馬比べの絵師は狩野法眼。

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昔々、二人の旅人が旅をしていた。 一人の名は大工と彫刻の名人、左甚五郎(ひだりじんごろう)。もう一人の男の名は絵の名人で知られる狩野 法眼(かのうほうげん)と言った。 ...…全文を見る

馬比べの絵師は狩野法眼。

投稿者:マルコ 投稿日時 2014/3/5 13:47
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狩野 芳崖を狩野法眼にしてください。似ていたので間違えました。

狩野元信出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より

狩野 元信(かのう もとのぶ)
文明8年8月9日(1476年8月28日)? - 永禄2年10月6日(1559年11月5日)は、室町時代の絵師。狩野派の祖・狩野正信の子(長男または次男とされる)で、狩野派2代目。京都出身。幼名は四郎二郎、大炊助、越前守、さらに法眼に叙せられ、後世「古法眼」(こほうげん)と通称された。弟は雅楽助。

父・正信の画風を継承するとともに、漢画の画法を整理(後述)しつつ大和絵の技法を取り入れ(土佐光信の娘千代を妻にしたとも伝えられる[2])、狩野派の画風の大成し、近世における狩野派繁栄の基礎を築いた。

絵師 狩野法眼元信。これが、このお話に登場する有名な絵師さんだと思います。狩野芳崖だと、同じ狩野家でも、時代が後の人物になってしまいます。

狩野芳崖出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より

狩野芳崖(かのう ほうがい)
文政11年1月13日(1828年2月27日) - 明治21年(1888年)11月5日)は、幕末から明治期の日本画家で近代日本画の父。幼名は幸太郎。名は延信(ながのぶ)、雅道(ただみち)。号は松隣、皐隣。盟友たる橋本雅邦[1]と共に、日本画において江戸時代と明治時代を橋渡しする役割を担うと共に、河鍋暁斎、菊池容斎らと狩野派の最後を飾った。

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