むかし三河の国の鵜飼島(うかいじま)に鵜を飼っておる金持ちの家があって、そこに一人の娘が奉公しておった。この娘、年頃になると村人も吃驚するような器量良しになった。ところが、いつの頃からか娘は急に黙りこくって、何にも喋らなくなってしもうたそうな。
そのうちに、娘は毎朝豊川に行くという噂がたち、もの好きな若者達は、ある朝こっそり娘の後をつけて行ったそうな。娘が豊川の河原に降りて行くと、対岸の川岸に一人の男が現れた。男は川向こうの村で働く作男で、二人はどうしようもないほど好き合っておったのじゃ。じゃが、橋も架けられんほど深く、流れの速い豊川の淵じゃ。二人は、会いたくても、毎朝川を挟んでしか会えんのじゃった。
若者達の知らせで、二人のことは村中に広まっちまった。娘は恥ずかしくて家から出ることもできん。好きな人と一緒になることもできん。娘はすっかり思いつめて、もう死んでしまおうと真夜中に豊川の河原にやってきた。
身投げのために娘が河原の石を袂に詰めておると、「死んじゃ、いかん!」と、男の声が聞こえた気がした。「そうじゃ。死んでしまうより、この石で川の淵を埋めてあの人に会いに行けばええ。」そう思った娘は、河原の石を次々に川に投げ込み始めた。
やがて朝になり、川向こうに男が現れると、二人は川の両岸から石を投げ込み始めた。それからは、毎日毎日二人は石を投げ込んだ。初めのうちは面白がって見ておった村人達も、二人の真剣さに心打たれちまって、やがて一緒になって石を投げ込んでくれるようになった。
毎日毎日、皆で、やって来ては投げ、通りがかりに投げ、仕事のついでに投げ込んでおるうちに、いつの間にか十年もの月日が経った。そうしてとうとう、底もしれんほど深い豊川の淵が、渡って行ける浅瀬になっちまった。その時、二人は浅瀬の真ん中で抱き合って泣き、それを見ておった両岸の村人達も、まるで自分のことのように涙をこぼして喜んだそうな。
この浅瀬は、輪くぐり様の鳥居に近い所にあるので『鳥居松の瀬』と呼ばれ、今でも豊川の鮎の良い釣り場になっているそうじゃ。
(投稿者: ニャコディ 投稿日時 2013-8-11 18:18 )
ナレーション | 常田富士男 |
出典 | 寺沢正美(未来社刊)より |
出典詳細 | 三河の民話(日本の民話65),寺沢正美,未来社,1978年04月10日,原題「浅瀬を作った娘」,採録地「宝飯郡」,話者「菅沼武夫」 |
場所について | 二人が作った浅瀬(鳥居松)江島橋の上流約400メートル |
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