馬比べ についてのコメント&レビュー投稿
昔々、二人の旅人が旅をしていた。 一人の名は大工と彫刻の名人、左甚五郎(ひだりじんごろう)。もう一人の男の名は絵の名人で知られる狩野 法眼(かのうほうげん)と言った。 ...…全文を見る

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投稿者:マニアック 投稿日時 2011/10/18 20:45
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詳しいあらすじは、覚えていないが、常連キャラ下唇のおじさんの声、いつもは常田さんが担当していたが、めずらしく市原さんが、担当していた。
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投稿者:マルコビッチ 投稿日時 2011/10/18 20:51
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そうなんだ・・・。
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投稿者:マルコ 投稿日時 2014/3/5 13:47
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狩野 芳崖を狩野法眼にしてください。似ていたので間違えました。

狩野元信出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より

狩野 元信(かのう もとのぶ)
文明8年8月9日(1476年8月28日)? - 永禄2年10月6日(1559年11月5日)は、室町時代の絵師。狩野派の祖・狩野正信の子(長男または次男とされる)で、狩野派2代目。京都出身。幼名は四郎二郎、大炊助、越前守、さらに法眼に叙せられ、後世「古法眼」(こほうげん)と通称された。弟は雅楽助。

父・正信の画風を継承するとともに、漢画の画法を整理(後述)しつつ大和絵の技法を取り入れ(土佐光信の娘千代を妻にしたとも伝えられる[2])、狩野派の画風の大成し、近世における狩野派繁栄の基礎を築いた。

絵師 狩野法眼元信。これが、このお話に登場する有名な絵師さんだと思います。狩野芳崖だと、同じ狩野家でも、時代が後の人物になってしまいます。

狩野芳崖出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より

狩野芳崖(かのう ほうがい)
文政11年1月13日(1828年2月27日) - 明治21年(1888年)11月5日)は、幕末から明治期の日本画家で近代日本画の父。幼名は幸太郎。名は延信(ながのぶ)、雅道(ただみち)。号は松隣、皐隣。盟友たる橋本雅邦[1]と共に、日本画において江戸時代と明治時代を橋渡しする役割を担うと共に、河鍋暁斎、菊池容斎らと狩野派の最後を飾った。

投票数:36 平均点:10.00

投稿者:マルコ 投稿日時 2014/3/5 13:53
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狩野法眼にまつわるこんな昔ばなしもあるそうです。

http://ameblo.jp/fflapper/entry-10830206657.html

より。

夜、稲穂をはむ怪物。 ~ 絵師 狩野法眼元信 ― 神波多神社 山辺郡山添村 民話 「波多野村史」

むかし、ある夏のことでした。諸国行脚するみすぼらしい旅絵師が村におとずれました。一夜の宿をもとめ、神波多神社の神宮寺に宿泊を許されたのでした。

10日ほど逗留したときです。絵師はお礼に絵を奉納しようと考えました。さて、何を描こうと境内をあるきまわったり、考え込んだりします。やがて、人々が寝静まった丑三つの頃。神殿の裏でじっと考え込んでいる絵師に月の光が差し込みます。輝く白壁に、力をこめて筆をはしらせました。そしてたくましい一頭の牛を描きあげたのでした。

翌日、絵師はふらっと寺を後にしました。

季節は秋になり、黄金色の稲穂が村一面にひろがります。刈り取りが無事済み、稲架にかけられました。ところが、一晩たった朝、無残にも稲穂が食い荒らされているではありませんか。それが翌日も、翌々日にもつづきました。これはたまったものではない。村人たちは動物の捕まえようと、夜、番をすることにしました。
田を巡回し、あやしいものの姿がないかあたりを見回します。すると、もしゃ、もしゃと穂を食む音が聞こえてきました。月が雲にかくれた暗闇で、なにやら大きな影が穂架のそばに見えます。すっかり肝をひやした村人は、気をとりなおし、「こ、こら!稲をあらす奴は、だれだぁ!」と、声をあげて、影にむかってはやしたてました。影は、のっそりと動き出し、やがて駆け出しました。「ま、待てぇぇ!」村人たちは懸命に、影を追いかけます。追っていくと、神社の境内へと逃げ込みました。神殿の裏で影はジッと立ち止ります。村人は松明をともし、影にかざします。影の正体は、大きな立派な牛でありませんか。月が雲からのぞきます。牛は、月の光を浴びながら、すぅっと・・・白壁へと吸い込まれていきました。すっかり仰天した村人。

なんということでしょう。夜な夜な稲穂を食い荒らしていたのは、あの絵師が描いた牛だったのです。翌朝、村人たちは、絵師を探しました。伊賀上野城下にいると聞きつけ、連れてきました。絵師は、ことの顛末を聞くと、牛の絵に松の木を描き足しました。牛に綱をつけ、その松に結わえたのでした。それからというものの牛が、夜な夜な悪さをすることはなくなったとのことでした。

牛を描いた絵師は、有名な「狩野法眼元信(かのうほうげんもとのぶ)」と伝えられています。
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投稿者:頭方 投稿日時 2018/11/30 9:56
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下唇おじさん、有名画家狩野法眼として登場。市原悦子が声を担当した二作目。
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