「天子ヶ岳の瓔珞つつじ」についていろいろと調べてみました。
「明治新撰駿河国誌」(明治30年)には次のように書かれています。(コマ番号28/103)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/765155/28「天子ヶ嶽 或はきりう山といふ
山下に古塚あり何人を葬りしを知らず或は云古皇女の塚なりとこれに関し里傳あれとも信じ難し塚側に躑躅(つつじ)の大樹あり里人呼で瑶珞躑躅といふ」
「地理教育:富士登山唱歌」(明治42年)には以下のように書かれています。(コマ番号11/25)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/855711/11「天子ヶ岳ハ山上ニ古塚アリ是昔皇女ヲ奉葬シタルナリト其躑躅ハ花冠瓔珞ニ似タル奇花ヲ開クヲ以テ其名高ク其ノ山麓白糸村内野ニハ長者ヶ池(一名田貫沼)ト称スル小湖アリ是尹良親王ノ館趾ナリト傳フ」
同じ明治42年に出版された「富士駅名所案内」には皇女ではなく、源頼朝の妻の伝説として別伝が載せられています。(コマ番号7/28)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/765279/7「山嶺に古塚あり何人を葬りしを知らずと雖も或は云ふ源頼朝公の妻上つ方より来られし高位の御姫君にして御滅後には此山嶺の葬れりといふ当時紀念として十三輪の躑躅を植ゆ今は繁茂して大樹となれり里人呼で瓔珞躑躅といふ」
さらに大正15年出版の「山行記」には、やはり皇女の伝説として次のように出ています。(コマ番号106/234)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1020508/102「昔、ある皇女が、皇子を慕ふて此處まで来て遂に逝かれたので、里人これを悲しみ京都に面するの場所に葬つて、その瓔珞の冠を祠前に埋めた。これに生へた躑躅が、即ち今祠前にある瓔珞躑躅である、といふ傳説である。」
天子ヶ岳には、源頼朝や宗良親王にまつわる伝説があるようです。
皇女のお婿さんの炭焼きの松五郎の話が、いつごろから伝承されるようになったのか?たいへん興味がありますね。