小嵐山(しょうらんざん) 阿蘇市
所在地: 阿蘇市一の宮町中通
解説: 阿蘇の麓(ふもと)に位置する阿蘇市一の宮町は、町を取り囲むように外輪山が広がっており、四季折々の美しい姿を見せてくれます。この阿蘇外輪山からつき出た部分を「鼻」といいます。阿蘇には7つの鼻があり、その1つ「木落が鼻(象が鼻)」 が一の宮町中通にあります。
この鼻の下部の小高い丘を小嵐山といい、ながめは京都の嵐山からのながめと似たところがあります。小嵐山の下には鹿漬川(しつけがわ)が流れており、この川を嵐山の大堰川に、また以前架かっていた木橋を嵐山の渡月橋(とげつきょう)に、阿蘇五岳のすばらしい景色は京都の東山から比叡の山々に見立てることができます。
このような京都に似た風情をこよなく愛したのが、阿蘇惟治(これはる)です。その惟治の歌碑が、丘の上に登る階段の途中にあります。
「月花にあはれ嵯峨野(さがの)の面影を うつすやここの小嵐山」
惟治は、文政5年(1822年)から明治3年(1870年)まで阿蘇神社大宮司を務め、阿蘇神社の造営(注)をおこないました。惟治は宮中へのあいさつなどのため京都を訪れていますが、そのときに見た嵐山の風情と、この丘の風情を重ねていたのか、この丘を小嵐山とよぶようになりました。小嵐山の頂上には惟治が景色をながめたときの東屋などは残っていませんが、その後も地域住民の憩いの場となったようです。
そして、誰の手かはわかりませんが、太平洋戦争後、多くの石仏が建てられています。一見すれば地蔵菩薩にみえますが、よく観察すると台座に字が刻まれており、十一面観音菩薩、阿弥陀如来、千手観音菩薩、馬頭観音菩薩などいろいろな仏が彫られています。
現在、小嵐山は展望公園になっており、この下を流れる川でつりやボート遊びが楽しめるようにもなっています。
(注)天文年間(1532~55年)に社殿が焼失して以来、長く仮の社殿のままでしたが、天保6年(1835年)~嘉永4年(1851年)にかけて阿蘇神社の大造営が行われました(現在の阿蘇神社)。
参考文献: 一の宮町教育委員会 編・発行 『文化財一の宮』 1985年
周辺情報: 近くには中通古墳群があり、小嵐山の上からながめれば、古墳の形や群集している状態がよくわかります。
http://www.pref.kumamoto.jp/kiji_8093.html