、「織田がつき羽柴がこねし天下餅ひろうて食うはひとり徳川」という歌を連想しました。
幕末の動乱で薩長土肥の官軍に敗れた徳川家は政権の座を失い、江戸城も明治新政府に明け渡すことになりました。
この昔話は漠然とながら、織田→豊臣→徳川→薩長土という政権の移り変わりを示唆したものなのではないでしょうか?
薩摩、長州、土佐の侍が三河国の宿屋の亭主に金をつかませて、自分たちの主張をごり押しして悦に入ったりするところも、明治以後の藩閥政治家らしい振る舞いだなと思ったりします。
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投稿者:吉兵衛どん 投稿日時 2022/2/15 21:41
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お侍さんってのは気難しい人が多いなぁ(笑)みそ豆ばなしに出てくる二人もそうだったけどほんとにちょっとしたことですぐ斬り合おうとする。まぁそれくらいのことでも命を投げ出せるくらいの覚悟がないと武士なんてやってられないのかな…
投票数:28 平均点:10.00

投稿者:Wii 投稿日時 2022/2/16 18:40
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これや「味噌すりと武士」、「追いつかれたお月さま」みたいに、わりと近代に成立した昔話も多いかもw
投票数:26 平均点:10.00

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