「猶見たし花に明行神の顔」で有名な大阪の葛城山
投稿者:マルコ 投稿日時 2014/1/30 16:53
「猶見たし花に明行神の顔」で有名な大阪の葛城山。昔から山岳修行の場として有名だって聞いていました。
この物語の主人公小鹿さんもこの山で修行した人みたいですね。
「オラ、どうなってもいい。あの里を救いたい。」
そんな小鹿の心からの願いが仏様に通じ小鹿は人々を救う仙人になったという話です。
マルコは彼が羨ましい。自分は何にもできないけど、ほかの人が苦しんでいるのを見捨てることができない。どうしても助けてあげたい。そういう熱い気持ちがあって行動できる彼が羨ましい。
マルコは人を思いやる気持ちや、やさしさが足りない。それは、自分のことでせいいっぱいになって周りが見えていない自己中心的、「私のことなんて誰も気にしてくれていない。私は一人だ」っていう被害者妄想に取り付かれているのかもしれない。
「寂しい時もあるけれど、それでもやっぱり生きてます。だって一匹狼は一匹ではないからです」
でも、周りをよく見てみれば、だめな自分を心から心配して怒ってくれたり、明るく笑ってくれたり、慰めてくれる家族がいる。沈んだ顔をしていると、「大丈夫?元気ないんじゃない?」って声をかけてくれる友達がいる。心配してくれて、私が一人で帰ろうと思うと、「マルちゃん駐輪場まで一緒に行こう!!マルちゃんが悲しい顔をしているの放っておけないよ。」といってくれる人がいる。
「青空の日が多いと、青空の美しさがわからない。曇りや雨の日が続いて初めて青空の素晴らしさがわかるんだよ。」
自分のことばっかり考えていると、相手の気持ちがわからなくなる。自分のことばかり考えていると、他の人から優しいことをされても、当然だって思い上がってしまう。
でも、時々周りに目を向けてみれば、他の人の話に耳を傾けてみれば、人のやさしさや思いやりの気持ちを感じることができるのだから。
悲しさと寂しさでねじくれた心を直してくれるのは、人のやさしさだと思います。
マルコは他の人から優しくしてもらって、何度も死にそうなほど悲しい気持ちや不安から救ってもらったから、いつか、困っている人や不安な人を助けてあげたい・・・。
このお話を見て思ったことです。