Re: 七色の橋

七色の橋 についてのコメント&レビュー投稿
ある離れ小島に住んでいる若者がいた。 その島は日当たりも悪くて作物もあまり取れず、橋もなく大変不便で、となりの本島へ渡るにも船を使わなくてはならなかった。そのため嵐など...…全文を見る

Re: 七色の橋

投稿者:Perenna 投稿日時 2019/4/19 23:34
この昔話は、串本と紀伊大島のあいだにある「橋杭岩」でまちがいなさそうです。
昭和3年に出版された「少年智嚢 日本見物」という本に「串本の橋杭岩」が紹介されています。(コマ番号109/120)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1169408/109

「昔、巨鬼(おに)が浜中の海岸から海上の大島へ橋を架けようとして、夜間せつせと岩を運んで来ては海中に建てたが、工事の竣(をは)らないうちに、夜が明けたので、巨鬼は驚ろいて逃げ去つたというのです。」

また、橋を架けるのを邪魔した海神については、次のように書かれています。
「海神がこれを眺めて、「どうも拙(まづ)い仕事をするものだ、邪魔つけで仕様がない。よしよし俺が一つ腕を振つて、此の邪魔ものを利用して面白い風景を作つてやらう」と、元来流紋岩は餘(あま)り堅い岩でないから、絶えざる海蝕の力をこれに働かせて、漸次(ぜんじ)柔かい部分を削り取つて、とうとうこんな奇抜な物を作り上げてしまつた訳なのです。」

角川書店の「紀州の伝説」に載っている「七色の橋」は、巨鬼と海神の伝説と、弘法大師の一番鶏の話が組み合わさったものなのではないでしょうか?
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