亡者の通る道
投稿者:ゲスト 投稿日時 2012/12/16 14:52
インドの『倶舎論』や『大毘婆沙論』などの仏教経典には、地獄の位置について、それは人間が住む世界の地下に重層的に奥深く続く形で存在すると説かれています。
一方、もともと外来宗教であった仏教が日本で広まる以前から、日本人は天上や地下、山中、海中といった、いわば自分たちの住む世界の垂直・水平方向の延長線上の場所を他界とする観念をもっていました。そのなかでも山中を他界とする観念は、日本の国土の大部分が山地や山岳で占められるといった独特な風土・環境のためか、とりわけ強くもたれていたようです。
すなわち古代の日本人は、人が死ぬとその霊魂が肉体から分離して、村里近くの山やあるいは立山のような立派な山へ登ると考えていました。肉体から離れたばかりの霊魂は暴れる死霊なのですが、山の不思議な力で次第に死霊から祖霊に浄められ、さらに子孫の祀りを受けて山の神になるというのです。このように古代の日本人は、山地・山岳を死霊・祖霊の漂い鎮まる他界としていました。
仏教の広まり、浸透に伴い、日本ではその土着の他界観と仏教の地獄観が交わり、霊魂の漂い鎮まる山中こそが外来宗教の仏教が示す地獄のある場所だと信じられるようになりました。つまり、地獄の亡者に対する裁判や責め苦などの具体的な内容は、圧倒的で壮大な体系をもつ仏教に依拠しましたが、その場所については、自分たちの根源的な考え方に基づいて、山中に見出したのです。
その際、越中立山は山中に火山活動の影響で荒れ果てた景観を有し、地獄を見出すには格好の場所でした。立山山中の地獄谷、ミクリガ池、血の池などは、4万年前からたびたび起こった水蒸気爆発による爆裂火口であり、なかでも地獄谷では、火山ガスを噴出するイオウの塔、熱湯の沸き返る池、至る所からの噴気が見られ、また特有の臭いも相まって、そこは不気味な谷間となっています。こうした特異で非日常的な景観が地獄の様子に見立てられ、立山地獄の信仰が生まれたものと考えられます。