Re: 阿古耶の松 阿古耶姫伝説、青根温泉 由来話

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昔、奥州の藤原豊光(とよみつ)という豪族に、阿古耶という娘がおりました。 ある晩、阿古耶が琴を弾いていると、老松のある丘で琴の音に合わせるように舞を舞う若者が現れました...…全文を見る

Re: 阿古耶の松 阿古耶姫伝説、青根温泉 由来話

投稿者:ゲスト 投稿日時 2015/10/23 12:27
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奈良の都、藤原豊成(右大臣)は、上下共に優しく評判が良かった。
奥方との間に、花の様な美しい姫君をもうけ、中将姫と名付けて寵愛していた。
しかし、奥方は若くして病気で亡くなってしまう。まだ中将姫が7歳の時だった。
右大臣も奥方の突然の病死に、途方に暮れる毎日を過ごしていた。

そんな様子をみた周りの人は、右大臣に再婚をすすめる。
勧めるままに、上司中納言の娘を奥方として迎え入れることになる。
中将姫が第二の母を得たことはうれしかったのだが、それは束の間であった。
世にありがちな、継子のいじめに日々中将姫は悩まされていたが、父君の前では母の冷酷さを表さなかった。
後に迎えられた奥方に、あこや姫という妹をもうける。
右大臣も大喜びであったが、あこや姫を設けてから、奥方の中将姫に対する虐待がひどくなっていく。
虐待が日々激しくなっていくと、奥方は恐ろしいことを思いつく。
ある日、毒まんじゅうを作り中将姫に食べさせようと恐ろしい計画を立てるのだが、
あこや姫がこっそり毒まんじゅうを捨て、姉の難を救っていた。
奥方は邪魔をする娘に仕方なく、第二策として家来の藤平次という者に、中将姫を遠く離れた雲雀山に連れ出して殺させることにした。
藤平次は奥方の言いつけに反対できず、中将姫をかついで雲雀山へ向かう。
しかし、罪もない天使のような愛らしい姫に刀を向けることなどできず。
「すぐここへ戻ってきますから、寂しくてもしばらくこの炭焼小屋にご辛抱なされ・・・」
と言い、中将姫の髪と片袖をちぎり取って館に戻り、奥方に示して中将姫を無きものとしたと伝える。
右大臣は、忽然といなくなった中将姫を心配したが、家来の藤平次が急に暇を取って
館から去ったので、藤平次が姫をどこかに誘拐したのではないか、と嘆き悲しんでいた。

それから6年の歳月を送った有る日、豊成は家臣をつれて雲雀山へ狩りをしにいった。山々をつたい狩立てて日を暮らし、帰途につくべきある山陰を通った時に、一軒のあばら家を見つけた。こんな山奥に住むのは、樵(きこり)だろうと通りすぎようとしたところ、美しい若い女の立ち姿を見た。
それが娘の中将姫だとわかり、右大臣は驚いた。その側に男がいたのだが、それが藤平次であった。藤平次は涙ながらに、ここに初めて奥方の中将姫に対する無情な仕打ちを述べ、自分がこの雲雀山中にお連れしたが、刀を向けることはできず今日まで育ててきたことを伝えた。
右大臣は鬼のように恐ろしい奥方を成敗しようとしたが、あこや姫は憤激する父を諫めて、母君の罪を許してあげて下さいと懇願した。
右大臣は中将姫を再び館に連れ戻したかったのだが、姫は、「わたしがまた戻ると母君に要らぬ苦労をかけねばならない。
それよりはいっそ出家して仏の道を歩み心安くこの世を送った方がましだ」と。
それから中将姫は尼になり、止める藤平次を振り切り大和国法隆寺に入ったという。
中将姫17歳の時だった。

右大臣は、奥方の恐ろしい心根、娘の出家など、世の無情を感じている間、奥方は重い病にふせる。奥方は自分の罪の恐ろしさに気付き、ようやく悟って善心にたちかえ、許しを乞うが奥方は亡くなってしまう。
こうして、右大臣は官位を退き、行脚の旅に出てしまう。

一人残されたあこや姫は、母を弔い家出の父の跡を慕って都を出ていく。
恋しい父は奥州路にありと聞き、風の便りに聞くまま東へ北へと旅を続ける。
奥州白石に入った時に、長旅の疲れで病気になる。
通りかかった一人の百姓に助けてもらい、介抱してもらった。その百姓の家が、現在の青根温泉の川崎村であったらしい。
その途中に姫が休息したという金ヶ瀬付近の洞窟を、いまでも「阿古耶の室(むろ)」とよんでいるそうだ。姫が療養中に、湯気をみつけ温泉を発見する。
都では治療のために貴重としていることを聞かせ、温泉の効能を村人に伝えたという。その評判が遠い村にも伝わり、遠くからわざわざ青根温泉に入るものが増えた。
この温泉の効能が村の役に立てたと、恩返しができたことで、あこや姫は再び旅にでる。

そして笹谷峠を越え、出羽国へ入るが、病後まだ完全に治らなかったせいか、ここで病気が悪化し、千歳村に辿りついた時は、重体になっていたそうだ。
ここでも村人たちの厚い介護に助けられたのだが、病は良くならず 父の行方もわからずまま、
「私が死んだならば、平清水の付近に埋めて下さい。そして松を植えて墓標にして下さい」と村人に頼んだ。
「消えし世のあととふ松の末かけて 名のみ千歳の松の月影」という詩を残し亡くなったと伝わる。 御年18歳。
村人たちは姫のはかない身の上に同情し、菩提と弔い後に西行がこの地に足をとどめ、あこや姫の物語を聞いて歌を残したとも伝わる。
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この話は、「宮城県の伝説 富田廣重 著」に掲載されていたもので、
富田氏は、「各地にある阿古耶姫の伝説なかで、青根温泉の由来として今でも残されている口碑として記しておく」とある。
http://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/3048fe26b161af3abab1743079a8ea41
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