亡者の通る道
投稿者:ゲスト 投稿日時 2012/12/16 14:56
立山山中のミクリガ池は、江戸時代、寒の地獄(極寒の苦しみの世界)に見立てられていました。立山曼荼羅には、亡者が池の中に首まで浸かって、もがき苦しむ様子が描かれています。この地獄にまつわる説話を、立山曼荼羅の絵解き台本『立山手引草』(嘉永7年〔1854〕)に基づいて見ていきましょう。
昔、越前国越智の僧侶良慶(小山法師とする説話もある)は、大先逹(修験道修行の指導者)の海弁に導かれ、立山禅定登山を行いました。途中、良慶は地獄谷で寒の地獄を見て、それを百姓家の種井(種をまく前に種籾を浸しておく池や川)のようだと嘲り、口に剣をくわえて池に飛び込むと、向こう岸まで泳いでみせました。
海弁は良慶の傲慢な行動に驚き、自分の不徳でこの不祥事が起きたことを嘆きました。そして、もしこのまま良慶の傲慢な行動を抑えられなければ、立山の名を汚すことになると憂いました。そこで、海弁は降魔(悪魔を退治し降伏させる)の加持祈祷を行い、地元の刀尾神の力も授かり、不動明王が乗り移ったような形で、良慶に言いました。すなわち、おまえ(良慶)が口にくわえていた剣は、実は玉殿窟(立山開山の場所)の大聖阿遮羅尊(不動明王)の秘宝剣であり、地獄池で泳いだとき、その剣の徳で堕地獄を免れたのである。そして、おまえが剣を盗んだことは、あとで詮議することにして、剣を自分に返し、もう一度地獄池に入ってみよと告げました。
これを聞いた良慶は腹を立て、剣の徳を嘲り、それを投げ置いて再び地獄池に飛び込みました。しかし、3巡り目についに地獄へ堕ちてしまいました。ミクリガ池の名は、良慶が池を3度巡ったことに由来します。