Re: 鳥の巣裁き

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むかしむかし、薩摩と長州と土佐の侍が一緒に旅をしておった。道中の三人はそれぞれのお国自慢で意地を張りあってしまうことがあったそうじゃ。まあ、みんな自分の住んどる所が一番...…全文を見る

Re: 鳥の巣裁き

投稿者:Perenna 投稿日時 2020/4/19 23:44
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この昔話を「周防・長門の民話 第二集」で読んでみました。
これは明らかに、明治以後に作られた創作系の昔話ですね(笑)
薩摩と長州と土佐の侍が泊まった三河の国の宿屋の描写は、次のように書かれています。
「二階から向うをみるちゅうと、なかなか景色のええ築山がある。そいて築山の上に、大きなみごとな五葉の松が植えちゃある。そいでのう、その五葉の松のずってんこう(頂上)に何やらの鳥が巣をかけちょるてい。」
この記述を読んで、これは江戸幕府の徳川家と松平一族をそれとなく揶揄しているのでは?と勘ぐってしまいました。
三河国はもちろん徳川家(松平家)の発祥の地です。
築山というのも、徳川家康の正室だった築山御前を連想します。
さらに、五葉の松とありますが、江戸時代の三河国の地誌書で「三河国二葉松」(みかわのくにふたばのまつ)という書物がありました。
さらに、三河国の宿屋の親爺は、次のように答えています。
「五葉の松のずく(いただき)に巣をかけたのは、一番はじめに鴻がきて巣をかけました。そいで卵を生みましての、かえったのをみましたら二羽の鳥でござりました。ま、つまり鶏でござりましての、それを大事に大事に育てよりましたが、そのうちに雛もいつの間にか大きうなりましたで、それが立って逃げてしまいよりました。で、あとは、それあの通り、空巣(からす)にござります」
この言葉も極めて意味深長で暗示的な印象を受けます。
なんとなく、「織田がつき羽柴がこねし天下餅ひろうて食うはひとり徳川」という歌を連想しました。
幕末の動乱で薩長土肥の官軍に敗れた徳川家は政権の座を失い、江戸城も明治新政府に明け渡すことになりました。
この昔話は漠然とながら、織田→豊臣→徳川→薩長土という政権の移り変わりを示唆したものなのではないでしょうか?
薩摩、長州、土佐の侍が三河国の宿屋の亭主に金をつかませて、自分たちの主張をごり押しして悦に入ったりするところも、明治以後の藩閥政治家らしい振る舞いだなと思ったりします。
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