檪木殿 についてのコメント&レビュー投稿
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投稿者:ゲスト 投稿日時 2018/8/1 20:45
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佐賀県佐賀市久保泉町上和泉檪木の関連性はたぶんないですね

出典三重の伝説(日本標準刊)より
出典詳細 伊勢のはなし(郡敏子/著 三重県郷土資料刊行会)
場所について伊勢の山田


あらすじ
昔、伊勢山田(現在の伊勢市)の櫟木町に与一という貧しい商人がいた。
与一の家には井戸がなく、毎日近所に水をもらいに行っていたが、自家に
井戸が欲しくなりひまをみては井戸を掘っていた。ずいぶん深くまで掘っ
た時、穴の底から大きな石がでてきた。その石を引き上げるときれいな水
が出るようになり、与一と家族は井戸のおかげで健やかな生活を営めるようになった。
与一は井戸から出てきた大きな石を井戸のそばへ置いて毎日きれいな水で洗っていたが、ある日息子に、石を
世古のすみに置いたらどうだと提案された。与一は、石をきれいに洗い浄めると、息子の言うように世古のすみ
まで運び、あたりを掃き浄めて帰ってきた。
ところが近所の者がそれをみて石の傍へ不浄な物を置いたり、石をけとばしたり、邪魔あつかいにした。一月
ばかり経つと、その石のせいで怪我をしたり、病気になったりしたと申し出る者が出てきた。与一はこれを聞き、
「もしかしたら、あのお石は、井戸神さんのお守り石じゃなかろうか、こんなに人をたたるのは、あんなところ
へ放置して、不浄なものを置いたりしているからじゃ」と思った。与一は早速家族に相談し、町役人に石を祀る
ように頼んだ。町役人は、早速そこにしめ縄をはり、白石を敷きつめ石神として祀った。
その後は、たたりはなくなり、やがて、この町の人びとは石を祀って、櫟木殿というようになった。
そして、朝夕お石さまを清めたと伝えられている。
その後、何年かたって櫟木殿は須原
す は ら
大 社
おおやしろ
に合祀せられた
投票数:41 平均点:10.00

投稿者:Perenna 投稿日時 2021/8/29 13:23
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三重県の一之木(櫟木)さまについては、「日本の伝説32・伊勢・志摩の伝説」にも書かれていますね。
「このあたりは伊勢市一之木(櫟木)、昔ここに貧しい男がいた。よそから貰い水ばかりしているのが気がひけるというので、裏庭に井戸を掘った。どんどん掘っていくと、大きな石が一つ出てきて、それを取り除くと水が湧いた。男はたいそう喜んだが、掘り出した石の置き場に困って、表通りの道ばたへ運びだして置いた。
ところが、二、三日たつと、その石に蹴つまずいて転ぶ人が現われ、触ると病気になるという噂まで流れはじめた。石を置いたのが自分だとばれて、お咎めを受けはしないかと心配になった男は、ある夜、その石に注連縄(しめなわ)を掛けて、まわりに形ばかりだが玉砂利を敷いた。
そうなると、ふしぎなもので石もどこか神々しく見える。ひょっとしたら井戸神さまだったのかもしれない、と男は思った。通る人たちが拝んでいくようになり、玉砂利もきれいな小石が敷かれ、いつかその石は一之木さまとよばれるようになった。
石は今、須原神社に合祀されている。拝殿の奥に玉砂利を敷いて、そう大きくもない石が三つ四つ、その中のいちばん大きな石に、もたせかけるようにして小さな鳥居が供えてある。これが一之木さまなのだろう。」
日本標準の「三重の伝説」にも書かれているところを見ると、おそらくこの話で合っているのではないでしょうか?
リアルタイムでアニメをご覧になった方の証言が待ち望まれますね!
投票数:38 平均点:10.00

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